箱庭は茜色に染まりて


 絵描きの帽子が飛ばされたのを拾ってきてやれば、お礼の代わりにと好きな絵を描いてくれるという。
「え、そんなのいいスよ。もらったって俺、飾れるような家もないし」
「枕の下に敷いておけば夢に見れるぞ。私の描く絵はそういう力があると評判なのだ」
「いやあ、でも」
「恥ずかしがらずになんでも言うといい。ほれほれ」
 中央広場のベンチで店を広げていた絵描きがそんなに腕の立つ者だとは考えづらかったが、あまりに強い押しにケネトは根負けした。
 元より今日はもう暫く外で時間を潰さなくてはならなかったところだ。まだ夕焼けが見え始めたばかりとあって、どちらかと言えばちょうどいいとさえ思えた。
「じゃあ、そうだなあ……俺のふるさと、描いてもらえないスか」
「ふるさと?」
「ええ。もう十年近くになるかな、大火事でなくなっちゃって。俺だけはたまたま隣村に手紙を届けに行ってて無事だったんスけど」
「それはそれは……よかろう。どんな村かね」
 絵描きはよく削った鉛筆を構え、ケネトの言葉に傾注する。
「小さい村なんだけど、裏山に湖があって、そこから流れてくる川のおかげで麦も野菜もよく採れて、家畜も元気だし、食いもんがすごく美味くて」
「ふむ」
「うちは山で採れる植物を使って布や糸を染めるのが仕事で、年に一回の豊穣感謝のお祭りで巫女様が着る衣装を作る大役も担ってたんスよ」
 その生業は水をたくさん使う一方、水を汚してしまう。だからケネトの家は村の一番端、湖から山際へのほとりにあった。
 少し山を上れば、すり鉢状の村の土地に美しく並んだ家と畑、その向こうに家畜の牧場が見えて、夕方になれば地平線まで陽の沈む様がよく映える。そんな村が、ケネトのふるさとである。
「ま、その頃俺はまだ十歳とかなんで、細かいとこはうろ覚えスけど」
 へへっと笑うケネトに、絵描きはぽろぽろと質問をした。
 家は平屋が多いのか、道の幅はどのくらいか、川は何本か、教会はどこか、学校は、病院は、人口は……
「一度、見てくれんかね」
 だんだん薄暗くなってきた頃、絵描きはオイルランプに火をつけながらケネトの方へキャンバスを向けた。
「おお、こんな感じこんな感じ! すげえっスね!」
「では仕上げとするかね」
 俺の頭の中見たみてえに想像通りだと喜ぶケネトに、絵描きは怪しく笑った。

 ケネトはとある屋敷の厨房で見習いをしているが、見習いにしてはもう年を取り過ぎているし、かといって料理人として一人前の技術があるわけでもなく、明日には出て行くように言われていた。有名な生地商人の家での住み込みは悪い心地ではなかったので名残惜しいものの、交渉の余地もない。
 今日は主人の娘の誕生日パーティーの日で、できれば最後に厨房を手伝いたかったところなのだが、シェフから邪魔をするなと追い出された。
 そんなわけで屋敷にも帰れず、陽が沈むのを待っていたのだった。
「厨房に入れればつまみ食いもできるのになあ」
 できあがった絵と空腹を抱えて裏口から使用人用の建物へ入り、そのままそろそろと自分のベッドへ向かう。
 多くの客人を迎えるとあって、ケネト以外の使用人は総出で仕事である。
 いつになく静かな室内で目を閉じようとして、少しだけ気になって身体を乗り出す。
 廊下の雨戸は閉まっていたが、僅かに開いた隙間から母屋の様子が少しだけ見えた。
 豪華なドレスに身を包んでいるのが本日の主役、主人の末娘である。
 メイドたちの内緒話を聞きかじったところによれば婚約披露もするとのことだから、隣にいる男がきっとその相手なのだろう。出自のはっきりしない上に隻腕だそうだが、それでも主人が婿入りを許すほどに生地を見る目があり、なによりその整った顔立ちと儚げな嗄れ声に娘の方がべた惚れとの噂だった。
「ま、俺には関係ないからなあ」
 今晩が屋根のある場所で眠れる最後の夜になるかもしれない。
 明日からは僅かばかりの退職金とごくごく少しの荷物を頼りに、別の食い扶持を探さなくてはならない。温かい賄いとも、茶化してくるメイドたちとも、この寝心地のいいベッドともさよならだ。淋しいことこの上ない。
 それでも、とケネトは思う。
 今日絵描きにもらったふるさとの絵があれば、もうちょっとは頑張れそうな気がする。
 そんな風に考えながら絵を枕の下に置き、瞼を閉じた。

