夜の子

 砂漠の大地に花など咲くわけがない。雨は降らず、生きとし生けるものが耐え忍ぶ不毛の大地。誰しもそう先入観を持つに違いない、ましてや花畑などと。この地には一つ伝説がある。大雨が降った年、美しい花畑が現れる。
 しかし、その場所を知る者はいない。その花畑を見た者は二度と戻れないという言い伝えがあるからだ。努々ゆめゆめその花畑を探そうとはしてはいけない。魂を攫われてしまう。いつの頃からか人々はその幻の花畑を『冥府の園』と呼び恐れた。

 私はそんな言い伝えのある村の小さな家にお仕えしている。私のご主人は、黒い髪に褐色の肌をした少女だ。その瞳は夜空のように澄んでおり、名をルルディという。ご主人は朝夕と私に食事を用意してくれ、砂漠の夜は寒かろうと自分の寝床に誘ってくれる。薄い毛布一枚を一人と一匹で分け合う。申し遅れた。私はご主人に飼われている黒猫だ。レイルと名づけられた。レイルとは異国の言葉で『夜』という意味だそうだ。
 この地域はネズミ取りのために猫を飼う。私は雄猫なのでネズミを追うのは苦手だが、荷物の番は出来るのでどうにかおこぼれを頂戴している。はっきり言ってネズミは美味とは言えない。ご主人がくれる食事が何よりのご馳走だった。
「レイルどこにいるの?」
 ご主人のお呼びがかかったぞ。
 私は、にゃーと返事をして側にかけよる。おや、どうしたことだろうか、今日のご主人の声はハリがない。いつもなら鈴の音のような涼やかな声をしている。ご主人は私の頭を優しく撫でてくれる。私は黙って彼女の手を受け入れる。
「レイル、私ね、来月隣町に嫁ぐことになったの……」
 彼女は私を撫でる手を止めず、そう告白する。誰かに聞いて欲しかったのだろうか。ご主人は私に嫁ぎ先の事を教えてくれた。嫁ぎ先は隣町の裕福な家、夫はふた回り以上年上で妻がすでに三人いる事。自分は妻という立場で輿入れするが、結納金と引き換えに労働力として買われる事。それはうちが持参金を用意出来ないのだから仕方ない事なのだと。ご主人は自分の事なのに、どこか他人事のように淡々と話すのだ。

「私の事はいいの。身寄りのない私を育ててくれたおじさんに少しでも恩返しが出来るのだから、生活も今とほとんど変わらないと思うし」
 ご主人は働き者で有名な娘だ。しかし数ヶ月前この村に珍しく嵐が訪れた。多くの死者や怪我人が出た。ご主人の養い親はこの嵐で生業にしていた店が壊れてしまった。不幸は重なるもので修繕工事中に大怪我を追ってしまい、負債は雪だるま式に増えていった。ルルディ1人の力では到底生活が立ち行かない。そこに湧いた輿入れの話。心優しい私のご主人は、きっと自ら進んで首を縦に振ったのだろう。
「貴方を置いて行くのが心残りだわ」
 まだ私などを気にするのか……。
 私はただご主人の手に擦り寄る事ぐらいしか出来ない。なんと歯がゆい。
「慰めてくれるの? ありがとう」
 それから数日、静かな時間を過ごせた。

「さあ一緒に寝ましょう」
 私は寝床に入る前、窓の外を見た。乾燥した砂漠に月明かりが降り注ぐ、夜目を凝らすとふと見慣れぬ靄が地表にかかっていた。
 まさか、これは……。私はベッドから飛び降りると、扉を懸命に引っ掻いた。
「レイルどうしたの? 外に出たいの」
「にゃー」
 私は返事をした。そして扉が開くと一目散に家の前の丘をかけ登る。
「レイルどこに行くの!」
 後からご主人が追ってくる。――そうこのままついて来て。私はご主人が私を見失わないよう幾度か振り返りつつも走った。
 視界が突然開けた。そこには乾燥した地に花畑が現れていた。

