Candy box

 ブラウンの長髪を風になびかせ、パティ・バグウェルは赤いレンガ道を歩いていた。彼氏にプレゼントされた新作ハイヒールは、靴擦れも起こさない優等生らしい。ウィンドウショッピングももう終盤だけれど、足は軽やかなまま。通りかかった店の窓ガラスには、艶めいた笑みを浮かべた女性が映っている。張りつめた胸元に、スカートから伸びる長い脚。大きな金色のリングピアス。
 ――うん、あたし今日も決まってる。
 上機嫌で視線を前へ戻すと、隣の本屋から出てきたらしい女性がパティを見て立ち尽くしていた。ひどい癖毛の金髪に、黄土色の瞳。もう温かくなってきたのに、クリスマスカラーの肩掛けをしている。
「…もしかして、レイラ?」
 浮かんだ名前を口にすると、女性が目を見開いた。
「や、やっぱり…パティなの?」
「そうよ、どうしたのこんな所で!久しぶりじゃない!」
 手にしていたブランドの紙袋を腕にかけ、パティはレイラの肩を叩いた。初等学校を卒業して以来だから、もう10年以上になる。ちょっと猫背ぎみなのも、下がり眉なのも変わらない。
「さ、最近越してきたの…初めての一人暮らしっていうか…」
「そうなの。あ、ねぇもしよかったらお茶しない?」
「うん。ちょうど、その、用事が済んだところだから。」
 控えめな微笑みを浮かべて、レイラは本屋の袋を軽く持ち上げた。
「よーし、じゃあ決まり。いきましょ!」
 ちょうど、行きつけの喫茶店が近い。看板を指差して2人で歩き出す。パティがこの街に来たのは半年ほど前だから、少しは案内ができるつもりだ。擦り切れて裾がほつれたジーンズを履いているレイラに、おすすめの服屋も紹介しなくては。
「ああ、よかった。席も空いてるわね。」
 通りに面した喫茶店の壁はガラス張りで、中の様子がよく見える。ドアを開けたパティが振り返ると、レイラは歩道で前を見つめたまま驚いた顔をしていた。
「シンシアちゃん…」
 呟かれた名前にどきりとする。レイラの視線を辿ると、銀髪の女性がこちらに歩いてきていた。向こうも気付いたらしく、髪と同じ銀色の瞳を丸くしている。
「…もしかして、レイラとパティ?」
「うそ、うそうそ!」
 こみ上げる気持ちが押さえられず、パティは荷物も取り落として女性に駆け寄った。
「シンシア!貴女までここにいるなんて!」
「どういう事?」
「私達たった今偶然会って、これからお茶するところよ。貴女もどう?」
 来るわよね?と、腕を絡ませる。シンシアが苦笑した。
「えぇ、せっかくだから。」

 3人は喫茶店に入り、飲み物だけ注文して4人席をとった。空いた1席はパティの買い物袋が占拠して、パティはクリームがたっぷり乗ったアイスのカフェモカを、レイラは温かいダージリンティーを、シンシアはアイスコーヒーを、それぞれテーブルに置く。さっそくクリームをぺろりとやりながら、パティが聞いた。
「シンシア、仕事は何してるの?」
「警察。」
 ヒュウ。パティが口笛を吹いた。
「そういえば、貴女はお父さんが警察官だったわね。」
「えぇ。あなた達は?」
「あたしは、仲介人っていうの?人材派遣みたいな事してるわ。レイラは?画家さんになるって言ってたけど…」
 スティックシュガーの袋を畳んでいたレイラが、顔を赤くする。
「その…い、いい一応、絵を描く仕事…。」
「本当?すごいじゃない!」
「あ、ありがと…」
 照れ笑いしながら、レイラはふと視線を空中で彷徨わせた。シンシアが首を傾げる。
「どうしたの。」
「虫が…」
「虫?」
 パティが軽く辺りを見回し、不思議そうに肩をすくめる。目をこするレイラをよく見ると、クマができていた。睡眠不足はお肌の天敵だ。パティは愕然としてレイラの頬に手をあてる。
「ちょっと…全然寝てないんじゃないの、貴女。」
「うん…最近ちょっと、寝つきが悪くって。」
「も~、駄目よ!睡眠はしっかりとらなくちゃ。女の子でしょ!」
 ブランドバッグからメモ帳を取り出し、パティはおすすめのアロマを書きつける。世話焼きなのは相変わらずのようだ。シンシアが小さく微笑んで見つめていると、パティが笑った。
「なぁに?そんなに見られたら、流石に照れちゃうわ。」
「変わらないなと思って。あなたはおしゃれで、明るくて、そう…〈楽しいキャンディーボックス〉。」
「あ、それ…懐かしいね。」
 レイラがくすりと笑う。パティはなんだったかしら、と顎に人差し指をあてて、思い出した。まだ幼い少女だった頃の話だ。

 ――ねえ、自分を〈箱〉にたとえたら、中身は何だと思う?

『私はね、キラキラしたお菓子!カラフルなケーキにサクサクのビスケット、マカロンにシュークリーム、たくさん、それはもうたくさんよ。明るくて可愛くて、楽しいお菓子箱キャンディーボックス!』
『わあ…すてきだね!あの、パティにぴったりだと思う!』
『でしょ!そう言うレイラは?』
『私は…赤い絵の具が入ってる、かな…フタは開いてるから、箱の外までたらたら溢れてるの。』
『へえ!いいわね、あたし赤って強くって好きよ。シンシアは?』
『うーん…棚になってて…本がたくさん入る。』

「――それってまるきり本棚じゃない、って言ったわね。ええ、思い出した。懐かしいわ」
 ネイルがきらめく長い指を頬にあて、パティはうっとりと目を細めた。生真面目なシンシアと引っ込み思案なレイラ、お調子者のパティ。幼かった3人の少女が、それぞれ成長した姿で揃っている。
「シンシア、どう?貴女の中身は今でも変わらない?」
「…色々と物が増えて、箱が大きくなったような気はする。」
「お、大人になると、結構変わるもんね。」
 レイラが苦笑し、少し寒そうに腕を擦った。レイラの中身も今では色が変わり、割れたステンドグラスが混ざっているという。今のレイラがどんな絵を描くのか、また見せてもらう機会があるだろうか。次の再会を考えて、ふとシンシアを見る。
「そうだ、あたし達は今この街に住んでるけど、シンシアは?今どこに住んでるの?」
 あんまり遠いと会えないわよね、と聞いてみる。シンシアはほんの2駅隣なので気にしなくていいと言った。パティが時折ブティックを漁りに行く駅だ。どうやら一人暮らしをしているらしい。これはぜひ遊びに行かなくては。
「ね、その部屋は彼氏も呼んだりするの?」
「そ、そんなものはいない。」
「ええー?本当かしら。」
 にやにやして頬杖をつき、パティは2人の友人を眺めた。しっかり者のシンシアと、友達思いなレイラ。仕事仲間にも紹介したい。グラスの中の氷をカラカラと回して、そうだ、と携帯電話を取り出した。
「ね、連絡先交換しましょ。せっかく会えたんだもの、これきりじゃ勿体ないわ!」

  × × ×

 夜、パティは薄暗いバーのカウンター席に座っていた。派手なシャツを着た男にメモ紙と写真を渡す。
「これ、名前と電話番号、住所ね。」
 男は写真をじっくりと眺め、口角をつり上げて笑った。
「いいね。癖毛の方も磨けば光りそうだ。お前、今日は休みとか言ってなかったか?」
「偶然仕入れがあったから、臨時収入が欲しくなっちゃって。」
 ぱちんとひとつウインクして、パティはカクテルを喉へ流し込む。濡れた唇が弧を描いた。
「初等学校での、あたしのお友達よ。」
「はっははは!ダチを売るのか!」
「やだ、そんな言い方しないでよ。2人にはもっと楽しい事を知ってほしいの。気持ちよくてお金も貰えるなんてハッピーでしょ?」
「無理矢理でもか?」
 カチリ、金色が鳴る。煙草を取り出した男にライターの火を差し出し、パティは困り顔で笑った。
「だって、放っといたら知らずに終わりそうなんだもの。ああいう子達は、強引に押し切られなきゃ進まないのよ。」
「善意ですってか!っはははは!」
「ああでも、シンシアには気を付けてよ。父親が警官だし、本人も警察に入ってるみたいだから。」
 メモにも備考として書かれている。男は煙を吐き出した。
「大丈夫だ、そういう女を泣かすのが好きな奴はいくらでもいる。何ならオヤジからも身代金がとれるよう、計画立ててやるよ。」
「あら、そしたらあたしへの報酬は?」
「もちろん。それにいつも通り、評判・・が良かったら追加だ。」
「よしよし!ふふ、楽しみだわ。」
「面白い話をしてるね。」
 聞き覚えのない声がした。2人が振り返ると、店の入口近くに茶髪の男が立っている。さっきまで常連客しかいなかったし、ドアベルの音も聞こえなかったはずだ。男は人の良さそうな顔で言った。
「なるほど、君はお菓子じゃなくて魅力的な女性キャンディーを集めてたわけだ。」
「んだてめぇ…どっから入ってきやがった!」
 男達が殺気立つ。店にいる人間は店主も客も、十数人全てがパティの仕事仲間だ。ゆらりと立ち上がり、よそ者をジリジリと囲んでいく。何度か見た事のある光景だ。暴行の嵐でぼろきれのようになるか、死んでしまうか、この男はどちらだろう――そう考えながら、パティはカクテルに手を伸ばした。

「――……。」
 店を沈黙が支配している。
 茶髪の男がパティ以外の全員を床に沈めるまで、ほんの数分もかからなかった。男の青い瞳がこちらを見る。背筋が凍りつく。勝手に喉がしまる。でも何か言わなくては。
「ね…ねぇ、貴方すごく強いのね。びっくりしちゃった…」
 後ずさろうにも、カウンターが邪魔でどこにも行けない。
「ど、どう?これからあたしとホテルとか。絶対楽しいわよ。」
 男がこちらに歩き出す。言葉が早口に飛び出していく。
「自信あるの!×××だって×××だってできるし、ね?良い事しましょうよ。こんなに強い人とできるなんて嬉しいし、た、足りなければお金なんていくらでも、」
 もう、一歩前にいる。声が掠れる。
「だ…だから、痛い事は…」
「ごめんね。」
 男は朗らかに笑った。
「君にしてほしい事、特にないや。」
「――っ!」
 手が伸びてくる。首へ、まっすぐ、いや、嫌、嫌――…

「待って。」

 よどんだ空気を強い声が貫いた。男の手が止まる。足音がして、パティの視界にシンシアが現れた。思わず涙がこぼれる。
 ――よかった、シンシアは警察の…でも、この男に勝てるとは…

あなたが・・・・そんな人に触らないで・・・・・・・・・・。」

「…え…?」
 どういう意味だろう。思わず声を漏らしたパティを、シンシアが険しい顔で見ている。男は黙って軽く両手を上げ、素直に引き下がった。パティの背に冷や汗が流れる。血の気が引く。
「パティ。」
 シンシアは目をそらさない。
「政治家であるお祖父さんのおかげで、普通の警察ではあなたを止められなかった。だから私達が来た。正直、とても残念。」
「待って…ねえ、待ってよ。」
 シンシアが――犯罪者を睨みつける警官が、近付いてくる。
「う、嘘でしょ?あたしたち友達じゃ――」
「あなたはいい人だと思ってた。」
 シンシアはパティの腕を掴むと、後ろ手に拘束して床に引き倒した。カウンターに入り込んだ男が、店で使われているタオルと布巾を投げ渡す。それらをキャッチし、シンシアはかつての友を脚で押さえつけて猿轡を噛ませた。煩わしくバタつく脚も縛り上げておく。

「それにしても、子供は変わった遊びをするもんだね。」
 男が声をかけた。シンシアは立ち上がり、足元で蠢く女から離れてカウンター席につく。男は店の果物を勝手に切り分け、フォークと共に皿に乗せて差し出した。
「箱を見た他人がどんな中身を思い浮かべても、実際に入っている物は持ち主本人しかわからない。確かに、人間もそういうものかもしれないね。」
「…あなたは、自分の中身は何だと思う?」
 フォークを手に取り、シンシアは男の青い瞳を見上げた。
「どうかな。君は、僕の中には何が入っていると思う?」
 そのまま返されてしまった。答える気がないと見て、シンシアは諦めて皿に目を落とし、ピンクグレープフルーツにフォークを突き刺した。男が笑う。
「まあ僕は、中身がどうだろうと君が好きだよ。」
 嬉しくもない軽口を聞きながら、冷たい果実を咀嚼する。暴力の果てに気絶し、あるいはただ拘束されて人間が床に転がる店内で、自分で切った果物をそのまま口に運ぶ男を眺めて。
「苦い。」
 率直な感想を呟き、シンシアは次へとフォークを向けた。

  × × ×

 もうちょびっとしか残っていない酒瓶を片手に、レイラは夜の公園を歩いていた。
外に出るのは億劫だが、これが最後の酒なのだから仕方ない。明日には宅配で追加が届くけれど、こんな量ではそれまでもたない。酒が切れると手が震えて、絵が描けなくなってしまう。
「まぶし…」
 電灯の光に目を細める。もう少し池を回り込んで道路に出れば、夜中でもやっている酒屋が見えてくる。そこまでの辛抱だ。
 レイラが気だるげに歩くその先には――死体が落ちている。花壇すらないただの芝生にぽつりと、赤く染まった服を着て、命も四肢も投げ出して、夜空をめいっぱい仰いでいる。
「あ、虫。」
空中を辿るレイラが気付くまで、あと3秒。
 一陣の風が吹く。

 死体にばら撒かれた花々が、ひらりと花弁を手放した。


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サークル名:藤墨倶楽部(URL
執筆者名:鉤咲蓮

一言アピール

ファンタジー、怪奇、コメディなど様々なジャンルの書き手がいます。
既刊はHPにて試し読み可能ですのでぜひ!

こちらは鉤咲蓮 個人本『Joke Ⅰ』の関連作品です。
同シリーズのテキレボアンソロ参加作品は他に
嘘「Joke」 海「Color glass」 花「Gardenia」があります。


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