未来予想図
「アーサーは、この戦いが終わったらどうするつもりだ?」
唐突に、ユージーン・ネヴィルはそう言った。
自分よりひとつ年上の相棒であり、同期のリーダーでもある彼がそんなことを言い出すのは、アーサー・パーシングからすれば初めてのことであった。談話室の長椅子に横たわったまま――何せアーサーの燃費はひどく悪く、一回戦場に出たらしばらくは立って歩くことすら難しい――、鈍い痛みを訴える頭を相棒の方に向ける。
「おやおや、オタクが『未来』の話をするのは珍しい」
ジーン、ユージーン・ネヴィルは変わった男だ、とアーサーは常々思っている。
生まれからして軍人一家のアーサーとは正反対に、ジーンは戦争とはかけ離れた生活を送っていた。その名残は今も欠かさず毎日行われている剃髪と纏うごく簡素な服装、そして上着の下に隠された女神ミスティアの聖印から察することができる。顔を合わせる場所が霧航士宿舎でなければ托鉢に協力してやろうか、と思う程度には修道僧然としている。
ジーンは、物心ついたころには両親とも既に亡く、辺境の修道院、中でも特別厳格な宗派で育ったという。清貧を旨とし女神の言葉を復唱して静かに暮らすという教義は、軍人には到底そぐわない。何せ女神ミスティアは争い、特に殺人を禁忌としている。
しかし、現実にジーンは自ら修道院と縁を切り、霧航士候補生に名乗りを上げた。幼い頃から己の支えであったはずの女神に背を背け、自らの手を血に染めることを「選択」したのだ。
それは霧航士になる他に選択肢を持てなかったアーサーには「傲慢」にすら映った。何せ霧航士の枠には限りがある。あえて綺麗に舗装されていた道を蹴り、わざわざ荒れ道を行く男なんかに枠を奪われてたまるかと、意固地になった時期もあった、けれど。
今となっては、意固地になっていたこと自体が馬鹿馬鹿しい、とアーサーは思っている。自分よりもよっぽどジーンの方が「霧航士らしい」ということは、現にジーンが第二世代の霧航士のリーダーを張っていることで証明されている。
それこそジーンは、アーサー以上に「霧航士霧航士以外に生きる道が無かった」のだと。今ではそう信じている。
ゆえに「霧航士」以外の姿を想像できないジーンがそんな質問をしてきたこと自体が興味深く、それでいて妙に居心地が悪く。アーサーはつい問い返してしまった。
「オタクはどうなんですか、ジーン」
「私か」
ぎりぎりアーサーの視界に入る位置の安楽椅子に座っているジーンは、今日も綺麗に頭髪を剃り上げ、しらじらとした頭部をさらしている。女王国でも寒冷地の出身らしく、残された眉と睫毛の色はほぼ銀に近い灰色で、虹彩の色も、魄霧汚染抜きに淡い。
しばし目を細めていたジーンだったが、アーサーの問いに対する返答自体はごく単純なものだった。
「軍を辞めて、巡礼をしたい」
「そう簡単に辞められると思います?」
何せ女王国の機動兵器『
だからジーンもアーサーの揶揄をことさら否定はしなかった、が。
「仮に、の話をするのはタダだろう」
「無意味ですけど」
「私たちの話に意味があったことがどれだけあった?」
「それを言われちゃあ弱いですね」
いつ戦場で限界を迎えて蒸発するかもわからない、生き残ったところで「その後」が保証されないという性質上、霧航士は刹那の快楽と無駄と無意味を愛するところがある。酒と女に入れ込むアーサーなどその際たるものだろうし、刹那主義とは正反対に見えるジーンの修道士然とした習慣も「無意味」と言い切ってしまえばそれまでだ。
そんな「無意味」を体現するジーンは顎を手で支え、ごく穏やかな声で言う。
「特に戦火が酷く及んだ場所に。自らが出撃した場所に。可能ならば帝国にも足を運んでみたい。この戦争で何が変わって何が変わらなかったのかを確かめたい」
「物好きですねえ」
お前も相当だろう、とジーンは呆れた口調で言う。確かに「物好き」というカテゴリに括ってしまえば、中でもアーサーはかなり上位に位置するであろう、という自負はある。
「それで、お前はどうなんだ、アーサー」
「考えたことがなかったです」
一言だけ。
アーサーは、青ざめた顔に笑みすら浮かべてそう言った。
「どんだけ甘く前提を定めても、戦争が終わる頃には蒸発してる計算です」
「撃ち落されるとは思ってないんだな」
「オタクと組んでる限り、そりゃねーでしょ。信じてますよ、相棒」
アーサーの
が、僚機の『ハムレット』がいれば話は別だ。霧から防御壁を生み出す紅の
だから、アーサーはそんな僚機の期待に応えるべく日々全力で戦っている。自分の中の大切な何かが削れていく感覚を、いっそ「快感」と錯覚しながら。
