宝物


意外なことに、切り裂きジャックはふたりいた。
怪盗ジャック・ザ・リッパーは依頼したものを何でも盗んでくれるとSNSで話題になっていた。それを小耳に挟んだ私は何日もかけてやっとジャック・ザ・リッパーに連絡できるメールアドレスを手に入れた。これさえあれば、あれが手に入る。メールを送ると数日後に事務的な返信が来た。指定されたファミレスにやってきたのが三十分前。一杯目のオレンジジュースを飲みほした頃、ふたり連れの男性が私の席の前に座った。
「君が小川真由ちゃん、かな」
パーカーの男の人が煙草をテーブルに置きながら話しかけてきた。私が小さく頷くと、もうひとりの男性が置いた煙草を乱暴に取り上げて、自分のポケットにねじ込む。
「何すんの」
「未成年の前で吸う気か」
パーカーの男の人は渋々という感じで手持無沙汰にメニューを捲りながら、「気を取り直して、」と話し始めた。
「はじめまして、俺がジャックです。こっちは翔ちゃん。よろしく」
「……はあ」
「早速本題に入るけど、俺に仕事を頼むときの『約束』は確認してくれた?」
ひとつ、依頼の内容は他人を傷つけるものであってはならない。
ひとつ、依頼人はジャック・ザ・リッパーに嘘を吐いてはならない。
私が復唱すると、正解だと言うようにピンポンとジャックさんが呼び鈴を鳴らした。注文を取りに来た店員にカツカレーとドリンクバーふたつを頼む。
「わかっているなら結構。さ、依頼内容を聞こうか」
「友達の宝箱を盗んできてほしいんです」
「宝箱?」
反応したのは翔さんの方だった。ジャックさんは黙ってコーラを飲んでいる。
続きを目で促され、私もコップの中のジンジャーエールで口を潤す。
「同じクラスの坂下乃梨子が持ってる小さな箱です。私が欲しいのはそれだけ」
「もっと詳しく聞きたいんだけど、それを手に入れて君はどうするの?」
「取り返すんです。その中の、私の宝物」
坂下乃梨子とは幼稚園の頃からの幼馴染だ。高校生になった今でも同じ学校に通っている。が、彼女との交流は中学校の卒業式で途絶えてしまった。それまで友達の誰より親しくしていたのに、離れるときは簡単だった。彼女のことを今も『友達』と呼んでいいのか本当はわからない。便宜上、ジャックさんと翔さんには『友達』という言葉を使わせてもらったが。
ジャックさんは「ふうん」と興味があるのかないのかわからない相槌を打って、カレーの上に乗っているカツをスプーンで切った。
「成功したら、いくらくれるの?」
来た。
それが心配だった。私はしがない高校生。学校の校則でバイトも出来ない。プロの泥棒に頼むのだ、いくらが相場なのかわからなかった。
私はリュックから封筒を引っ張り出して、ジャックさんの目の前に置いた。
「これが私の全財産です。駄目でしょうか?」
どきどきする心臓を落ち着けるように呼吸する。翔さんもちらりとジャックさんの様子を窺っていた。
彼は封筒を手に取って中身を確認すると、「うん」とひとつ頷いた。
「了解。依頼を受けましょう」

***

前を歩くジャックの背中を見ながら、「なあ」と俺は声をかけた。ジャックは煙草を咥えたまま少し振り返る。
「高校生から金をとるのか?」
「くれるって言ってるもんを貰っただけだろ」
しらっとしながら言ってのける彼に違和感を感じる。ジャックはいつだって俺に本心を明かさない。
「何か考えがあるんだろう?」
「そんな立派なものじゃないよ」
普段は現場に付いてこないくせに、そんな言い訳は苦しくないか?
「俺はな、翔。嘘が嫌いなだけだ」
聞き返そうとしたが、目的地についてしまった。
「さて、と。じゃあ、始めますか」
今回もジャックにはぐらかされたまま、ミッションはスタートしてしまった。

