まつりばやし


刀剣乱舞 2次創作
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 小さなステージ上のピアノに、スポットライトが当たっていた。拍手が鳴り止むと子供がひとり下手しもて側から歩いてくるが、緊張しているのかひどくぎこちない。楽譜スコアを持った手がぶるぶる震えていて、譜面台に広げる時も、椅子に登るときも、ろくに油もさしていない機械人形のようだ。
 鍵盤に両手をおいて、曲が始まる。演目はシューベルトの「のばら」だ。ピアノ教室の幼児の部の発表会であれば比較的多い演目で、曲もそう複雑ではないのであるが、家庭用ビデオとわかる映像でもはっきり見える通り、指は震えてろくに鍵盤を叩いていない。と思えば力任せに全身で叩きつけ、それを挽回しようとしたのか今度はひどく早弾きになっていく。
「超絶技巧版の『のばら』は初めて聞くな」
 吹き出すのをこらえてつぶやいた大倶利伽羅の腕の中で光忠が深い溜息をついた。
「ほんとに、こんなビデオ、よく見つけてきたよね……」
「ピアノ王子のデビュー戦だからな、貸してくれるやつがいたんだろ」
 いいながら大倶利伽羅はテレビの画面を見つめる。ピアノ教室のCMはもうジュニアで全国金賞を取ったときの光忠に変わっていて、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番を軽やかに弾いている。映像はすぐに中学生になり高校生になり、最後は数年前の海外のコンクールで銀賞に入った時のものだ。沢山の賞状やトロフィーを抱えた光忠の写真が子供時代から順を追って高速でまたたき、最後にピアノ教室のロゴとキャッチコピーが大写しになる。
『ここから、世界へ』
 光忠が「あーもう」と恥ずかしそうに顔を歪め、天を仰いだ。情事の音消しのためにつけていたテレビを切ると、ごそりと大倶利伽羅の腕を抜けて半身を起こした光忠が、やわらかに吐息で笑う。
 昼間の情交はいつもひどくふしだらなことをしているようで、その分、ずっしりとした満足はあった。今光忠も同じような吐息をこぼしていて、自分たちが離れていた6年間が一足飛びに近く寄せられた気分だった。
「水、飲むか」
「うん、ありがと」
 のろりと身体を起こした光忠に水のコップをほらと握らせる。ありがとうをもう一度言って、光忠が水を飲む。ややのけぞった喉元の線がなめらかにうごき、こくりこくりと小さな音がして、それにつられたように表で夏終わりの蝉が鳴き始めた。
 かけられた薄いカーテンの向こうを透かし見するように光忠がゆったりと目を細め、「夏だねえ」と呟いた。
「日本の夏って久しぶりだけど、ほんと、べたべたする」
欧州あっちじゃないからな」
 簡単に答えると光忠がまたくすくすと笑い、それから不意に遠い目をしてそうだね、と言った。トン、トン、と左手が聞こえる音に合わせて架空の旋律をたどるのは、ずっと子供の頃から変わらない光忠の癖だ。何か聞こえているのだろう。彼の頭の中にしかない、完璧できらきらした音楽が、きっと。
「なに弾いてる」
「え? あ、えっと……なんだろ、──でも、ほら、外」
 ん、と耳を澄ますと確かに何かが聞こえた。ものの2分も歩けば小さな鎮守の森があり、毎年夏の終わりには小さいながらも露店が並び盆踊りの櫓が組まれる祭りがある。そういえば先々週に町内会経由で寸志を出したばかりだ。祖父が続けていた習慣を、なんとなく自分も引き継いでいる。
 祭り太鼓の太い音の隙間から、篠笛がひょうひょうと風の間を抜くように鳴っているのも聞こえた。光忠が目を細めて音を追い、左手はさきほどよりもゆっくりと低音のうねりを幻の鍵盤にたどりはじめた。
 光忠は結局いつもそうだった。激しく感情や言葉をぶつけあっていても、肌を重ねて極地の一瞬を共に追っているときも、その瞬間瞬間は誠実であるのは確かなのに、最後は音楽に戻っていく。
 うとましさなど感じる隙間もない。昔から光忠を支配する唯一の神は音楽で、時々は神様に隠れてこっそり淫靡おやつを舐めるのがたまらなく美味い――ということだと大倶利伽羅は思う。
 君がいないと駄目なんだ、一緒にいて、見捨てないで、というようなことを始終口にしていた割に、その手を離せば光忠はさっさと自分で立って歩く。さすがに別れた直後の音大受験はそういうわけにいかなかったようであるが、その後の留学できっちりと成果を出しているのだから大きく持ち崩したということにはならなかった。
