Noteless
「どうして人類は全自動雑草処理機の開発に至らないんだろうか」
「もしかして、ごく一部の特権階級に独占されてるんじゃ?」
「雑草一括処理魔術が実用化されないのは、
汗も愚痴もとどまることを知らない。ほたほたとこぼれて染みを作る。
「ミゲル、うるさい」
ハーレの声が尖った。つば広の麦藁帽子に保冷剤を仕込んだタオル、プリントの薄くなったTシャツとデニムといったスタイルでも、彼女はミゲルの視線をどうしようもなく引きつける。
「ちゃんと手も動かしてるよ」
「口を動かすカロリーを手の方に回さなきゃ、今日中に終わんないじゃない」
ハナを見習いなさい、ともうひとりの同期を指し示す彼女も、この苦行にうんざりしているらしいのが伝わってきた。
土地の広さと、労働力の釣り合いがとれていない。これがいわゆる新人いびりか。二十世紀も終わろうかというこの時代に、かような未開の悪習に直面するとは思わなかった。
センダード市に配属された新米死霊術師、ミゲルとハーレ、ハナの三人は、敷地内の花壇、薬草園、菜園の手入れを命じられた。草むしり、水遣り、施肥。枯れた葉や花の処理、空いた区画の土を返しておくこと。
畑をすべて合わせれば、テニスコート四面ほどの広さになるだろうか。花壇には季節の花が、薬草園にはセージやフェンネルといった香草から、イヌサフラン、トリカブトなどの有毒植物までがずらりと並ぶ。一方、菜園には夏野菜の成長を待ちわびる支柱ばかりが目立った。
すぐ仕事に取りかかれるように、どこに何が植わっているか、その効能や処方も含めて覚えておけということだろう。
三人とも、魔術学校は飛び級で卒業している。課題の裏を読み、効率よく点数を稼ぐことには自信がある。勤務初日の意気込みはしかし、肉体労働と直射日光の苛酷さに半日と経たずにひしゃげてしまった。みな、筋金入りのインドア派である。陽の当たる屋外で長時間過ごすのは、洗濯済みのシーツやタオルに任せておけばよいのだ。
土いじりを指導するのは使用人のセバスチャンである。先輩死霊術師でないことが、一同の士気をさらに下げた。
彼は生前からこの家と死霊術師に仕えて、その働きぶりゆえに、「死後もぜひここで働きたい」との望みが叶えられた。何者かというと、骸骨である。
見てくれはともかく、彼は面倒見がよく、細やかで親切だ。雑草はきちんと根から抜くようにと実例を見せてから、遠くの花壇でヒヤシンスの球根を掘り出している。
冷戦終結後、世界は急速に小さくなった。それまで隔たって暮らしてきた、ヒトとヒト以外のものが顔を突き合わせ、混じり合ってゆくのは必然で、科学の光明が照らし得ぬ部分の解釈として、ヒトはそれらの存在を受け入れた。
しかし、偏見の目は依然として存在している。生と死のあわい、川を越えうる者として、古来より死霊術師は様々な呼び名でもって文化集団内で重宝されてきたが、近年は負の側面ばかりが面白おかしく取り上げられがちで――ゾンビ軍団を率いる悪の総帥であるとか、死者の尊厳を無視した反魂を行うマッドサイエンティストであるとか――組合本部のお偉方も頭を抱えていると聞く。
イメージの悪化は次世代の減少に直結する。人気の治癒術は四クラス八十八名、対してミゲルたち死霊術のクラスはたった十一名。幸い、全員が密度の高い授業を受けられると喜び、仲は良かった。
これから五年間の実務を経てのち、魔術師組合の試験に合格すれば、晴れて
もっとも、三人のうち最年少のミゲルは五年経っても二十二歳で、そんな若造を師と崇め、死者の弔い、死霊封じ、降霊を乞う者はいないだろう。業界全体を見ても、資格を得てもしばらくは師匠のもとで経験を積み、各所へのコネをつくるのが通例だ。
すなわち、最低五年、長ければもっと、ここで師匠と兄弟子、姉弟子と付き合ってゆかねばならない。渋い顔になるのもむべなるかな。
「こんな調子で大丈夫かなあ」
作業は遅々として進まない。黙々と手を動かしていたハナまでが、ついに泣き言をこぼした。
彼女は口数こそ少ないものの、人一倍の努力家だ。百回のトライが失敗に終わっても、百一回めにチャレンジできるタフさと勤勉さは賞賛されるべきだとミゲルは常々思っている。まあ、ぼくなら十回までに成功してみせるけど。
「初日で音をあげたら、これだから最近の若者は、って言われるに決まってるよ」
「自分たちの時はもっとハードだったのに、って?」
ハーレがまなじりをさらに険しくして、憤然と雑草に取りかかった。華奢な背中から立ち上るのは覇気と執念、負けん気だ。彼女の
気高い紫の燐光は他に見たことのない色で、どんなに荒ぶる死霊も悪霊もおしなべて彼女に頭を垂れる。そりゃあそうだろうと納得し、誇らしくさえ思う気持ちと、ゆたかな才への憧憬と嫉妬が入り交じって、ミゲルの心臓は落ち着きをなくすのだった。
卒業式を終えたばかりだが、ミゲルたちは休暇を取らずに死霊術師組合に通っている。春の花はとうに終わり、母屋の裏手のミモザが葉を茂らせて木陰を提供していた。門扉は開け放たれ、敷地を囲うツツジ、道路に面した花壇のスミレやパンジー、バラが可憐に咲き、向日葵が夏に向けてすくすくと背を伸ばしているのが見て取れる。死霊術師組合の看板を掲げるにしては、ずいぶん呑気で明るい。
「貴重な新人のはずなんだけどな」
なおも愚痴はこぼれる。自分たちはもう学生ではない。若輩ながらひとりの魔術師で、これは授業ではなく仕事だ。意味があろうとなかろうと、消化すべき事柄なのだ。
埋葬された屍にかりそめの命を与えることは鼻歌交じりにだってできるのに、なんでもない雑草を一掃するのがこんなに難しいなんて!
頭ではわかっているのだ、命に優劣はなく、美しい花を咲かせる、薬効があると手前勝手な理屈でラベリングするのがいかに危険であるかは。気に入らないもの、不要なものを根こそぎ抹消するすべが存在していたとしても、手を出してはならないことは。
生死を隔てる川を行き来し、あらゆるものの屍を、魂を扱う死霊術。適切な材料を揃え、手順をなぞれば死者の復活をも叶える。生命倫理を揺るがす手段を得ても、増長してはならぬと学ばせたいのだろうか。学校で耳がもげるほど聞かされたのに?
土で汚れた手は、いやになるほど小さくて薄っぺらだ。
昼食は、セバスチャンお手製のサンドウィッチとレモンティーだった。香ばしいローストチキンと玉子サラダの相性が最高だったが、疲れていて無言のまま胃に収めてしまったのがなんだか申し訳ない。
再び庭へ出たところへ、ちょうど師のシボレーが戻ってきた。車を降りるなり、飛び上がって目を輝かせる。
「まあ! すごく綺麗になってる!」
午後からもよろしくねと屈託ない笑顔で手を振る師を見ていると、この作業に深遠な意図などないのではと思えてくる。かといって、土いじりを通じて何を学べばよいのかと質問するのも気が引ける。そんな馬鹿みたいな真似をするのか、ぼくが?
「あのう、先生。質問してよろしいですか」
右手を挙げたのはハナだった。
「薬草園はともかく、菜園や花壇にまでプロの手を入れないのには何か理由があるんでしょうか」
「理由なんてありませんよ」
即答だった。方便や欺瞞が割り込む隙もないほどに。え、と新米三人の声が重なる。
「花壇や菜園はセバスチャンが大切にしているから、私たちも大切に思ってるだけ。でも、そうねえ、意味が必要だって言うなら、ご近所に顔を覚えてもらうため、かな?」
師はセンダード市内の十一名の死霊術師を束ねる大ベテランで、六十歳を目前にしてなお衰えぬ眼光で死と向き合う。死霊と対峙した時は、普段のおっとりした物腰からは想像もできない苛烈さを見せた。
「誰かが亡くなったとか、死霊に追われているとか……いいえ、別に死霊に限った話ではないのよ、助けを求めているひとに、死霊術師組合だからって理由で訪問を躊躇してほしくないだけ。じゃないと、私たちがここで死霊術師をしている意味がないってこと。わかる?」
「偏見を抱かせないために、あえて普通っぽくしていると?」
「そんなに特殊な存在かしらね、私たちって」
「……いえ」
ハーレははっとした様子で口を噤んだ。
ミスティックのうち、M、
「ひとは誰でも生まれて死にます。それはもう容赦なく、生々しくね。私たちはそれに寄り添って、川向こうの世界でも安らかであるようにお手伝いをするだけです。綺麗だと思うから花壇を整えるし、野菜はおいしいから育てる。それでいいじゃないですか? 皆さん、力みすぎです。反魂や屍を操る術を活用したいなら、軍の魔術部に行かなければ」
凝り固まっていた何かが、ふと柔らかくなった。悪の総帥のイメージに囚われていたのは、誰だ。
立ちつくす新人たちに向け、師はうふふと笑ってみせる。
「後で外のツツジの蜜を吸いに行きましょう。セバスチャンには内緒でね」
サークル名:灰青(URL)
執筆者名:凪野基一言アピール
理屈っぽいファンタジーや文系SFを書いています。彼らの子ども世代のお話「死霊術師の菜園」、剣と魔法のファンタジー冒険譚「インフィニティ」完結編&番外編がテキレボ初売りの予定。ピピピと来た方はwebカタログをご覧ください。