日向のマリアージュ

 澄み切った空の下、一面に広がる青い花畑。それはこの世のものとは思えぬ美しさだった。ざわりと吹く風に一斉に揺らされた花は、まるで音楽でも奏でているのではないかと錯覚してしまう。
「どうだい、アサンドロ。綺麗だろう」
 隣で胸を張っているのが見目麗しい上司――ロガンツォだというのが、この幻想的な光景に拍車をかけている。まるで絵画のようだ。どうして地味な自分がここにいるのだろうと、アサンドロはつい考えてしまう。と同時に、この美しい風景をキャンバスに残したくて仕方なかった。まさかこんなところに連れてこられるとは思わなかったから、道具は持ってきていない。
「これならグリィタさんも喜んでくれると思わないかい?」
 腕を広げたロガンツォは満面の笑みでこちらを見た。アサンドロは苦笑する。やはりそうだと思った。ここしばらくロガンツォが熱心に口説き落とそうとしているのは、色の魔術師と呼ばれている女性だ。彼女は山奥で染師をしている。彼女の色に魅せられた者は多く、ロガンツォもその一人だった。彼女の色を我が社に。そんな思いで熱心に婚約を迫っているわけだが、無論受け入れられるわけもなかった。
「確かに美しいが」
「だろう? それなら決まりだ! 女性は美しい風景が好きなんだろう?」
「しかしその発言がまずい。ロガンツォ、いい加減わかってくれ」
 おろしたてのスーツではしゃぐロガンツォを横目に、アサンドロはため息を吐いた。
 青い瞳を輝かせるロガンツォには、大きく欠けているものがある。ディアンドソール社の次期社長となる才能溢れる青年なのだが、他人の機微に疎い。いや、全てにおいてというわけではないが、女性との個人的な付き合いにおいては顕著だった。商談ならうまくいくのに……とぼやいている姿は、もう何度も目にしている。
「なあロガンツォ。女性が一般的に好むものと、グリィタさんが好むものは必ずしも同じではない」
「だがグリィタさんは花が好きなようだと、アサンドロも言っていただろう?」
「それは、あの屋敷で熱心に見ていたから……」
「なら問題ないじゃないか。アサンドロの見立ては確かだ」
 足を止めたロガンツォは優雅に微笑した。アサンドロは絶句する。胸の奥がむずむずとしてきた。
 どうしてその言葉の一欠片でも女性にかけてやらないのかと言いたくなる。才能を見抜くロガンツォの目は素晴らしい。しかしそれは仕事の場でしか発揮されない。
「ロガンツォ。君が僕のことを信頼してくれるのは嬉しいが、それでは意味がない」
「どうしてだい? そういった点においては、私よりも君の方がよく気がつく。何でも適材適所だろう?」
「仕事であればそれでいいが、口説きたいのならそれでは駄目だと思うんだが」
 歯切れが悪くなるのは、アサンドロ自身も女性にアプローチするのは苦手だからだ。それでもロガンツォがどうしてふられてしまうのかくらいは理解しているつもりだった。
 ――ロガンツォは内面を見てくれない。最後には皆そう言って離れていく。実際は、別に内面を見ていないわけではないのだが。だが仕事に直結しない物事に、ロガンツォは関心が薄かった。
「僕の名を出しても、グリィタさんは喜ばないだろう?」
 アサンドロはそっと青い花畑へと視線を転じた。胡桃色の髪を結い質素な服に身を包んだあの女性は、きっとこの風景にも溶け込むことだろう。彼女は自然と共にあるのがよく似合う。
 するとロガンツォが怪訝そうに首を捻るのが見えた。
「そうかな。彼女は君のことは信頼している気がするけれど」
「だとしたら口説いていないからだ。でも僕が好印象を抱かれても意味がないからな。おそらく、ロガンツォはやり方を間違えている。彼女は自分の作品に誇りを持っているんだろう? ロガンツォには内面を褒める才能がないのだから、そこから攻めるしかない」
「そこまではっきり言ってくれるのはアサンドロだけだね」
 ロガンツォが嬉しそうに笑うものだから、アサンドロは再びむずがゆさを覚えた。
 年下のこの上司に抱く思いは複雑だ。それでも彼のためならば何でもすると、アサンドロは心に決めている。居場所を、能力の活かし方を教えてくれたロガンツォの力になることが、アサンドロの願いだった。ではこの場合はどうしたらよいのだろう。ロガンツォがそう簡単に彼女のことを諦めるとは思えない。
 傷んだ髪を掻きむしりたい衝動と戦いつつ、アサンドロは口を開いた。
「当然だよ、ロガンツォ。僕は君の成功を心から祈っている。適当なことを言ってごまかしたりはしない」
「頼もしいよ、アサンドロ」
 ロガンツォは満足そうに相槌を打った。どこか艶めいて見えるこの微笑に、一体何人の女性が惹かれたことだろう。
 しかしグリィタは違った。色の魔術師にはロガンツォの美などまるで効果がなかった。彼女はいつもふんわりと微笑みながら首を横に振る。「商談でしたらお聞きします」が決まり文句だ。彼女はおそらく自分の技術に自信があるのだろう。様々な者がそれを盗み出そうとし、失敗していた。だからロガンツォは彼女ごと手に入れようとしているわけだが。
「私はどうも女性に嫌われやすいみたいだ」
「仕事から離れた途端、一般論に縋り付こうとするからだろ。うそぶいても意味がない。彼女の生み出す色に、あの美しい色を生み出す手腕に愛を述べたらいいんじゃないのか」
 アサンドロは瞳をすがめた。この美しい花畑を見つけてくるくらいの熱意があれば、それも可能なはずだ。あとはどうにかグリィタが望むものを見つけ出すことができれば、ロガンツォたちの勝ちだった。幸いなことに、グリィタはロガンツォを嫌ってはいないようだから。