ジーンは、鋭く冷たい色の、けれど不思議と慈愛を感じさせる目でアーサーを見下ろし、ぽつりと言った。
「生きて帰るつもりは無いのか」
「あったら手加減してます。そしたらとっくにオレもジーンも海の底ですけど」
何せ、アーサーは『出来損ないの』霧航士だ。長らく第二世代の補欠にあり、第一世代の蒸発によってかろうじて正規番号を持つ
「どうせ帰る場所もないんです、ぱっと戦ってぱっと散った方がすっきりしません? 後のことなんて面倒も考えずに済みます」
「お前の言い分はよくわかった」
わかっていただけて光栄です、とアーサーはおどけて言う。もちろんジーンが「わかった」と言いながら、納得できていないであろうことも、わかった上で。
「ジーンは優しすぎますよ」
「何がだ?」
「今のオレの話で『第二世代全員をどうすれば生かせるか』考えようとしたでしょう」
ジーンは僅かに眉を寄せたが、それが図星をつかれた、という顔であることくらいは、長年の付き合いだ、すぐにわかる。
「無理です。いや、ゲイルとオズは生きて帰るでしょう、あいつらにとっては『その後』が本番ですし。でも、オレと、多分トレヴァーはそうじゃない。オレたちは
それと、生きて帰したい『全員』にジーン自身が含まれていないことだけは、アーサーにだってわかる。
「背負いすぎですよ、ジーン。確かにオタクはオレらのリーダーです。でも『霧航士という存在の責任』を負うのは俺らの上であって、オタクじゃあない」
「それでも。お前たちと共にいるのは、私だ」
その、穏やかながらも断固たる言葉こそが、どれだけアーサーを救ったか。他の霧航士を救ったか。その一方で、ジーンという個人をどれだけ削り続けてきたのか。ただ、それを今更この男に指摘する気にはなれなかった。それで変われるなら、とっくに変わっているし、変わることができないからこそ、ユージーン・ネヴィルは『第二世代のリーダー』なのだ。
「だから『仮』の話をしよう、アーサー。『もしも』生きて戦争を乗り切った日の話をしよう」
そして、話は最初に戻る。
それはジーンの「祈り」なのかもしれなかった。きっと帰れないであろう我々への、無意味な、けれど今この瞬間のジーンにとって、もしくはアーサーにとっても必要な祈り。
だから、アーサーも真剣に考えてみる。戦争が終わった後。後ならば、できることはたくさんあるだろう。けれどアーサーは特段「やりたいこと」があるわけではない。
「あ、やたら難解なクロスワードパズルを新聞社に送る嫌がらせをして小金を稼ぐクソ野郎とかどうでしょう?」
アーサーらしいな、とジーンはくつくつと笑う。アーサーが得意とするのは暗号作成と解読、趣味のレベルならば「パズル」と呼ばれるもの全般である。これは同じく高速演算並列処理型の同期、オズにも負けない自身がある。頭の使い方が違うのだ。
ひとしきり笑いを漏らしていたジーンは、不意に「ああ」と顎をさすって言う。
「案外、作家とか似合うんじゃないか?」
「作家、ですか?」
思わぬ言葉にアーサーは思わずジーンの言葉を鸚鵡返しにする。だが、それは聞き違いではなかったらしく、ジーンは鷹揚に頷いて、珍しく冗談でも言うような口調で続ける。
「お前の書く文章は面白いからな。我々の話でも書いたらきっと売れるぞ」
「はっは、『実録、霧航士!』なんて、検閲の段階でバッサリですぜ、絶対」
「しかし、いつかはそうならない時代もくるはずだ。その時に」
――もし、お前がその場にいるなら見てみたい。
ジーンの声は、やはり、祈りの響きを帯びていた。
「無理ですよ」
アーサーはその言葉をばっさりと切り捨てる。
「そうだろうな」
ジーンも否定はしない。
「喉渇きましたね、茶ぁ、淹れます?」
「お願いしてもいいだろうか」
言われて、用意するのは二人分のティーカップに紅茶のポット、それにミルクピッチャー。ミルクを先に注ぐのがアーサーの流儀。アーサーの好みはミルク多めで甘さは控えめで、ジーンの好みはミルクも甘さも控えめ。
どこまでも普段通りの手続きを繰り返しながら。
「無理ですよ」
もう一度。
アーサーは、僅か脳裏によぎってしまった未来のイメージを振り払うように、呟いた。
サークル名:シアワセモノマニア(URL)
執筆者名:青波零也
一言アピール
「幸せな人による、幸せな人のための、幸せな物語」をモットーに、ライトでゆるふわな物語を綴る空想娯楽屋。不思議な架空都市を舞台にした現代もの、霧深き世界に生きて逝く人々のSF風ファンタジーを中心に取り扱っています。こちらはテキレボ新刊の『霧世界報告2』収録予定作です。