女、三十
海への小径、と看板の文字が目に入る。本当は菜の花を見に車で来たはずなのに、足は自然のそちらへ向かった。菜の花も海も近所にあるというのに、わざわざ車で二時間かけて来た。菜の花はどこも眩しい黄色で、海も変わらず海なのだろう。
菜の花から段々と遠ざかる。木のチップが混ざる道はふかふか柔らかく歩きやすい。昨日買ったばかりのスニーカーでも難なく進める。ただの道路だったら今頃靴擦れに泣いていたかもしれない。せっかく晴れたのだ、何か一つ新しい事をしたいと、靴を変えた。生成色をしたコンバースだ。スカートにコンバースの組み合わせはオシャレだと書いてあるままに買ってみたものの、普段パンツにバレエシューズタイプの靴の私にはどうにも浮いて見える。私にしかわからない些細な違和感は今、なんの意味も持たない。
下ばかり見ていると、木のチップに細かな砂が混じり始めた。湿った焦げ茶色は、海風が運んだ砂に違いない。さらに進むと、潮の匂いがして、音が消えた。
漣を繰り返し、波が音を食っていた。ざん、ざん、と繰り返す音と子どもたちがはしゃぐ声は確かにするのに、耳の奥を圧迫する静けさがある。聴こえているのに遠いような、眩暈を起こす手前のような、足元がおぼつかなくなる静寂が存在していた。
私を通り越し、子どもが砂へ駆け込む。久保田早紀の異邦人が頭の中で再生された。空ではなく海だが、駆ける伸びやかな足は空へ駆け上がるよう。あの頃は何もかもが傍にあって、手に入ると信じていた。
木のチップはすっかりなくなり、乾いた砂が広がる。踏み出す度に足が沈む。随分と深い。スニーカーの隙間から砂が入りそうで、あまり足を大きく動かさないように、一歩一歩、丁寧に沈め、引き抜いた。
実家の近くにある砂丘は青い事で有名だ。鳥取砂丘の砂は黄色。そしてここは、白い日差しに照らされた明るい灰色だった。いや、少し赤いか。茶色が混ざるのは、土と混じったからか。
前を見る。海がひどく輝いている。海が青いと誰が言った。沼のような色を青と思い、駆けて足を濡らした日が懐かしい。押し寄せる波におもしろさしか感じず、繰り返す水を追いかけては濡れ、笑いながら足を浸した。その向こうにある国を見つめ、飽きるまで延々と繰り返した。今はもうやらない。引き込まれて海に落ち、深淵へと消える妄想が湧いてやまない。
それでも近くまで歩いた。足はもつれ、砂がなんとか入らないように歩いたが、少し入った。コンバースのつま先が黄土色に染まる。
そうだ、シーグラスを探そう。幼い頃、空き缶に入っていた宝物が、海で揉まれて丸くなったガラスだと教わり、それ以来シーグラスをなんとなく集めている。
波際に三人の幼児が遊んでいる。二人は男の子、一人は女の子。三人とも細い目とくせっ毛だから、きょうだいかもしれない。すでに服がびしょ濡れで、母親らしき若い茶髪のお母さんがふくれっ面をしている。それでも子どもたちは水を蹴る。
波際まで来ると、波で砂が湿り、硬く、足は沈まなくなった。幾分か歩きやすい。
波際には貝や砂利や木が、縁取りされたように並んでいる。特に集まっている場所には鳥の羽が湿って乾いてこびりついていた。その周りには空の貝殻が並んでいる。誰かが並べたのかもしれない。作り物のように真っ白な貝を一つ拾った。海に何度も洗われたらこんなに真っ白になるのか。砂を払い、鞄に入れた。その隣も、隣も、並ぶ貝を拾った。割れて角が丸くなった貝も拾った。表面が薄桃色をしていた。
白く透明なものが見えた。シーグラスかと期待したが、石だった。いや、石なのか。ムーンストーンのような表面だが、こんなところに落ちているはずがない。でも捨てることも出来ず、鞄に入れた。
鳥の羽がはためく道を辿ってもシーグラスは見つからない。ああ、そういえば、近年のハンドメイドブームでシーグラスが取り尽くされたとテレビで聞いた。シーグラスを集めるのは商売になったらしい。こんな片田舎の海でもハンドメイドの嵐はやってきたようだ。インターネットとスマートフォンの普及から、田舎も都会も混じり合ってしまったような気がする。
たかが三十年、ここまで来た。振り返ると一瞬で、歩いて来るには遠過ぎる。幼い頃は永遠を思った。飽きて寝てしまいそうに長い一日が今ではぞっとするほど早い。朝が憂鬱になるほど、悲しいまでにあっという間に過ぎる。
けれど、海の色や砂の色はあの時よりも鮮明に目に映る。海は青ではなく、淀んだ青緑で、砂は白くなく、暗い。沖縄の海が日本中に広がっているわけではないと知ったのはいつの時か。
