ポートレイト
わたしは、レベッカ・アーミンと言います。
銀河連邦の植民惑星のひとつ、ソイ星で生まれ育ちました。
あれは確か、二二四五年の五月七日だったと思います。
わたし、不思議な人に会ったんです。
ソイ星の首都アントレを流れるミルク・リバーの畔は、古風な手風琴を奏でるお爺さんや花売りの少女、そして画家の卵である若者達の集う、とても有名な場所です。
その日は、雲ひとつない、好く晴れた日でした。
わたしはその日、或る風変わりな目的を持って、ミルク・リバーの畔に出向いたんです。
「よっ、素敵なお嬢さん! 君の肖像画を描きますよ!」
幾人かの画家の卵さん達が声を掛けてくれましたが、わたしは笑顔で謝絶しました。
だって、わたしが描いてもらいたかったのは、わたしの肖像画ではなかったからです。
暫く川岸を歩き回って後、わたしは、ひとりの青年に目を留めました。雰囲気が、此処の常連ではなさそうです。襟に触れる辺りまでしかない黒髪に前鍔のある赤い帽子を被っていて、顔はよく見えません。でも、近くへ寄ってみると、とても美しい川岸の風景が、小さなイーゼルに立てたパネルに水彩で描かれていました。
(この人がいいかな)
何となくそう感じたわたしは、思い切って青年の前に回り、声を掛けました。
「あの、わたしの恋人の肖像画を描いていただけませんか?」
青年は、筆を止めて顔を上げ、わたしの顔を眺め……そして、周囲を見回しました。
「……ええと」
切れ長の目の奥の黒い瞳が、戸惑いの色を湛えて、わたしの顔の上に戻ってきます。
「その、恋人さんの方は……?」
「片想いなんです――でも、描いてほしいんです、どうしても!」
わたしは懸命に訴えました。馬鹿馬鹿しい、と一蹴されかねない頼みでしたが、この人なら多分首を縦に振ってくれる、という不思議な直感があったのです。
「……わかった。描いてみるよ」
青年は苦笑すると、筆を一旦置きました。そして、折り畳みの小さな椅子をわたしの為に広げてくれた後で、イーゼルの上のパネルを外し、スケッチブックを代わりに嵌めました。
わたしは、目的が順調な滑り出しを迎えたことに、胸の高鳴りを覚えました。
「写真か何か……えっ、ないの?」
青年は困ったように腕を組みましたが、程なく、ひとつ息をついて言いました。
「幾ら何でも写真一枚ない人物を描いてほしいと言われてもなあ……せめて、どんな人なのか、言葉で説明してくれないかな。適当に質問してゆくから」
「はいっ!」
わたしは力強く頷きました。無茶な依頼をしているのは、こちらの方ですから。
「年齢は同じくらい? それとも君より年上?」
「ずーっと年上です。でも、若いです」
「……若く見えるってことか」
青年は、頷きながら、鉛筆を取り出しました。
「丸顔? それとも細面?」
「えーと……痩せ過ぎてはない……筈です、でも太ってはないです、多分」
「多分って……」
青年は少しだけ呆れたような表情になりました。
「……うん、まあ、いいか。丸顔じゃないことだけは確か、と」
「あと、髪が黒くて短めで、鼻筋は通ってる
「それじゃ、所謂美男子なのかな」
「いいえ、美男子じゃないです……多分」
「ひどいな」
苦笑しながら、青年は、鉛筆をスケッチブックの上に置きました。
「若く見えて黒髪ってことは、もしかして〝東洋的な〟顔立ち?」
「はい! そうです! 凄い、絵を描く人には、わかっちゃうんですね!」
わたしは浮き浮きしながら声を弾ませましたが、青年は肩を竦めてかぶりを振りました。
「うーん、厳密に言うと、ひと口に〝東洋的な〟と言っても、色々あるから。顔の彫りが深いか浅いかで、更に細分化されるんだ」
「えーっと……彫りは深くない筈です。〝日本人〟の血を引いてるって……」