 染料を煮出すための大鍋からはいつもちょっと変な匂いがしていた。
 別に嫌なものではないけど、変わっているなとは思っていた。
 ケネトにとってそれは自分の家の匂いであり、家族の匂いだった。
 生成りの糸や布を鮮やかな茜色に染めていく。濃いも薄いも、柄だって自由自在にしてみせる父と祖父は格好良く、それを服や小物に仕上げていく母と祖母は美しく、三つ上の兄は家業を手伝って山に入り、まだ幼い妹たちは賑やかだった。
 けれどそれがもうすぐ焼けてなくなってしまうことをケネトは知っていた。
 これは夢だから。そのうちにあの日が来て、全て燃えてしまうのだ。
 せめて思い出を堪能しようと、親に甘えて兄妹と遊び、祖父母にもじゃれた。
 そしてついにその日は――来なかった。
 村は焼けることなく、それどころか兄が結婚したりもう一人妹ができたり、ケネトの十一歳の誕生日が祝われたりした。
 家族に祝われるはずのなかった十一歳。それなのに父が染めて母が仕立てた新しい服を着ている。
 夢だからか。夢だから、都合がいいのか。
 その次も、その次も、ケネトは誕生日を祝われ、大人になっていく。
 父と祖父から染色の技術を習い、兄について山に入る。博識な兄は書物で得た布地や仕立てに関する知識をたくさん教えてくれた。
 ケネトの家は次男三男も家業に手を出すことを許された。むしろ、力の要る作業の多い染色は、男手があればあるほど重宝される。
 村は焼けることなく、平和で、幸せだった。
 視界を占める赤は村が焼ける色ではなく、家族の優しい茜染めの色。
 ずっと覚めなければいいのに。覚めてしまえば心細い現実に戻るだけだ。
 それなら夢のままでいさせてほしい。ケネトは心からそう願った。

 とある屋敷の来賓寝室にて、二人の男が小さな箱を覗き込んでいた。
「いかがですかな若旦那様」
「見事なものだ。私の想像通りの庭に近づいた」
「ありがたきお言葉にございます」
「それで、巻き戻すにはどうすればいいのだ」
「後ろにあるこの螺子をお使いください。一巻きが約一年の換算です。その横の時計は中の時刻を示しておりまして、深夜帯には内部に手を入れていただいても問題ございません」
「なるほど。……中の人形は取り出してはいけないんだったか」
「ええ。もし取り出せば、出された人形はあるべき姿へ戻ってしまいますので」
「……死した者は骸へ還り」
「唯一の生者はその命を一瞬にして燃え散らす――それが私の庭の掟にございます。くれぐれもお忘れになりませんよう、若旦那様」
「……ああ」
 掠れた声で頷き、隻腕の青年はゆっくりと螺子を巻いた。
 自分の婚儀と妹の誕生、そのほか数多のめでたいこと。楽しそうな弟の笑顔が余計に心に刺さる。
「ところで、お代の方ですが」
「心配せずとも払ってやる。あと少し待っていろ」
 感傷にひたっていたところを絵描きが無粋に引き戻すので、いつにも増して素っ気ない言葉が出た。
「必ずですよ。さもないと――」
「しつこいな。計画通りこの家に取り入ったんだ、ぬかりはない」
「それならいいんですがね、まあ私はどちらでもいいといえばいいんですが」
「……」
「それでは今宵はこれで。またお伺いします」
 音もなく去って行く後ろ姿を見送り、青年は肩から先がない右腕を軽く撫ぜた。
 ちょうど夜を迎えた箱の中で眠りにつく弟を左手で軽く小突き、語りかける。
「……悪いなケネト、しばらくそっちのことは任せたぞ」
 お前の大好きなふるさとをもっと俺にも見せてくれ。
 その小さな声は誰にも聞こえないほど。心の中にだけ響く。
 関節が白ばむまで力を入れて握る胸元の裏地は、鮮やかな茜色であった。


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サークル名:PreBivi(URL
執筆者名:姫神 雛稀

一言アピール
書いてるものはお仕事系とディストピア系。神戸プロモーションごっこ屋。
当日は神戸の本は確実にあるけど、もしかするとこういう感じの本も生えてるかもしれない。


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