さよなら兄さん、さよならピンクローズ
ピンク色の銃をこめかみに当てて、引き金に指をかける。部屋はお菓子の香りで満ち、丸い窓から眩い光が注ぐ。
なんでこんなことをしてるかって?
それじゃあ、引き金を引くまでの短い間、僕の話をしようか。
僕の名前はロゼ。これから一人きりで死ぬ裏切り者の名前だ。
始まりは明るい庭園だった。大人の手に引かれて薔薇のアーチを潜ると、そこにはアリスのお茶会のような光景が広がっていた。
「……は、はじめまして。ぼくはロゼットです。ロゼって呼ばれています。赤色が好きだからです。本当はピンク色が好きですが、男の子は赤色じゃないとだめだと言われて……えっと……?」
無言の視線が突き刺さり、慌てて本題を告げる。
「足手まといにならないように頑張って強くなります! よろしくお願いします!」
「よろしく!」
頭を下げた直後、歓迎の言葉が飛んでくる。頭をくしゃくしゃと撫でられるのが恥ずかしくて顔を上げると、四人の男の子が僕を取り囲んでいた。
「今日から君は一番下の弟だ! 未来の怪盗団へようこそ、ロゼ!」
それが、怪盗団に引き取られた孤児たち――僕の兄になる人たちとの出会いだった。
――数年後。
「脱出しなさい!」
照明が落ち、警報が鳴り響く研究所を、僕たちは自由自在に走り回る。先頭を行く二番目の兄が改造した暗視スコープは、他の兄弟をイメージカラーで表してくれる優れものだ。
「…………? 先に合流ポイントに向かいなさい。私は寄り道をします」
そう言って離脱する二番目の兄に従い、僕と四番目の兄は地下出口に向かう。
「誰もいないね。早く兄さんたちの元に向かおう」
四番目の兄は手を差し出してくれたけれど、僕はそれに答えない。
「モズ兄さんから頼まれた仕事が終わってない」
「モッズフォッグ兄さんね」
二番目の兄の無駄に言いにくいコードネームを正しく呼ぶ気はないので、指摘されても完全無視。
「モッズフォッズゥ……兄さんから頼まれごとなんてあったっけ?」
噛んだな。
「どうせ覚えてないんでしょ? 兄さんは作戦会議で目を開けたまま寝てたもの」
「そうだったかな? モッズオオォォォオォォオオ……兄さんは何て?」
亡者の叫びかよ。どんな兄さんだよ。
「僕一人で大丈夫だから先に行ってて。他の兄さんたちにも僕が遅れること伝えておいてね!」
「え、ポンコツローズ!?」
僕のコードネームまでムカつく噛み方をした四番目の兄を置いて逆走する。考えることが苦手な兄さんは、僕の提案に従って出口へ向かったようだ。
カラフル屋根のブーランジェリーには、こっそり作った地下アジトがある。
「それは何かの間違いだろ?」
困惑した表情を見せるのは、一番上の兄マサムネだ。コードネームはインペリアルブルー。四番目の兄以外誰も呼ばないので、作戦中はもっぱらツチノコと呼ばれている(主に僕に)。立体映像で映し出された赤いドレスの女性は、腕を組んでご立腹の様子だ。
「間違いのものか。頭でっかちのクロックは、敵対組織に寝返ったのだ。『兄弟』であるお前たちにも嫌疑が掛かっておる。今すぐに一番上を連れて来いとのお達しだ」
「クロックが裏切ったなんて信じねぇ。弟たちと離れる気もさらさらない!」
モッズフォッグを名乗るクロック兄さんは、昨晩から行方を眩ませている。理由を告げずに別行動を取ったことが、怪盗団本部で疑念を生んだらしい。
「三時間やる。マサムネ、お前一人で来い。言い分は本部で聞いてやる」
「マダム・モガミ。俺の一生は弟たちを守ることに使うと決めてあるんだよ。あの庭園で弟を授かった日から、俺たちは正真正銘の兄弟で、俺は一番上の兄貴だ。……そして俺に、母はいねぇ」
マサムネの眼力を受けて、マダムは激昂して通信を遮断した。息を飲んで見守る僕たち三人は、この瞬間にブーランジェリーと怪盗の二つの日常が崩壊したことを悟った。
「……弟ども。準備しろ」
押し殺したような声は、たった今始まった逃走劇にハッピーエンドがないことを暗示しているようだった。
「お前はよくクロックと兄弟喧嘩をしていたけどよ」
山の中を走りながら、先頭のマサムネは思い出を語る。
「羨ましかったぜ。アイツもなんだかんだ言って末っ子が可愛かったんだろうな。お前の好物の甘いスクランブルエッグ、張り切って炒めててさ」
「それ兄弟喧嘩じゃなくて、分からず屋の兄さんを馬鹿にしてただけだし、僕のポイントを稼いで女子高生の制服着せて写真撮りたかっただけだと思うよ。アイツ、インテリ面して普通に変態だし」
「イメージが崩壊した! もう俺は駄目だ……置いて行ってくれ……!」
悶絶して蹲る兄の指示に従い、僕たち三人は憐みの目を向けて走り去る。先頭は三番目の兄ダストに交代だ。マイペースで兄らしくないけれど、上が使い物にならない時は先頭に立ってくれる人だ。
「……写真撮ってあげたの?」
なにニヤニヤ笑ってんだ。前言撤回。兄失格だ。コードネーム・ダークフォース兄さんめ。
「カツラ被ったの? 黒髪ロング? それとも茶髪のゆるふわ系? 化粧は自分でしたの? いつからそんなことできるようになったの? お前、実は付いていないんじゃ……」
