小組曲

Ⅰ オーヴァーチュア
 島はひっそり海に浮かんでいた。風とともにやってきた波が島の縁に当たっては、静かに砕けるだけだった。深緑の森の間に、一本筋のように民家や砂利道だけが白い。風力発電の風車が四本、くるりくるりと回っている……。
 笹舟のようなフェリーが海の向こうから近づいてきた。蜂の羽音に似たモーター音が、だんだん港に響いてくる。それを聞いた港の住民がちらほら家から出てきた。子供の兄弟が二人。続いて中年の女が一人。ややあって腰を曲げた老人が幾人か、水色の海を切り裂いて進むフェリーを見据えた。
 舟が島に近づき、甲板にぞろぞろと観光客が集まる。何人かの若い客が手を振った。坊主頭の兄弟が飛び跳ねて手を振り返す。その後ろから中年の女が船を仰ぎ見た。老人は黙って薄笑みを浮かべる。
 桟橋にフェリーが止まった。汽笛がうるさく鳴った。

Ⅱ ロンド
「黄玉島へようこそ」
「よくおいでくださいました」
「こんな遠いところまで…………」
 島民はフェリーを出迎えた。客らは降りるやいなや、きょろきょろと辺りを見回して、小躍りした。
「すごい、海が真っ青!」
「東京とは大違い。日本じゃないみたい……」
「癒されるなア、自然が俺たちを待ってるぞッ……」
 乗客らは海と森林をあちこち見ては、歓喜の声を上げた。中には、島民と握手を交わす人間もいた。
「どこから来たの」兄弟の弟の方がたずねる。
「東京、東京」黒く日焼けした若い男が、弟の頭をぽんと叩いて答えた。
「ここだって東京だよ」
「え、そうなの? 信じられない」
男と連れ立った若い女が声高に驚く。会話を割って中年の女が説明する。兄弟の母らしかった。
「ここも、住所の上では東京都なんですよ」
 最後にフェリーから降りたスーツの添乗員が、出迎えの一団の中の村長に駆け寄って名刺を差し出す。
「安斎村長、わざわざお出迎えいただきありがとうございます。二泊三日の間、こちらでご厄介になります。気になる点がありましたら、こちらに連絡をお願いします」
「ええ、ええ……」
安斎村長は名刺を受け取り、やおら会釈をした。添乗員は挨拶もそこそこに乗客を集め、ツアー日程の説明を始める。さて、と老人たちが引き上げ始めたのを見て、兄弟も自分たちの家へ走っていった。

Ⅲ パストラーレ
黄玉島の内部では、大人たちが果樹園で農作業に勤しむ。島の特産はフルーツだ。西瓜や柘榴、マンゴー、パッションフルーツ……。一昔前から生産を始めている。大人たちは、東京からのツアー客を乗せたフェリーの汽笛を聞くともなく聞いていた。
 島のこどもが腹を空かせて、収穫作業をしているところへ寄った。午後の三時を回っている。こどもは昼に食べたカップ麺だけでは物足りないらしく。辺りを物色する。赤いすももを見つけるや、もいでかじる。
 こどもは、小高い丘になっている果樹園から、少し前に桟橋を出て引き返すフェリーを眺める。そして、せっせと果物を収穫する大人たちを交互に見やった。
 唇の端を赤紫に染めて、こどもはすももを食べ終える。足元に種を吐き出し、またもとの家へ帰っていった。
 その途中、作業をしていた父親とはち合った。父親はこどもの赤い口元を見る。
「あっ、お前すもも食っただろ」
「うん」こどもは素直に頷き、早々に立ち去った。
 父親はその背中を見送ったが、しばらくしてちょっと周りを確かめた。そして、自分も同じようにすももをもいで、水道で洗って食べた。

Ⅳ カプリチオ
 猫の額ほどの砂浜で、ツアー客が遊んでいた。
「ひゃあ、気持ちいいなッ」
「これから何する? 対して予定もないツアーだし、自由だよ、自由」
 砂浜ではしゃぐ男や、波打ち際を走り回る女たち。海に向かって叫ぶ人間もいれば、水切りを始める人間もいた。そこへ、島の婦人たちが呼びかける。
「皆さん、どうです。この島」
「こんな島、本当にあったんですね。絵に描いたような絶海の孤島って感じで。いいですッ」
「何もないところですけども、是非ゆっくりしてって」
「はい、そりゃあもう。でもいいなあ、いつでもこんな海泳げるなんて」
「そうでもないですよ。私、泳げなくて」

Ⅴ バルカロール
 島の男が一人、銛漁を終え砂浜から上がってきた。右手には大きな青い魚を掴んでいる。
 浜辺には、ツアーの若者はもういなかった。同じく網漁をしていた男が、ボートを止めて休んでいるだけである。銛漁の男は、持参した水筒の水を口に含む。口に溜まった塩気を吐き出してから、ずっと辺りを見回して答える。
「あの客らは、どこに」
「少し前にどこかに行ったけど、もう見えねえな」
 銛漁の男は、舌打ちした。
「ところで、そっちは獲れたか。今日の俺らの分」
網漁の男が黙って頷く。ボートの中の生簀には、島民の今日の食事となる魚が何匹も泳いでいた。