***

ジャックさんから依頼品の引き渡しの連絡が来た。
本当に乃梨子の宝箱を盗んでしまったんだ。私は高揚感に溺れそうになりながらも学校では平静を装っていた。箱が盗まれてもいつも通りに生活しているような乃梨子の態度を見ながら、その日はやってきた。
以前も来たファミレスに着くと、今回はもうすでにジャックさんと翔さんがボックス席を座っているのが見えた。
「遅れました」
急いでふたりに声をかけると、翔さんが「全然」と人のよさそうな笑顔で答えてくれる。ジャックさんはこちらを見て、「まあ、座んな」とテーブルを二度叩いた。
私はそわそわしながらソファに座る。
「何か食べる?」
「いえ、ドリンクバーで」
メニューを差し出そうとしたジャックさんを手で制し、私は「それで、」と急かすように彼に言った。
「例のものは」
「せっかちだなあ」
呆れるように言って、ジャックさんはテーブルの上に紙袋を置いた。
「これが君の依頼品。ご査収の程」
お礼を言うのも忘れて、私は袋から箱を取り出した。小さな木で出来た箱だ。年季が入っている。
蓋を開けようとしたが鍵がかかっている。私は焦って鍵が壊せないか、乱暴に箱をガチャガチャいわせてみた。意外にしっかりした箱と鍵はどうしても壊せそうになかった。
ひとまず落ち着こうと息を吐き出した。
鍵はダイヤルロックになっている。当てずっぽうで試してみるのがいいか。
「何でそんなにも必死なの?」
ストローを咥えてジャックさんが言った。私はふたりが目の前に座っていることも忘れていたので、弾かれたように顔を上げる。
「だから、私の宝物が」
「それがそんなに大切なの?」
当り前じゃないか。
中学校の卒業式の日、私は乃梨子にこっそり手紙を渡した。
乃梨子と初めてクラスが離れたのは三年生の時。彼女がクラスで無視されていることに気が付いていたのに、私は何もしなかった。自分に飛び火することを恐れて、乃梨子と話さなくなっていた。
「あ、そうだ。これ、返しとくな」
ジャックさんが徐に封筒を取り出す。見覚えのあるその封筒は確かに私がこの前彼に渡したものだった。
私がどういうことなのかと目を丸くしていると、ジャックさんはにこりと笑う。
「実はその箱は盗んだわけじゃないんだ。乃梨子ちゃんから預かってきただけ」
「え、」
楽し気にストローの袋を丸めながら私の方を見る。
「事情を話したら快く貸してくれた。だから丁寧に扱ってね」
「じゃあ、鍵は、」
「乃梨子ちゃんの一番の友達の誕生日らしいけど」
完全に楽しんでいる顔で笑うジャックさんの言葉を聞いて、私の手は完全に止まった。一番の友達。私は今の乃梨子の交友関係なんて知らない。知らない、から、ひとつだけ知っている番号を入力する。それは私の希望でしかないけれど。震える手で押したのは、私の誕生日。
カチリ、と鍵が開く音がした。
「開いた……」
蓋をゆっくりと開くと、それはオルゴールだったようで、ポロンポロンと音を奏で始めた。曲はジョン・レノンの『Imagine』。
箱の中には薄いピンク色の封筒が一枚入っていた。私が乃梨子に渡した手紙だった。
ひとつの賭けだった。
幼稚園の頃から乃梨子が大事にしていた宝箱の中に私を置いてくれているなら。私の手紙なんてもう捨てられているかもしれない、そう思ったけれど。
もしも、乃梨子が私のことをまだ友達と思ってくれているなら。
「いい選曲だ、『Imagine』か」
ジャックさんが歌を口ずさむ。
「『想像』してみなよ。乃梨子ちゃんが何で君の手紙を宝箱に入れていたのか。何で暗証番号が君の誕生日なのか」
それは私の『想像』でしかないけれど、きっと、
「乃梨子はまだ私のことを友達だと思ってくれてるの……?」
手紙に書いた。『ごめんね、本当は大好きだよ』。自分が可愛くて乃梨子に寄り添ってあげられなかったくせに、なんて都合のいい言葉。
私は封筒を縦に引き裂いた。
「これは私の口で言わなきゃいけない言葉だったから」
大丈夫、きっと言える。
私は紙袋にオルゴールを押し込んで、ファミレスから飛び出した。

***

「どこまで知ってたんだ?」
俺が尋ねると、ジャックはストローにはを立てながら首を横に振った。
「何にも。ただの偶然だ」
「ふうん」
そう言われてしまっては信じるしかない。
ジャックがまた『Imagine』を歌いながら、満足そうに笑った。
「『想像』してみろよ。そして、それが『想像』だけじゃなくなった時、きっと、世界はこんなにも優しいんだ」
破かれた封筒に目を落として、彼女たちの仲直りを『想像』してみるのだった。


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サークル名:ばらいろ*すみれいろ(URL
執筆者名:伊東かやの

一言アピール
『切り裂きジャックを待ちながら』の番外編になります。本編もよろしくお願いします。


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