 微かに光忠が歌っている。完全に自分の世界に没入しているときはいつもそうだ。ささやくような即興歌スキャットが、鎮守森から聞こえてくる篠笛の跳ねる音を捉えて飛ぶ。彼の中の音楽を聞きたいと思うこともあるし、絶対に誰も入れない宇宙であると感じることもあり、その両方は自分の中に手を取り合って鎮座していた。
 この状態から無理に引き戻す理由もなかった。大倶利伽羅はまだ半分ほど残っていたコップの水を飲み干し、床に落としたままだったTシャツを拾う。シャワーの水気はようやく掃けて、自分の肌はさらりと乾きだしていた。
 下着に足を通していると、
「ねえ伽羅ちゃん」
 光忠の声がした。
 振り返ると光忠はじっと自分を見つめ、華やかに笑った。音楽から現実に戻ってきた、まっすぐな視線だ。
「シャワー借りるね。それで、僕、あれ行きたい」
 外を指差して光忠が「ね、いいでしょ、だめ?」と返事を聞く気のない念押しをする。
「言っておくが、何もないぞ」
 自分たちが高校生の頃までを過ごした街よりもここは随分と田舎で、夜店の数も人出も、二回りほどは小さい。
「そんなの気にしないよ。浴衣ってまだあったっけ?」
「いつの話だ」
 呆れ半分で呟くと、光忠が「あっ」という顔をした。光忠がここに来た最後は小学生の時分で、その頃には揃えて貰った子供向けの浴衣が確かにあったのであるが、10年以上経過してまだ着られると思うのも間が抜けている。
「あー、残念。でも、そしたら来年は一緒に作ろうよ、ね?」
「来年も日本にいるのか」
「え? ……あー、えっと……」
 何かをめまぐるしく考えるときのせわしないまばたきをして、光忠が曖昧に笑った。日本での凱旋公演を終わらせたのは去年の夏で、それからも活動の拠点は欧州である。予定の把握は昔から苦手で、音楽事務所でスケジュール管理をするようになってからはましになりはしたが誘いはいつも直前で、ともすれば例えば今日のようにチャイムを鳴らして
「来ちゃった♡ 伽羅ちゃん、時間ある? 入るね? だめ?」
と言いながら玄関からさっさと上がってくる。
 追い返すことはしない。高校生で付き合いだして一度別れたあと、最近復活した自分たちの間で久しぶりの再会の挨拶の後はお決まりの『儀式』だ。性交とは約束の別名なのである。
 最初のあたりでは声を気にして口元を手で押さえていたのをのけさせて、テレビを付け、それから口を閉じないように指を突っ込んだのは自分だ。意図を光忠も当然理解しているから赤く染まった目元を震わせるように笑い、そのあとは好き放題の垂れ流しだった。
 時折混じるドイツ語の何かの卑語スラング欧州あちらで何があったのかは聞いたが光忠の口からであれば相当簡略化されたごまかしのはずで、言いたくないことだと分かっていれば内容は察しがついたし、それを聞かないことに自分は決めた。
 生きていく限り変わりゆくし、どんなことにも終わりがあって、たまにはこうして再び芽吹くこともある。今自分の広げた腕の中に光忠がもたれこんできて忍び笑っていることは事実だし、真夏の昼間はどんなに強くクーラーを入れても完全に冷えることはない。二人とも汗みずくで、この事実だけが現実だ。
 光忠が微笑みながらそろりと手を伸ばして大倶利伽羅の腕に触れた。元から浮いている龍のこつをなぞるようにゆっくりと指が這う。つながっている時には煽りながら誘ってくる仕草だとしても、彼のほうもゆるやかに降りていく道程の中にあればそれは愛撫の催促ではなくて愛情の確認だ。この二つは似た顔立ちをしているが、明確に違う。
「でも、できるだけ時間は作るからさ」
 いいながら光忠が立ち上がり、シャワーを使うのだろう数歩ゆきかけて振り返った。
「約束」
 にじむように笑う目元の赤い上気が、艶めかしかった。大倶利伽羅は光忠の腕を掴み、もう一度ベッドへ押しつける。
「伽羅ちゃん」
 抗議とも誘いともつかぬ声がやわらかに笑い、ちらと外を見て
「ね、あれ、夜までやってるよね?」
と呟いた。
 まつりばやしはまだ続いている。大倶利伽羅はもう一度テレビを付ける。


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サークル名:ショボ~ン書房(URL
執筆者名:石井鶫子

一言アピール
創作ファンタジー小説と刀剣乱舞の燭台切小説を書いています。テキレボでの刀の新刊は(たぶん)ないけど右忠もっとほしい恵んでください


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