「これは」
 私に追いついたご主人が、その光景を呆然と見渡した。月明かりに照らされた大地は淡いピンク色に光っている。
「キレイ……、これはもしかして言い伝えの花畑なの? いけないわレイル、ここに居ては冥府に囚われてしまうわ。おうちに帰りましょう」
 ご主人はそう言い私を地面から抱き上げた。月明かりの中見上げるご主人の額は少し汗ばんでいた。私は意を決して声を張る。
「いえ、ご主人様これでいいのですよ」
 ご主人の驚く顔が目の前にある。無理もないだろう、猫がしゃべったのだから。
「レイル、貴方言葉が……」
「……今まで黙っていて申し訳ありません。私は、今この時まで己の言葉を失っておりました。貴方を騙すつもりはなかったのですが、このような形になってしまった事を謝ります。お許しください。そしてどうか私の話を聞いていただけますか」
 彼女は眼を丸くしている。しかしその瞳には恐怖の色はないようだ。一つ息を吐くとルルディは黒い瞳で私にいつもの優しいまなざしを向けてくれた。
「夢みたいだわ。私、貴方とずっと話がしてみたいと思っていたの。いいわ、貴方の事教えてちょうだい」
 この少女の純粋な強さが私には眩しく見える。
「ありがとうルルディ。私はこの花畑の先にある冥府の国の末席を汚す者です。王はイタズラが過ぎた私を子猫の姿に変え、罰としてこの世界に落としました」
「王様を怒らせるなんて何をしたの?」
「うっかり王座で昼寝を……」
「まあ」
 ルルディは花が咲いたような笑みを零す。
「故郷に戻るためには砂漠に嵐が訪れた後、この花が咲いた時だけ扉が開きます。それまでこちらの世界で反省するようにと、王に命じられました」
 あの日貴女が見つけてくれた子猫は、この世界でどうしていいのか途方にくれていた私でした。そんな私を優しく抱き上げ助けてくれましたね。
「ご主人は言葉も通わぬ私を助けてくれました。今こそご恩に報いたい。どうか私と共に参りましょう」
「冥府に?」
「ええ、皆が恐れるような場所ではありません。何の苦痛もない世界です。この花が咲いている間だけ、生身を持つ者は行き来が出来るのです。どうか私と参りましょう。私がお守りします」
「レイル……ありがとう、でもいけないわ」
「どうして!」
「私がいなくなったら、おじさんが困るでしょ。そう、このお花が咲いている間は、貴方のお家に帰れるのね。でもこれで良かったわ、貴方の事がどうしても心残りだったの」
「ご主人……それでは貴女一人が不幸になる」
「私を勝手に不幸な娘にしないでちょうだい! 私は不幸なんかじゃないわ」
 しかし幸せだとはルルディは言わない。
 それは自分に言い聞かせるような言葉に聞こえた。年頃の娘ならば願う幸せがあるはず。結婚をして子供を産み、労働力として生涯使われる。彼女の人生に価値を感じられない。しかしそれはこの地域の女性達に待ち受ける定めでもある。そんな人生ならば、いっそ冥府でと考えた私は浅はかだったのだろうか。
「……お願い、行ってちょうだい」
 彼女は私を花畑の上に下ろすと、後ろ足を押した。
「分かりました。そのかわりこの花を摘み帰ってください。そしておじ上に差し上げてください」
「そうね、そうするわ。最後の別れに花を贈られるなんて、なんて贅沢なのかしら。ありがとうレイルさようなら……」
 ルルディは、冥府に帰るレイルの背を見送った。

「ルルディ、この花をどこで見つけたんだ!」
 ルルディはレイルに言われた通り摘み帰った花をおじに贈った。
「えっ? これは……夜レイルが飛び出てしまって……それで私、追いかけて……」
「あの猫が?」
 おじは部屋を見回したがレイルの姿がないことに気がついた。
「お前が無事でよかった。……あの猫が身代わりになってくれたのか。二度とその場所に行ってはいけないよ」
「レイルは……」
 ルルディはそこで言葉を切った。
「冥府の園の言い伝えを知っているね、その発端は知っているかい?」
「いいえ」
「この花なんだ。特別な薬効があってね、高値で取引される。しかしこの花を求めた者達が行方不明になるようになってね。これだけあればお前を嫁にやらずにすむぞ」
「おじさん、本当?」
「ああ、借金を返しても幾分手元に残るだろう。そのお金を元手に店舗を借りよう。手伝ってくれるねルルディ」
「はい!」
 ルルディの頬に一筋の涙が流れ落ちた。ルルディはその事に驚く。
「辛い思いをさせてしまったね」
 ――レイル、ありがとう。私、やっぱりお嫁に行くのはいやだったみたい。これから幸せになるために頑張ってみるわ。 

 揺り椅子に座る老婆は、孫達に語りかける。
「今年のような嵐の後、砂漠に現れる花畑に近づいてはいけないよ。冥府の園が現われて連れて行かれてしまうからね」
「でもお祖母様はその花畑を見たんでしょ?」
「そうよ、私が大切にしていた黒猫が連れて行かれてしまったのよ」
「かわいそう」
 子供たちは寝物語を聞き終わると各自のベッドへと入ってゆく。
「ルルディおばあちゃんおやすみなさい」
「おやすみ」
 どれだけ時が過ぎたであろう、今でも目をつむるとその色鮮やかな花畑が見える。黒猫が花畑を跳ねる。――ご主人、ご主人。と。
 するとどうであろう、思い出の黒猫が老婆の膝の上めがけて駆け込んでくる。驚いて目を開けると老婆の膝の上に猫が腰掛けていた。
「ご主人、やっとお会いすることが出来ました」
「まさか、レイルなの? その姿……まさか王様には許していただけなかったの?」
「いえ、王は許してくださいました。今日はご主人に私が分かるようにこの姿にしてもらったのですよ」
「そう、よかったわ」
 黒猫はルルディの膝の上から降りると、青年の姿に変わる。そして椅子に座るルルディの前に跪き懐から小さなピンクの花束を取り出し差し出した。
「まあ、ありがとう」
 それは冥府の園の花だった。ルルディは花束を懐かしそうに受け取る。
「そうだわ、あなたの本当の名前を知らないわ、聞いてもいいかしら?」
「私の名は……夜の息子タナトス」
 タナトスはルルディの手を取る。
「お迎えに参りました、ご主人」
「迎えに来てくれたのが貴方で嬉しいわ」
 タナトス、人は彼を死神と呼ぶ。


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サークル名:夢花探(URL
執筆者名:ほた

一言アピール
「ラストはハッピーエンドにするけど崖に突き落とす」をモットーに、長編ファンタジーと現代短編を執筆しております。
「夜の子」はアンソロ「猫」未提出作品に花が出て来たのでリメイクしました。テキレボ8では花の中の花の新刊が出るかも?そしたらアンソロをもう1本投稿……できたらいいね。

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