薔薇の花を食む

「みんなー、おやつたーべよ!」
 良く晴れたある日の事、友人が元気よくそう言って部室である生物室のドアを開けた。
「どうしたんだ竜ケ崎。急におやつだなんて」
 僕が鞄の中に手を突っ込んでいる竜ケ崎にそう訊ねると、彼は鞄の中からガラスの瓶をふたつと、ラップのかけられた皿を取り出した。皿の上には丸いフォッカチオが何枚か重ねられている。
「いやーこの前、千葉の薔薇園行ってさ、薔薇のジャムと蜂蜜買ったからみんなで食べようと思って」
 そう言いながらいそいそとフォッカチオにかけられたラップを外す竜ケ崎に、僕の隣に座っていた同じ部活の友人、松戸が不思議そうに訊ねる。
「ジャムと蜂蜜はわかりましたが、そのフォッカチオはどこで買ったんですか?」
 続いて、僕の正面に座っていた後輩女子の水海道も口を開く。
「フォッカチオって、スーパーとかには売ってないですよね?」
 ふたりの問いに、竜ケ崎は自慢げに答える。
「今日は陶芸の授業で窯に火を入れる日だったからさ、その時焼いたんだよ」
「常々思うんだがなんで美術科はそんな事が許されているんだ?」
「焼き林檎はさすがにダメって言われた」
「だろうな」
 以前から何度か竜ケ崎は授業中に窯を使ってパンやピザを焼いていて、何故それが許されているのか、僕には疑問で仕方なかった。
 きっと僕は難しい顔をしていたのだろう。隣で松戸がくすくすと笑いながら僕に言う。
「小絹君だって、竜ケ崎君が焼いたパンとか、好きでしょう?」
「あ~……それは……」
 そこを突かれると痛い。なんだかんだで竜ケ崎が焼くパンは美味しいし、僕だって美味しい物は好きなのだ。
 思わず頬が熱くなるのを感じていると、水海道がにこにこと笑って竜ケ崎を見る。
「竜ケ崎先輩、お料理得意なんですね! すごいです!」
「製パンならまかせろー!」
 いや、この学校にある窯はパンを焼く窯ではなく粘土を焼く窯だろう。
 まぁ、僕が何をどう言っても一緒に食べている以上説得力は無い。だから大人しく竜ケ崎が用意したフォッカチオと向き合った。
 ところどころ膨れ上がっていて、こんがりとした焼き色が付いているのがもう見た目からして食欲をそそる。
「それじゃあ早速食べようか」
 竜ケ崎が瓶に手を掛けて蓋を開けると、甘い香りが漂った。これを小麦が香ばしいフォッカチオに付けて食べるのかと思うと期待が高まる。
 早速手を伸ばしてはたと気づく。
「ん? ジャムと蜂蜜を取るスプーンはないのか?」
 僕のその言葉ではっとした松戸が、教室前方を見て僕達に訊ねる。
「引き出しから薬匙出してきましょうか?」
「おいやめろ。生物室の備品の薬匙で掬った蜂蜜を食べる勇気は無いぞ」
 松戸と僕でそんなやりとりをしていると、竜ケ崎が鞄の中から白いプラスチックで出来たヘラのような物を取りだした。
「スプーンは無いけど使い捨てのパレットナイフならある」
 パレットナイフという事は、本来油絵の具を混ぜる物のはずだけれど、使い捨ての物とのことだし薬匙を使うよりは安全だろう。
 竜ケ崎からパレットナイフ二本を受け取り、机に付いている蛇口を捻ってそれらを洗う。
 そうしていると、水海道が立ち上がってぱたぱたと教室前方へ行き、引き出しの中から紙コップを出してきた。
「折角だから! お茶も淹れましょう!」
「おー、いいな。お前らなに飲む?」
 水海道から紙コップをふたつ受け取った竜ケ崎が僕達に訊ねる。窓辺に置かれたプランターをぐるっと見渡して、どのハーブお茶を入れるか選んで伝えた。
「僕はレモングラスで」
「はいよー」
 僕のリクエストに、竜ケ崎が紙コップに細長い葉をちぎって入れていく。
「僕はミントでお願いします」
「はーい!」
 松戸のリクエストに、水海道が紙コップに丸っこい小さな葉を摘んで詰めていく。
 ふたりが紙コップに茶葉の用意をしている間に、松戸は教室背面にある棚からビーカーを出して水を注ぎ、それをガスバーナーで火にかけてお湯を沸かしはじめた。
 茶葉のはいった紙コップを僕に渡して椅子に座った竜ケ崎が言う。
「なんか思ったより本格的なお茶会になったな」
 上機嫌な様子の竜ケ崎に、松戸がにこりと笑って言う。
「こういうときのために育てたハーブでしょう」
「いや、そう言うわけでは……」
 別段生物部で育てているハーブはお茶にするための物ではないのだけれど、そう言えば育てている理由がわからない。確か、水海道が入部したときにハーブを育てたいと言って、そうだ。薬草として文化祭の時にサシェにして売るために育てているはずだ。いや、どうなんだろう。わからない。
 僕が考え込んでいる間にもお湯が沸いてお茶の準備ができ、改めてみんなでフォッカチオに手を伸ばした。
 いただきますをして、おもいおもいにパレットナイフでジャムや蜂蜜を掬ってフォッカチオに塗る。蜂蜜は喉を刺すような濃厚な甘さで、ジャムは口に含むと花の香りが抜けていく。