この細やかな変化は喜ばしい事なのか。感じ、知り、学び、実感を持って体内に蓄積して行く経験に、そこに喜びが必ずしも伴うわけではない。喜怒哀楽、知りたくもない感情が争いながら一つへ向かって行く様は苦痛そのものだ。なのにそれがなければ人になれないというから、世知辛い。
来た道を戻ると、足跡はまだ残っていた。今日は波は穏やかだ。ここまで来ない。
三人の幼いきょうだいは、ついに服を脱ぎ捨て、砂を撒き散らして大声ではしゃいでいた。母親は見ないように、引きつった顔でスマホを凝視している。あの子どもたちもいつか、引きつった顔で自分の子を見る日が来るのだろう。
小径を戻り、菜の花が目に映る。昔のような感動はやって来ない。ぱっと鮮やかな色を見たくて毎年来ていたのに、感動は年々薄れる。胸を抉られる感動の快感は得られない。場所を変えても、名所に来ても変わらないのだから、心一つで人は旅が出来る。幼き日より守って来た柔らかな感情があればここまで来なくてもよかったのかもしれない。
ただ、目に残そうと見つめた。私の中にこの黄色を刻み込もうと、歩きながら目にした。いつか、せめてこれが思い出になるようにと、祈った。振り返る頃には海も菜の花も、幼き日のように青く、黄色く輝くのだろう。
帰りは道を変えた。バイパスを直進するだけでは物足りず、裏街道を抜ける。所々松が見え、浮世絵を思い出す。ここの景色は今も太古の昔も変わらず東海道だった。
おそらく、残しておかなければならない建築だったり、新たに復元した宿屋などが立ち並ぶ街並みに錆びたブリキの看板がぶら下がる。ちょっとしたタイムスリップに思わず車を停めた。そういう人も多いのか、夕方になっても駐車場は満員だった。
降りると早速人とすれ違った。スポーツウェアに首元まである帽子、登山用のリュックを背負った老夫婦だった。この辺りに山はないので、歩くときはいつもその格好なのだろう。二人ともふっくらした笑顔を浮かべていた。似た顔をしていた。
夕日に浸かる街並みは懐かしさがあった。駄菓子屋から科学性の甘ったるい匂いがしたのを鼻腔が思い出す。田舎でも駄菓子屋さんは見かけなくなった。あの頃の駄菓子は業務スーパーで買うことができるが、見かけても買うことはもうない。
建物はどの家も民家として住んでいた。木の格子の奥からテレビの音がする。中は平成なのだろう。
さらに歩くと、小料理屋らしき看板が見えた。近づくと、ブラックボードに今日のメニューが書いてある。魚の煮付けだ。自炊では中々作らないメニューなので入ってみることにした。
入ると、猫背の女性が迎えてくれた。カウンターと座敷とあり、足がくたびれていたので座敷をお願いした。人はカウンターに二人いるだけで、時計を見たらまだ夕飯時ではなかった。
今日のメニューを頼むとしばらくして運ばれてきた。煮付けを中心に白いごはん、お麩の入った味噌汁、菜の花のおひたしと煮豆とたくあん。昔だったら嬉しいとは思えないラインナップだ。インスタにも映えないし、特別なものもないが、お出汁の匂いによだれが出た。
一人、いただきますとつぶやき、味噌汁を一口。煮豆は甘い。魚をほぐし、生姜と共に食べる。幼い頃苦手だった生姜は今ではなくてはならない存在だ。魚の脂がさっぱりと口に馴染む。そしておひたし。一口食べて、つい笑った。
苦い。ほうれん草に比べ、癖がある。母はよく、春の味がするからと好んで食卓に出したのだが、今もって私の口には苦く感じる。改めて感じる菜の花の苦味は、まだ見えない未来の味がした。
会計の際、どこから来たのかと尋ねられ、隣の県だと答えると、若い娘が車で一人旅なんてオシャレだねぇと言った。
外に出るとすっかり暗くなっていた。格子から漏れる光が辺りを柔らかく照らす。足元に気をつけながら駐車場に戻り、車に乗り込む。
家までどの道で帰ろうか。どの道を選んでも行き着くところは一緒だ。少しくらい遠回りして、冒険でもしよう。
エンジンをかける。ナビが光り、あらかじめ登録したルートを削除した。サイドブレーキを解除し、ハンドルを握る。ペダルを踏んで、ゆっくり発車した。
サークル名:ナナソラ(URL)
執筆者名:七津十七一言アピール
最近はエッセイ的なものを書き散らしたり、よくわかんないファンタジーを書いたりしてます。いろんな物語を書いたり読んだり楽しいことを楽しいだけやりたいです。