「イケメンパラダイス禁止条例!」
僕のズボンに手を掛けたダスト兄さんが、肉眼で捉えきれない速さで吹っ飛び、谷底に転がっていく。
「助かったよ、サニー兄さん」
「兄として当然のことをしたまでだよ!」
太陽のような笑顔からは、ダスト兄さんの後頭部を回し蹴りした凶悪な面は窺えない。
「ロゼのことは僕が守るから、安心して!」
シャインイエローことサニー兄さんは僕の手を握り、ゆっくりと走ってくれた。
馬鹿騒ぎを繰り広げられたのは、逃走一日目だけだった。マサムネは僕たちを守りながらマダムの追手と交戦し、敵を山に留めたまま山火事を起こして帰らぬ人となった。
それからいくつもの町と山を越えたが、いくら逃げても先回りされている。疑念を持った僕は、ダスト兄さんが通信機を隠し持っていることを知り、銃を構えて問い詰めた
「ダスト兄さんが裏切っていたの?」
「……ロゼ。誤解だ。これは…………お前のために……」
目を泳がせ、みるみるうちに真っ青になる。反論の余地はない。
「あの女狐、ダスト兄さんにも話を持ち掛けていたとはね。マサムネや僕だけじゃなく」
「何を……?」
「知らなくていいよ。じゃあね、ダスト兄さん。ううん、裏切り者さん」
早撃ちだけは得意なダスト兄さんに、銃を取る隙を与えてはいけない。格好良く笑うつもりだったのに、口元は緊張してガタガタの弧しか描けないし、指も棒のように動かない。兄さんは驚いて僕を凝視した。早くしないと僕が撃たれてしまう。早く撃たないと。僕が、兄さんを。
銃声とともに兄さんが大きく仰け反った。夕陽が海に沈む絶景を背景に、その体は宙に躍り出て荒波へと消えて行く。
「よく分からないけど、これで良かったんだよね? ロゼが銃を向けているということは、ダスト兄さんが良くないことをしたんだよね?」
硝煙を立ち昇らせる銃を虚空へ真っ直ぐに向けたまま、サニー兄さんは僕に笑いかけた。
最後は、サニー兄さんだった。僕のことを気にかけていることは知っていた。僕も友達みたいな兄が一番好きだったけど、例外はきっと許されない。
「ロゼ。僕のたった一人の弟。泣かないで。きっとまた会えるから」
麻袋を被せられる直前の兄の笑顔が頭から離れない。兄さんは密告を受けたマダムの部下によって連行されて行った。
もう、分かるだろう。兄を一人ずつ亡き者にした裏切り者が、僕であるということに。
事の発端であるクロック兄さんは、その頭脳を回転させる前に消す必要があった。彼の暗視スコープに「二人きりで話がある」と暗号を流し、研究所の気密室に呼び出して閉じ込めたのだから、今頃は拷問を受けているのかもしれない。兄たちの信頼を利用して、僕は彼らを裏切ったんだ。
「お前も戻って来い」
ヘッドセットから、しわがれたマダムの声が流れて来る。
「『兄弟』の中で一番優秀なお前を傍に置くとしよう。どこの馬の骨ともしれない輩ではなく、私の遺伝子で作ったお前が幹部候補になるのだ」
「一つ聞きたいんだけど、マサムネはこの話を受けなかったの?」
「そうだ。残念なことにアイツはお頭が足りないらしいね」
忌々し気な声に、吐き気を覚えてヘッドセットを外す。どうせ分かっていた。マダムは僕よりマサムネがお気に入り。マサムネよりも自分が大好き。せっかく作戦を遂行したのに、本部に行く気にはなれなかった。大きな月の下で、僕はマダムの部下を振り切って、雑踏に消えた。
これで、僕の話はおしまい。
夜明け前に辿り着いたブーランジェリーは、嫌がらせのように荒らされていた。お菓子などあるはずもない。けれど、目を瞑った僕には、在りし日の甘い香りや、陽の光、僕のスケッチを再現した可愛らしい内装、兄さんたちの忙しない声が、今ここにあるように想像できた。
そういえば、お店屋さんになりたいと言ったのは僕だっけ。ずっとお菓子の香りを嗅いでいたいって我儘を言ったんだ。それが焼き菓子だらけのパン屋になるとは思わなかったけど。コードネームを付けたのも僕だ。町の子供に虐められた僕を助けてくれた兄たちを、ヒーローみたいに思ったんだ。
「ああ……間違えちゃったな……」
いつか『兄弟』という体のいい名前で括られた競争相手に打ち勝って、素敵なお茶会を毎日催すような素敵な暮らしを送るつもりだった。
「これはこれで楽しかったんだけどな」
空虚な呟きが零れる。目を開いてしまえば、埃と湿っぽい臭いのする瓦礫だらけの夢の跡。終わりはもう近付いていて、遠くから複数の足音が聞こえてくる。追手がそこまで来ているんだ。
引き金は軽く引けそうだ。まるで十字架の前で跪き救済を乞い願う信徒のように、ゆっくりと目を瞑る。
「裏切ってごめんね。そして、さようなら、兄さん」
「さようなら、ピンクローズ。そして、おかえり、俺たちのロゼット」
くしゃりと、頭に手が置かれた――。
サークル名: 朝焼けが来る前に(URL)
執筆者名:織本みどり
一言アピール
自分の弱さや本当の気持ちを知り、大事な人を手放さない物語を書いています。ロゼたち兄弟がどこかの兄弟に似てるなと思っても大目に見てください(笑)