荒野に咲く花

 天魔との戦闘が終わり、荒野に展開した駐屯地で後始末に奔走する僧兵たちの間にも、どこかほっとしたような空気が流れていた。まだ油断するな、結界の強化が終わるまで警戒を解くなとリサとダストが指示を出す声を通信機越しに遠く聞きながら、ジュリアンは駐屯地を覆う結界の綻びを確認し、一つ一つ埋めていく。今回の遠征には一流の結界師も連れてきているので、ジュリアンの仕事は補助的なものと最終確認だけだ。
 最後に安全が確保できたと確認し、そこでやっとジュリアンもほっと一息つく。作戦本部を埋め尽くしていた積層モニターも徐々に役割を終え、中央の大モニターに表示されているのは被害状況の報告一覧だ。重傷者は数名いるようだが、死者は今のところ確認されていない。各隊の点呼も間もなく終わり、最終的な被害状況も数分以内に明らかになるだろう。予定は一日ずれたが、それ以外はほぼ出陣前の予測通りに事を運ぶことができた。
 今回の任務における最大の敵は、光王庁の内側にいた。本当の戦いは、出立前に終わっていたのだ。戦う前から勝利は確信できていた。けれど、それでも部下に命を賭けさせることに変わりはない。
 最後の隊の点呼が終わり、モニターに「死者:0」の表示が出る。確認していたオペレーターたちの間から、自然と小さな歓声が沸いた。彼らにねぎらいの言葉をかけてから、ジュリアンはテントの外に出る。
 午後を少し過ぎたくらいの時間だ。それでも灰色の雲に覆われた空は、茫漠と広がる荒野の中で少し高台になったこのキャンプにも充分な光を届けてはくれず、手元を照らす魔力光があちこちで灯されているのが見えた。
 いつもなら救護の支援に赴くところだが、今回は聖騎士のシリイを中心に救護部隊にも充分なメンバーが集められ、戦闘開始前から念入りに連携の確認がされていた。それに参加できなかったジュリアンが行っても、大した戦力にはなれないだろう。
 今のジュリアンの役割は、聖騎士団団長として皆にねぎらいの言葉をかけていくことだ。特に前線を受け持ったリサとダストの部隊には、よく戦ってくれたと言わなくてはならない。
 足を踏み出しかけたとき、ジュリアンはふと地面に落ちた白いものに気付いた。目を凝らすと、それは恐らく戦闘で踏みにじられたのだろう小さな花だった。花片の様子からキク科の花だろうが、それ以上のことは専門外なのでわからない。茎は折れ、ねじ切れてしまっているが、花はまだ原型を保っている。
 かがみ込んで、花を手に取った。名も知らぬ野の花。荒れ果てたこの世界で、陽の光も差さぬ場所で、それでもなお咲いていた、ちいさな花。
 立ち上がり、祈るように顔を寄せる。甘さを含んだ草の匂いがした。