「まるで私が彼女の能力だけを欲しているみたいに聞こえるね」
「違うのか?」
「失礼だな、アサンドロ。もちろん、彼女の生み出す色は魅惑的だ。あれは我が社にとって必要なものだ。でも大切なのはそこではない。色の魔術師という名を、彼女というブランドを取り入れることが不可欠なんだ。彼女という存在が既に、一つの作品なんだよ」
 腕を広げて熱弁するロガンツォを見ながら、アサンドロは首を捻った。同じことのように聞こえる。少なくともそこに彼女の人格は見いだせなかった。それで喜ぶ人間はいるのだろうか? ――アサンドロのような人間であれば、受け入れるかもしれないが。
「彼女に染めて欲しい。そのためにあんな山奥へと妙齢の女性が訪ねていくんだ。すごいことだと思わないかい? そのために彼女がどれだけの努力を重ねたのか、考えるだけで心が震える。その行動力や決意を含めて、私は評価しているんだ」
「……それを本人にも伝えたらいいんじゃないか」
 女性の前では優雅な人間を演じることが多いロガンツォも、アサンドロの前ではこうして熱心に語る。いつだってロガンツォはアサンドロの同意を得たがる。しかし、こういう姿こそかの女性に見せるべきではないだろうか。アサンドロにはそう思えてならなかった。ロガンツォの人間味を一番感じる瞬間だ。
「本当? それで効果があるのかな?」
「効果という言い方は止めた方がよいと思う。でも、そうだな、意味はあるんじゃないか。仕事やその姿勢を褒められて、不満に思う人間は少ないだろうから」
 アサンドロは肩をすくめた。ふわりと吹き込んだ風が、青い花とアサンドロたちの髪を揺らす。一面青の世界で、きらめくロガンツォの髪は浮き立って見えた。彼にはやはり日の当たる世界が似合う。
「なるほど。それではやってみよう。これでうまくいけばアサンドロのお手柄だな」
「一つ、これだけは約束してくれ。たとえそうなったとしても、僕に言われたんだと口にしてはいけない」
 満面の笑みで頷くロガンツォに、アサンドロは慌てて釘を刺した。この上司ならば深く考えずに言いかねなかった。アサンドロを褒めることに関して、彼は全く躊躇しない。しかしここでアサンドロの評価を上げても意味はない。
「何故? 君の手柄を奪うのは私の本意じゃないな」
「いいからおとなしく花を持っていてくれ。グリィタさんを口説きたいんだろう? 僕は表舞台に出てはいけないんだ」
 詰め寄ったアサンドロは、ロガンツォの肩をがっちりと掴んだ。おろしたての濃紺のスーツにしわができそうだったが、今はそれどころではない。ロガンツォの願いを叶えるためには必要なことだった。
「君はまたそれか。その点だけは反対だな。私は君の能力をきちんと評価している。そこは譲れない」
 片眉を跳ね上げたロガンツォは、きっぱりと断言した。やはりそうなるのか。これではうまくいくわけがないと、アサンドロは内心で嘆息する。前途多難だ。
「私はいずれ社を継ぐ人間だ。上に立つ者に必要なことはなんだと思う? 決断すること、そして選ぶことだ。一人の人間がなせることなど限られている。誰を傍に置き、どの意見を尊重し、選び取るのか。その判断が大切なんだ。私は君の目を信頼しているが、君に私の目の代わりをして欲しいわけではない。そこは間違えないでくれ」
 ロガンツォの言葉がずしりと重くのしかかってきた。反論ができない。ロガンツォが次期社長と推される所以はこれだ。その言葉に奮い立たせられた者たちのなんと多いことか。日陰者に手を差し伸べ、自信を与え、前へ前へと進んでいくこの青年は、既に多くの理解者を得ている。アサンドロがこうして直属の部下として行動を共にしているのは、単に年が一番近かったからだ。
「君への評価を間違えたつもりはない。そのことを含め、彼女には理解してもらいたいと思っている」
 自信たっぷりに破顔するロガンツォへ、アサンドロは曖昧な笑みを向けた。これでは婚約がうまくいくことなどないだろう。
 それでもこの上司の願いを叶えたいと思ってしまうのだから、もはやこの気持ちは心酔という域に達しているのかもしれなかった。


Webanthcircle
サークル名:藍色のモノローグ(URL
執筆者名:藍間真珠

一言アピール
主に理屈系ファンタジー、ふんわりSF等を書いているサークルです。異能力アクション、滅び、駆け引きを愛し、じれじれや両片思い、複雑な関係の話を書き続けています。今回は、駆け引きアンソロジー「ステルメイト」の二人の話で参加しました。駆け引きに至る前の物語、楽しんでいただけると嬉しいです。

Webanthimp

この作品の感想で一番多いのはほっこりです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • ほっこり 
  • 受取完了! 
  • 笑った 
  • かわゆい! 
  • しみじみ 
  • ごちそうさまでした 
  • 怖い… 
  • 泣ける 
  • しんみり… 
  • 胸熱! 
  • 尊い… 
  • そう来たか 
  • エモい~~ 
  • この本が欲しい! 
  • ほのぼの 
  • ゾクゾク 
  • キュン♡ 
  • ドキドキ 
  • 楽しい☆ 
  • 感動! 
  • 切ない 
  • ロマンチック 
  • うきうき♡ 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください