もたざる者の素描
魔術とはどんなものだろう。
魔力をもつ『ブックス』ともたない『ノンブック』の生きる世界で、俺はノンブックとして存在している。
およそ二分の一の確率で魔力をもたずに生まれたことをトライスラー家は祝福した。ノンブックであるということは、魔力以外のなんらかの能力に長けること、そして人の魂を食らう精霊と直接関わらなくてよいことを表す。
それでも俺はもって生まれた彼らのことが気になった。
魔力により、魔術職に就くことを強いられる彼らの暮らし、その変遷が。
だから規則の穴をつき、魔術研究所職員、受付事務の仕事に就いた。俺以外がブックスという環境の中で、それに紛れ込んでする仕事は新奇なものばかりであった。
「だから、深夜帯の警護は受けたくないんだって」
カウンターを挟んで応対するは、魔術書を持ち精霊と戦う『ページ』と呼ばれる魔術の術者。俺が勤める魔術研究所を通し各地に派遣され、精霊から人を守る存在。
「ナディス地方の目撃情報は深夜帯に偏っていますから……」
大陸各地に配置されるページたちは居を構える地区に配属されることが多いが、目の前で憤る彼のように各地を転々とする巡回部隊を希望するページもいる。
精霊の目撃情報を重視――精霊討伐に固執する者がいる一方で、彼のように魔力をもちながらも精霊を避けるような任務を選ぶ者も多い。
「あんただってこわいだろ? いくら魔術が使えるからって、戦ってどうなるかなんてわからない……」
申請書の討伐実績に目を移す。
ページ歴は二年。各地を巡回している優良職人と書類上では躍っているが、討伐実績には無の印。
魔術学校を出てから精霊との対峙を一切免れてきた、なかなかに珍しいブックスだ。
「そうですね。恐ろしいですよ」
研究所職員がノンブックだなんて考えもしないからこそ放たれた発言に、あえて訂正は加えない。――俺に精霊と戦う術がないことを知ったら、彼はどんな顔をするだろうか。
「うちはさ。……もう僕しか残ってないんだよ」
受付に突っ伏した青年は、聞き取るのがやっとの音を溢した。
「あんたみたいに頭がよければシェルフになれたかもしれない。腕がよければインクやブラッシュになれたかも。けど僕はページにしかなれなかった」
魔術学校の教官や研究職、研究所職員はシェルフと呼ばれ、魔力よりも知識が必要とされる仕事だ。ブックスである彼は、精霊と直接戦うページの仕事以外にもシェルフや魔術書をつくるインク、ブラッシュになる選択肢もあったはず。ただ、それが叶わず彼は今ここにいる。
ブックスは魔術職以外に就くことができない。この手の不平はカウンター越しに散々聞いてきた。
人を守るページは尊いなんて慰めを、彼が望んでいないことは明らかだった。申請書の親族欄には父母とある。兄は……二人ともページ。故郷で暮らす両親をこれ以上悲しませたくないと、突っ伏したままの後頭部が訴えていた。
「…………」
臆病者、そう呼ぶだけの資格を俺はもっていない。大事な人を奪われ復讐に燃えるページがいる。大事な人のため、生き延びるための最良を追求するページがいる。どちらにも違和は覚えない。
「……掲示板にも張っていますが」
一枚の募集要項を、呆けたままの彼に差し出す。
「ナディスより少し遠くなりますが、障壁呪文の大規模な張り直し計画があります。こちらに参加するのはいかがですか?」
戸惑いがちに、要項を引き寄せる一人のページ。
長期間の派遣になるし、勤務地が首都だからといって危険がないわけじゃない。けど、あちこち飛びまわるより家族との時間も取りやすいだろう。
「……これ、階級足りてないじゃないか。僕じゃ受けられない」
そういって書類が差し戻される。
ページにはいくつかの階級がある。それにより受けられる任務の範囲や報酬が異なるのだ。
「募集締切まで一週間あります。この審査を受けてください、これです」
彼がシェルフになれなかったのと同じように、彼がページになれたのにも理由はある。
申請書の階級は駆け出しの一だが、卒業認定時の魔術審査の成績はよい。特に障壁呪文の体現率と持続率は誇っていいくらいだった。
「こういうのは優秀なやつしか通らないって、あんたも知ってるだろ……」
項垂れる青年。
当人にはわからないことというものが往々にしてある。俺のように魔力をもたなくても、たくさんの申請書を読み、たくさんのページと会うからこそわかるような事実が。
「あなたなら通りますよ」
自身でも胡散臭いと思う微笑みを浮かべていうと、青年は水でもかけられたみたいに固まった。
ああ、警戒されたかな。
必要な書類をひとまずまとめて、それを封筒に入れて置く。
手持ち無沙汰になっても彼は、その姿勢を保ったままだ。
なにを言おうか逡巡。
ここにいるとたまに言われる台詞を嫌でも思い出す。「直接戦わずにいられるおまえが、偉そうになにを言うのか」と。ブックスとノンブックには古来より公にされない隔たりがある。
それでも俺は。――いや、だからこそなんだろう。ここにいるのは。
らしくもない回顧に呑まれそうになりながらも、封筒が黒手袋の指先にさらわれるのが目に留まる。
「そう言われると、受かりそうな気がしてくるもんなんだな」
魔術を現すページの指に取られ、手続き書類が机を発つ。
誰もがこうも、心晴れやかに帰ってくれるわけじゃない。でもそれでも。こういうことがあるからここにいられるのだろうとぼんやり思う。ブックスたちの声を聞き、その先を考える。魔力をもたない俺でもブックスの宿命を垣間見、並んで歩ける一瞬をとらえられたような気がするから。
「ありがとうございます。どうか、お気をつけて」
それに、彼の選択は討伐任務を強く志願するページに席を譲ることにもなる。危険な任務を避けることが不道とは限らないのだ。それでもどこか、力をもつ者が戦うべきだと思うから、彼らはそこに不善を感じ葛藤もする。
望む者、望まない者の声を聞き、数ではかれる場所にいる俺たちがそれを口にしなければ、その葛藤は募るばかり。
なのにどうにも……。
研究所は書類仕事の山積みで職員誰もが疲れきってる。そこに「危険」というものを文字だけで追うことが重なって愚鈍に陥ってしまうのだ。
穏やかな足音のページを見送り、カウンターの上を片付ける。
こちら側からは想像することしかできないなにかを掴むべく、俺は彼らの言葉を掬って、己の帆布に書き入れた。
サークル名:魔術書工房(URL)
執筆者名:ナーガトリス
一言アピール
魔術書を巡るブックスとノンブックの世界、長編ファンタジー『呪文を紡ぐビスケッタ』シリーズは第一部完結済で全編web公開しております。当日は同シリーズの短編集(新刊)を委託予定です。