 シリイが直々に治療する必要があるほどの重傷者は、戦闘中に既に運び込まれており、応急手当も終わっていた。軽傷者の治療の割り振りも事前の打ち合わせ通りに運んでいて、後の任務は責任者として聖騎士団団長に状況を報告に行くだけだ。
 血と薬剤の臭気が充満した救護テントから一歩出ると、冷ややかな空気が頬を撫でた。外気を吸い込むと、先ほどまでの張りつめた感覚が緩やかにほどけていくのを感じる。
 周囲を見回せば、いまだに虹色の魔術回路が明滅している古の攻城兵器のような結界発生装置と調整に立つ結界師たちや、それぞれの持ち場で武具の手入れと竜化症の対応処置をしている僧兵たち、天魔の死骸を検分する研究班たちが見えた。みなそれぞれに立ち働いているが、周辺を警戒している部隊以外は戦闘前までの緊張感からは解放されているようだ。
 ここにいる戦力は団長を含めた聖騎士が五人、僧兵たちもみな歴戦の精鋭たちだ。だからこそ、全員が暗黙のうちに感じている空気があった。おそらくこの戦いは、聖騎士団団長ジュリアン・レイを暗殺するための罠である、と。
 ここにいるほとんどの人間がそれをわかった上で死地に赴いた。そしてジュリアンは、それに応えるように、この場所を死地にはしなかった。
 職業柄、シリイは死に向かう人間は見慣れている。死に抗う者、死から逃げる者、死を受け入れる者。ジュリアンは今までどちらかと言えば、最後の分類に属するのだと思っていた。
 ――でも、今日の戦い方は。
(抗う者、に、見えた)
 根拠などない。ただ肌で感じただけの感覚だ。やっていることは、今までと変わらない。人身の安全を最優先に、情報を集め、最善の計画を立て、実戦の中で素早く修正していく。この人になら命を預けられると、それで命を失うことになっても聖騎士の誓いを果たすために必要な犠牲だったと満足して死ねると、シリイがそう心に決めたいつものジュリアンの戦い方だ。
 医者としてのシリイの感覚は、悪くないと言っている。でも、シリイの願いを叶えるためには、ジュリアンに逃げてもらっては困るのだ。
 苦い感覚が胸の内にじんわりと広がって、シリイは思わず空を見上げる。夜になっても決して星が見えることはない、灰色の空を。
 自分がジュリアンに心酔している人間の一人であることはわかっている。どんな危機においても超然としている聖騎士団団長は、きっとどこからでも生きて帰ってくる。そんな幻想を抱いている。抱いていなければ耐えられないのだ。彼の犠牲の上に成り立つ希望を願うなど。
 感傷的になりすぎている自分を落ち着かせるために一つ深呼吸をし、シリイはきっぱりと前を向いた。
 作戦本部に辿り着く前に、所用の相手は見つかってしまった。ぽっかりと喧騒に取り残されたような、本部テントの裏側の、結界近くの機材の間。祈るように小さな花を捧げ持ち、俯いて目を伏せているジュリアンの姿に、シリイは思わず足を止めた。慈しむように、愛おしむように、小さな白い花に視線が注がれている。
 見てはいけないものを見てしまった気分だった。ジュリアンのやや人間離れした美貌とも相俟って、まるで一幅の絵画のようだ。背後で雲間から光でも差し込んでいれば完璧なのに、と、どこかずれたことを思う。
 立ち去ろうか迷ううちに、ジュリアンの方がこちらに気付いて顔を上げた。
「報告か。すまない。今そちらへ行くつもりだった」
「いえ、急ぎではありませんので。問題ありません」
 姿勢を正し、シリイは報告を始める。
「被害状況は送信した通りです。急激な竜化症進行の兆候も、今のところ見当たりません」
「そうか。何よりだ」
 いつも通り穏やかに返答するジュリアンの手には、まだ小さな白い花が握られている。
「野生化したカモミールのようですね」
 言われて初めて気付いた、というように再び花に視線をやったジュリアンが物珍しくて、シリイは微笑する。
「……そうだな。先ほどの戦闘で折れてしまったらしいが」
「大丈夫でしょう。踏まれるほど強くなる、という伝承もある植物です。もとは温暖で日当たりのよいところに咲く花ですが、こんな環境にも適応しているようですしね」
 聖騎士団に入って以来、ジュリアンに雑談などしかけるのは初めてだ。今までは意識的に避けてきた。情が移るのが嫌だったからだ。聖騎士として彼の命を守り、協力するのは、あくまでも自分の願いを叶えるため。それだけの関係でいたかった。
「強い花なんだな……」
 どこか感慨深そうに、ジュリアンはつぶやく。
「そうですね」
 もう一歩踏み込むか、迷った。
「……あなたは、見つけたんですね」
 迷った末に謎かけのようになった言葉に、ジュリアンは探るような視線を向けてくる。
「君は星を探しているんだったか」
「ええ……まさか覚えていらしたとは。そうです。わたしは星を探している……今も」
 言いながらちらりと視線を空に向ける。
 星を探している。意図的に比喩表現に聞こえるように言った言葉は、本当のところ、そのままの意味だ。シリイは分厚い灰色の雲の向こうに星を探している。育ての親と交わした約束を守るために。
「あの頃の聖騎士に自ら志望してくる人間は少なかったから……それに、君の経歴も」
 一つ呼吸をして、ジュリアンは『聖騎士団団長』としては決して見せなかっただろう微笑を浮かべた。
「君の願いが叶うように、私もできる限りのことをしよう」
 どうやら先手を打たれてしまったらしい。彼が諦めるつもりがないと確認したかったのだと、完璧に見抜かれてしまっていた。けれど不思議と悪い気分ではない。
「あなたの願いが叶うように……わたしには、祈ることしかできませんが」
「それで充分だ。ありがとう」
「いいえ。わたしの方こそ」
 礼を言われるようなことなど、シリイは何もできていない。一方的な期待を押しつけているだけなのに、そんな風に言われてしまうとなんだか申し訳ない気分だった。
「その花、いただいても良いですか? 救護室にでも飾れば、皆喜ぶでしょう。植物の医者という呼び名もあるんですよ」
 ジュリアンが差し出した花を受け取り、シリイは一礼する。
「では、また」
 精一杯の祈りを込めて、再会を願う。
 その場を立ち去りながら先ほどジュリアンがしていたように花に顔を寄せ、匂いを感じる。甘くてやわらかで青い匂い。
 儚く見えて強い、優しく小さな花。彼女はきっと、彼を連れて帰ってきてくれるのだろう。
 ほっと息をついて見上げた空には、まだ星は見えなかった。それでも――


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サークル名:雨の庭(URL
執筆者名:深海いわし

一言アピール
前回アンソロ参加した「星の海 遠い願い」のその後のお話です。本編「真昼の月の物語」のヒーローのジュリアンと「星の海 遠い願い」のシリイのとある戦場での一場面です。本編のヒロインの影もちらっと出てきております。本編は機械と魔法が共存する荒廃した世界での両片思いのお話です。よろしくお願いします!

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