「ああ、じゃあ〝極東系〟の顔立ちか」
青年は頷くと、軽く鉛筆を動かし始めました。何となく人の顔らしきものの輪郭線が描かれてゆきます。
「ジャパニリタンなら、瞳の色は黒だね」
「ううん、違うんです」
わたしは、その時、何かの大会で受賞者を発表する司会者のような気持ちでした。自分のことでもないのに、ちょっぴり誇らしいような、緊張するような。
「彼、赤い瞳を持ってるんです」
青年の手が止まりました。
自分が誰の絵を描かされようとしているのか、流石に気付いたらしくって。
「……君、片想いの恋人って……」
「切れ長の一重瞼に、神秘的な赤い瞳! 素敵ですよね!」
「……もしかして……伝説のクレイン……?」
「もしかしなくてもです!」
わたしは頬を紅潮させながら勢いよく頷きました。レジェンダリィ・クレイン――フィクションの世界で有名な、クレイン・ロードという名の超能力者です。だから、実写化作品では、演じる役者さんによって顔立ちが異なってしまうのは当たり前。アニメーション作品でも、作画によって顔立ちは様々です。……わたしが「多分」を連発してしまったのはそのせいでしたが、でも、黒髪短髪に切れ長の目で赤い瞳、というところは、どの作品でも必ず押さえてある特徴です。
何故なら、クレインが桁外れの超能力を駆使する時には、その瞳が真紅に輝く――というのが、どんな〝伝説〟にも共通して語られている事柄だからです。
所詮はフィクションの登場人物、想像上の人物じゃないか、と馬鹿にする人も居ます。でも、わたしの心には、彼の〝伝説〟は堪らない現実味を持って響くんです。若々しい姿のままで百年以上も生きている、というところにも、何だか、憧憬の息を洩らしてしまいたくなるようなロマンを感じてしまいます。
「……赤い瞳、ねえ……」
青年は帽子を目深にしながら、溜め息をつきました。
そして、そのまま無言で簡単な下書きを済ませると、水彩絵具を置き始めました。
わたしは驚きました。
「あの……それって、黒……」
青年は答えず、筆を動かし続けました。黙々と細部を描き込んでゆきます。わたしは何となく
一時間足らずで、青年は静かに絵筆を置きました。出来上がった絵をスケッチブックから丁寧に切り外し、わたしに渡してくれ、それから、画材を片付け始めます。小さなイーゼルを畳み、絵具箱を閉じ、荷物を纏め……
わたしは、彼が貸してくれた折り畳み椅子を返す為に立ち上がったものの、お礼を言うタイミングを逸したまま、その作業を見守りました。
やがて、画材一式を入れた鞄を肩に掛けて腰を上げた青年は、ミルク・リバーの白い川面を覗き込み、ぽつりと呟きました。
「……注文通りに描けなくて御免。でも、クレインの瞳の色は、黒だから」
わたしは吃驚して、帽子の中の青年の顔を見つめ――
そして、そこに、わたしの手にしている肖像画そのままの少し寂しげな笑みを見たのです。
どういうことなの。
ひどく混乱するわたしの内心を知ってか知らずか、青年は、静かに繰り返しました。
「クレインの瞳の本当の色は、黒なんだ」
あの青年は、誰だったのでしょう。
その姿は、以後二度と、ミルク・リバーの畔にはありません。
ただ、その不思議な青年の描いた肖像画だけが、彼そっくりの少し寂しげな微笑みと共に、わたしの部屋の壁に飾られているのです。
サークル名:千美生の里(URL)
執筆者名:野間みつね
一言アピール
架空世界物や似非歴史物が中心。架空世界の一時代を描く長編『ミディアミルド物語』が主力。今回の一篇は、架空の世界史の延長線上にある未来世界を舞台にした、超・超能力者クレインこと頼山紀博が主人公のSFモドキ『レジェンダリィ・クレイン』シリーズから。未発表の既存作ゆえ、珍しく4,000字に満たない(汗)。