うそつきの種
その日、ささやかな結婚式が行われた。
色鮮やかな花々のヴァージンロード。木々に小鳥の合唱団。
やわらかな口づけそして、それをみつめる緑色の瞳。
レイミーと出会ったのはもうずっと前、子供の頃のこと。シディーは誰もが知る存在ではなかったけれど、妖精のように出会える人たちにとってはごくありふれた存在で、私たちは曖昧な境界線を挟み争わず馴れ合わず暮らしていた。彼女が森から出てこなければ私たちは知り合うことなどきっとなかったはずなのに、未来はそちらには伸びていなかったのだろう。
その日、私がいつものようにあの人とこの庭で小さなお茶会を開いていると、蝶を追った彼女は躊躇うことなくこの庭へと転がりこんだ。白い手足に緑の目。シディーであることはすぐに解った。その小さな背には枯れ枝のような羽が生えていたから。
「きみはだれ」
臆することなくあの人は尋ねる。シディーの子とは遊んではいけません。そんな大人たちの忠告があの人になんの効果もないことくらい私には解っていた。シディーは人の言葉を理解する。シディーは人とは別の時間を生きている。私が知ってるシディーについてはそれくらい。
「おいで」
あの人は躊躇うことなく彼女に手を差し伸べその手を取り、私たちのお茶会へと誘った。彼の気まぐれや好奇心はいつものこと。私は余分に用意していたカップを温める。
「あのこはね、おちゃもおかしもじょうずなんだ」
褒められて嬉しくていつもより丁寧にお茶を淹れた。白い湯気に驚く彼女。シディーは温かいお茶を飲まないのかしらとどきどきしながらカップを差し出した。彼女は私たちがお茶を飲むのをじっくり観察したそのあとで同じようにカップに口をつけた。蝶々が花に舞い降りるような美しい所作に子供ながらに魅せられたのは私だけではなかったと思う。と、不意に彼女が顔を歪め舌を出す。想像していたよりも熱かったのだろう。私とあの人は顔を見合わせて笑った。キョトンとしていた彼女も同じように笑った。それから私たちは三人で同じ時間を過すようになる。
やわらかに時は過ぎた。いつしか私もあの人も学校へ行く年になったけれども彼女は幼い姿のままで、人とは違うその様子にあの人が抗いようもなく惹かれていくのが解った。
幼い頃から思っていた。私はきっと彼のお嫁さんになる。君は僕と結婚するんだと何度も言われてすっかりそうと信じていた。定められていたはずの未来が揺らぎはじめた予感、漠然とした不安。隣にいる私にいつだってあの人は優しくていつしか口づけをくれるようにもなったけれど私は知っていた。あの人と彼女が二人きり、秘密の場所で過ごしていることを。その花園であの人が私にしているみたいに、彼女に口づけやらをしていることを。好奇心に溢れた彼は、彼女のことをいつでも気にかけていた。話をしたなら今度は触れたくなったのだろう。手に触れて、唇に触れてそして。
「好きな人、いるの?」
一度彼女に聞いたことがある。 彼女は満面の笑みでうんうん頷き私をぎゅっと抱きしめた。
「ダイスキ」
そういうことではないのだと窘めることもできず、あの人が私よりも無垢な彼女を愛してしまうことには何の不思議もないと感じはじめていた。それがシディーの特性なのか彼女であるからなのかは解らなかったけれど、不安で八つ当たりしてしまう私とは裏腹、彼女はいつも穏やかで愛らしく笑っていた。
いっそ離れてしまおうかとも思った。こんな苦しい恋などやめてしまいたい。だけど離れることなどできなかった。あの人は、彼女のこと以外なにひとつ問題のない優しくて愛しい恋人だった。
「結婚してください」