Ⅵ ファンタジア
「……と、まあ、私が覚えているのは、こんなところだよ」
 島の老人は、客を家に入れて島の歴史を語り終えたところだった。歴史というよりは、自らの子供時代から現在に至るまで、島がどう変わったのかという話題である。
「へえ、そんな昔から観光地だったんだあ」
ツアー客の若い女が、間の抜けた声で感嘆した。その横で、連れの男が言う。
「昔っつっても、昭和の終わりからだから、俺らも生まれてるだろ」
「昭和なんてもう昔だよ」
さらに横から、初老の婦人が訊ねる。
「そうだ、ここで使い捨てカメラ売ってる店ってあるかしら? 私、デジカメも携帯電話も無くて」
「ええ、島の真ん中にコンビニがありますよ」
それを聞いて若い女が驚く。「うそッ、ここにもコンビニがあるんですか?」
「このご時世ですもの。どこにもありますよ。でも、日が暮れたら閉まってしまいますから」
「ふうん……。コンビニのような商店のような店なんですね」
婦人がそう言って、カメラを買いに立ったところで、また別の客が老人に訊ねた。
「こういう島って、何か伝説があったりするんですか? 隠れた財宝の話とか、島に残る奇習の話とか」
老人は、何か考え込むようにしていたが、結局答えなかった。

Ⅶ インテルメッツォ
 村役場は閑散としていた。安斎村長は、封筒の住所欄に「黄玉島」と書きかけたのを捨て、新たに「東京都黄玉村」と書き直した。
島の人口は五百人にも満たない。世帯ともなると、本家と分家を一緒にすればもっと少ない。村役場は、村長の他に数えるほどの職員がいるだけである。
 村長は手紙を書く手を休め、机に肩肘をついて窓の外を見た。箱庭の中でツアー客が動いている。村長が思った通りの動き方だった、予知というよりも、プログラムのようだ。村長は、暇だった。

Ⅷ バラード
重く、赤い日が海に落ちかかった。ツアー客を出迎えた兄弟とその母親が、ビニール袋と火鋏を手に浜辺を歩いている。
この島が観光産業を進めていったのはいつからだろう。母親が幼い時は、船のみが外界と連絡する唯一の手段だった。気づいた時には、もう観光客がうろうろと島を探索していた。
兄弟が、拾い集めたごみの数を競おうとあちこちを探し回る。食べ物や煙草の箱は思ったより少ない。そのかわり、缶や瓶は客が落としたものだけでなく、海からも流れてくる。握った袋から、それらがぶつかる甲高い音、鈍い音が鳴った。
狭い砂浜なので、ごみ拾いはすぐ終わる。海に沈みきる直前の夕日がいやらしいほどに一筋揺れて光った。その後に島を照らすのは、もう月と星だけである。
「帰ろう、もう暗くなるから」
母親の一言を聞いて、兄弟がその後ろを走ってついていく。すると、浜辺の隅に建てられている漁の物置小屋の陰になるようにして、人が二人立っていた。
男女のツアー客だ。男のポケットが膨らんでいるほかは、何も持っていない。はちあわせになったにも関わらず、二人は対して驚いてないぞといった風に、親子からぷいと目を離して海を見ていた。
「今晩は」
 母親の挨拶に、二人はちょっと頭を下げた。やっぱり黙っている。母親は眉をしかめて、兄弟の手を引いた。夜、こどもらが寝た後でもう一度海に来る必要があった。

Ⅸ スケルツォ
「どうです、お口に合いましたか」安斎村長が、自らの家でツアー客をもてなしている。
「うまいです! 酒も魚もッ」
「これが東京で食えるならいくら出してもいいなあ」
「それならよかった」
 昼に島の男たちが獲った魚と、海外には売りに出すことのない酒をふるまうことが、客へのいつもの形だ。村長の妻が、大きな菓子器に果物を入れて居間に現れた。
「どうぞ、これも試してみてください」果物は、やはり昼の間に島民が収穫したものだった。本土でも食されるものから、黄玉島のような亜熱帯でしか育たないものまで取り揃えてある。
 テーブルに菓子器が置かれると、若いツアー客たちはそれぞれ嬌声や奇声を上げる。するとその中で一人の女が、村長の妻へ話しかけた。
「すいませえん、ちょっといいですか」
「何でしょう」
「この島って、やっぱりこういう果物が多いと思ったんです。それで……」
女は、大きなバッグの中をがさごそあさった。村長夫妻が訝しげに見ていると、女は何か箱を取り出して、両手で持って見せた。
「ヨナナスメーカーです」
 夫妻は、そのヨナナス何とかが、何かの名前なのかどうかも分からなかった。
「それは、一体」
「果物で作るハワイのお菓子です。日本だけど、日本みたいじゃないここの果物なら絶対美味しいですよ……。」
「そりゃいい。この島を日本のハワイにしたいですね」
 客たちが盛り上がっている。夫妻はじっとヨナナスメーカーを見ていた。

Ⅹ フィナーレ
 夜が明けた。宿に泊まっていたツアー客らが目を覚ましたが、島全体はひっそりとして、何の音もしなかった。外に出ても、散歩をする老人ひとりいない。声を上げて遊ぶこどももいない。
 客らは呆然と、遠く静かな海を見る。どこまでも透明な海水が日を浴びては、緑色と黄土色で変に濁っているようだった。
 島民がそろって姿を消した。海と、果物と、潮風あふれる島から……。


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サークル名:一人の会(URL
執筆者名:ジンボー・キンジ

一言アピール
東北の田舎町から東京へ参ります。真面目に書いた短編小説と、不真面目に書いた短編小説を持っていきます。
昨年のテキレボでは浅草にて蕎麦を食べていこうと思ったのですが、血迷って富士そばへ行ってしまいました。今度はちゃんと江戸の蕎麦を食べます。あと、とらやのようかん買って帰りたいんだけど、君のお勧めは何だ。


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