 こういう甘い物は普段食べないので夢中になって囓っていると、突然竜ケ崎がこう言った。
「そういえば、薔薇の花って実際どんな味なんだろうな。美味しいのかな?」
「そうだな。赤や紫とか色の濃い薔薇は渋味が強い。食べやすさで言えば白や黄色やピンクあたりの色の薄いやつが渋くないし、蜜の味もわかりやすくて美味しいぞ」
「え……小絹なんで即答できんの……?」
 なぜ即答出来るのか。理由は単純で、お腹を空かせて何も食べる物が無いときに、庭に咲いている薔薇を食べていた時期があっただけなのだけれど、それを言ってしまうと変な疑惑を呼んでしまいそうなので口を噤む。
 すると、松戸がじみじみとこう言った。
「なるほど。小絹君が薔薇を食べるなんて、とても絵になりますね。とても」
 単純に思った事を言っているだけなのだろうけれども、何故か他意を感じる。何故だ。
 それに気づいた様子もなく、水海道が口の中の物を飲み下してからこう訊ねた。
「他の先輩は! お花を食べたりしないんですか!」
 その質問が出ると言う事は、水海道は日常的に花を食べているのだろうか? そう思っていると、竜ケ崎がパレットナイフで円を書きながら答える。
「そんな積極的には食べないけど、だいぶ前に食べたパンジーがキュッてなったケーキは美味かったな」
 擬音で言われてもどういう状態のパンジーなのか想像出来ない。キュッとなったパンジーがどういう物か考えていると、松戸も斜め上を見ながらこう答えた。
「僕の家では、毎年松の花が咲く時期になると、松の花を取って蜜で煮詰めてお菓子にしてますね」
 一体どんなものなのだろう。まず松の花が想像出来ない。けれども、蜜で煮詰めるというただそのひとことで、とても美味しい物なのだろうなと感じた。
 身近な物のようでいて、案外花をイメージするのは難しいのだなと思っていると、竜ケ崎が薔薇のジャムをフォッカチオに塗りながら水海道に訊ねる。
「お前はお花食べたりするの?」
 すると、松戸が思い出したように言う。
「そういえば、ハーブはお花もお茶にしたりしますよね。
水海道さんの家はハーブをかなり育てていると聞いたので、結構お茶にしているとか」
 すると、水海道は嬉しそうに答える。
「えっとですね! カモミールはお花をお茶にしてます!
マロウブルーもお茶にしたいんですけど、あれは収穫するのが難しいから、葉っぱを食べてます!」
「マロウブルーの葉っぱを?」
 そんな話は初めて聞くので、つい疑問が口を突いて出た。竜ケ崎も松戸も、マロウブルーは花だけを食用にすると思っていたようで目を丸くしている。
「火を通すと、ちょっとねばっとして美味しいんです!」
「はぁ~ん、モロヘイヤ的な?」
「そうですん!」
 どうやら竜ケ崎はイメージを上手く掴めたようだ。確かに、モロヘイヤと言われればなんとなくイメージが掴みやすい。
 この話に端を発して、ハーブの食べ方の話で盛り上がる。僕もそこそこハーブには詳しいつもりでいたけれど、水海道はそれ以上にハーブについて詳しくて、実食経験も豊富だった。お茶にするだけでなく、サラダや炒め物、煮物に揚げ物、もちろんお菓子の作り方なども、いろいろと聞かせてくれた。
 それに刺激されたのか、竜ケ崎が興奮気味にこう言った。
「すっげぇぇぇぇ! 俺も花のお菓子作りたい!」
 そう言って、薔薇のジャムを見つめながら、イメージを膨らませているのか取り留めもなく作りたい物を口ずさんでいく。
「そうだよな、薔薇の花とか砂糖漬けにしてクッキーに入れても良いし、花びら多めでジャムにしてドーナッツに入れても良いよな。
あー、でも、ゼリーだったら学校で作れるかな」
 それを聞いた松戸が驚いたように言う。
「え? 学校でゼリーが作れるんですか?
家庭科室を借りるとか?」
 それに対し、竜ケ崎の答えはこうだ。
「いや、日本画準備室にIHヒーターと冷蔵庫があるからさ」
「ああ、なるほど」
 機材が揃っているならと納得していると、さらにこう付け加えてきた。
「それに、常に三千本膠が置いてあるからな!」
「それは食用じゃない」
 薔薇の花以外をすべて学校の備品でまかなおうとする竜ケ崎を軽く窘めはしたけれど、実際作って持ってこられたら食べてしまうのだろうなと、少しだけ頬が熱くなった。


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サークル名:インドの仕立て屋さん(URL
執筆者名:藤和

一言アピール
現代物から時代物まで、ほんのりファンタジーを扱っているサークルです。
こんな感じのゆるっとした物から少し堅めの物まで色々有ります。
基本読みきりですが、いっぱい集めるといっぱい楽しいよ。


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