いつもの庭で三人でお茶を囲んでいた時のこと。そう言ったのは彼だった。驚いた。なぜそんなことが言えるのか。いつものようにあの人の傍らには彼女がいてように笑っている。最初はどちらに言っているのかと思った。戸惑っている私にあの人が指輪をしてくれたからそれではじめて解ったの。この求婚は私へのもの。
「だけどレイミーが……」
「レイミーはシディーじゃないか」
人は人。その思考を残酷と感じるのは思い上がりなのかもしれないけれど、私は彼女を疎ましく思いながらもどこか愛していたのだろう。共に過ごす友達として。けれど彼の残酷な思想を咎める者はここには誰もいない。ここにいるのはその言葉の残酷さに気づかぬ彼女と彼に恋して友人への暴言に目をつぶる私だけ。
あの人に繋がれた手を嬉しそうに見つめるレイミーを見ていた。出会った頃とさほど変わらぬ幼気な眼差しが人との違いを浮き彫りにする。愛らしいレイミー。二人の間に私の入る余地なんか……
「なぜ泣くの? 僕の妻は君だろう」
彼女を傍らに座らせ繋いでいる手のもう片方を迷いなく私に差し伸べる。
「ずっと一緒だ」
柔らかで冷たいその手をどうして取ってしまったのだろう。ううんその問いこそが愚かしい。私はきっと何度でも選んでしまう。何度そのときを繰り返そうとも私はその手を掴んでしまう。愚かしいほどに私はあの人を愛していた。
結婚式のあとでも私たちの関係は変わらなかった。あの人と彼女、それから私。生まれた子供も三人で育てた。こんな暮らしは子供にとってよくないことだと何度言ってもあの人は聞かず、喧嘩するたび「ナカナオリ」と困ったように笑って、私とあの人の手を繋がせたのは他ならぬ彼女だった。不格好ながらも穏やかな日々。けれどいつしかこの辺境の森も戦火に飲まれていく。シディーと人との戦争は気づいたときにはどうしようもない所まで来てしまっていた。私たちは多くを失った。森の木々や穏やかな暮らし、それから彼女までも。
森の一番奥、泉の岸辺にレイミーを埋めた。彼女にかけた土の冷たさを私は今でも忘れられない。
あの人は変わった。一日の多くを森で過ごすようになり、家に帰るのは食事と眠るときばかり。けれど私への態度は変わらなかった。
「愛しているよ。ずっと一緒だ」
私へ向ける言葉も何ひとつ変わらない。本当は変わるべきはずなのに。ううんきっと変わらないのは音ばかりだ。ずっと一緒。それがどれだけ心許ない言葉かなんて彼女を失ったあの人が誰よりも一番よく知っているはずなのに。ずっと一緒。それでも使い続けるその言葉に意味なんてない。けれどそれが嘘であっても生きるためには必要だった。私を活かす呪文。嘘を嘘だと責め立てたところで一体何になろう。
やがて、子供のためにという理由でこの家をあとにした私を追いかけるように彼の訃報が届いた。森で倒れていたところを兵士に発見されたのだという。
ずっといっしょだよ。
ずっとずっといっしょだよ。
咲き乱れる花々に隠れて指切りをした。
指切りげんまん嘘ついたらハリセンボン飲ます。
ハリセンボンってなんだろう。
なんだろうね。
針千本ってことじゃないかな。
そんなことしたら死んじゃうじゃない。
ねえ、ずっといっしょだよ。
ずっとずっといっしょだよ。
私たちの嘘ははじめから嘘などではなかった。恋や愛やそういうものを種に、すれ違いや悲しみやそういうものを糧に、そのように育てあげてしまった。幼なかったあの日、絡めた小指で誓いあった私たちの永遠ごっこ。
だけどその嘘に支えられて今もこうして生きている。
あなたのいないこの世界で、その嘘だけが真実で。
サークル名:酔庫堂(URL)
執筆者名:七歩一言アピール
生活密着型幻想小説(ごはん多め)をコンパクトに書いてます酔庫堂です。
このお話は、今回委託する小説「ハカモリ」の一部分です。少女たちの小さな成長譚ハカモリ。その中から少女Aの回想シーンをお送りします。