XVI 塔

「一体、いつまで待たせる気だ!」

 隊員の一人がとうとう音を上げた。
 誰もが思っていたことだ。文句を言葉にした者を咎める気は誰にもなかった。隊長だけが静かに「暫く、と言っていただろう」と諫める。隊長の隣でだらしなく座っていた副隊長が「自治区毎に何もかもが違うんだ。この辺りでは時の流れが遅いんじゃあないのかい」と、適当な口調でいなした。
 しかし、と気まずそうに、だが他の者たちへ視線を投げかけて無言の同意を求めつつ、隊員は尚も言い募った。

「もう14時間が過ぎました。これ程に我々を待たせるのなら、何らかの隠蔽をしている可能性も、」

 その時、まるでその言葉を待っていたかのような頃合いで扉が僅かに開いた。分厚い鉄の板が錆びついた嫌な音を出す。もう随分と前に感じる訪問の際に「今暫くお待ちください」と言い捨てた女性が、扉の隙間からスルリと現れた。薄い絹で目元以外を覆っているせいか、年若いのだろうが妙な色気と得体の知れなさが漂っている。

「大変お待たせ致しました。どうぞ」

 短気な隊員が露骨に舌打ちをせんばかりの顔をして、それでも音を立てるのを止めた。この地区より3つ前の土地では『体で立てる音全てが禁止』されていた。その名残りだろう。ちなみにその際は、舌打ちはおろか拍手や歯ぎしり、無論発声も全て禁止されていたため、ガサツな隊員の6名が捕われ、そのまま彼の地の法により処刑された。

 我々【RuleBooks】の仕事は命懸けだ。

 【BABEL】……この世界を取り仕切る機関・バベルから派遣された者たちは、創世の途中でバラバラにされた言語・法律など各地のルールを調べ、取りまとめて報告することを任務としている。
 私は、RuleBooksといういわば局の中にある部署【law-sons】に属し、先月から書記官というポジションに就いている。私の前に書記官を努めていた者が『文字を書くことも読むことも禁じる』自治区で罪に問われて、禁固刑・30年の身となったからだ。

 隊列の最後まで建物の中に収まったのだろう。後ろから重い扉が閉まる音が聞こえた。
 ヌメッとした灰色の建物だった。円柱形で角が無く、窓も無かったことは外側から確認済だったが、中に入ると驚いたことにもう一本、円柱形の建物があった。ひとつの円柱を、ぐるりと壁を作って外部から遮断している、つまり二重になっていたのだ。
 中側の円柱は無数の小部屋に区切られており、それぞれが牢獄らしく格子に覆われていた。大勢の気配がするので、小部屋は満室に近いと考えて間違いなさそうだ。
 天高くそびえる円柱に数え切れない部屋があり、そのどれもが罪人で埋まっていると考えるとゾッとする。この自治区の法は、それほどに些細な事で踏み抜いてしまう可能性があるものなのだろうか。
 隊長が平静を装った声で尋ねる。

「この中にいる方々、全て罪状は同じですか?」
「はい。ご案内しながら説明致します」

 薄い羽衣を翻して、女性は先頭を歩いて中側の円柱を回り始めた。我々は無言でぞろぞろとそれに続く。この間の地は『犬や猫を崇めないと有罪』、その前は『自由!と叫ぶと重罪』だった。各地に足を踏み入れる際に慎重な調査はしているのだが、厄介なことに『法を直接尋ねることはタブー』という掟は全ての土地に共通していた。おまけにこの地区は砂嵐によって他の自治区からほぼ遮断されていた状態。事前情報はほとんど掴めていない。
 全くの手探りから始め、厄介なものには触れぬように恐る恐る手を伸ばしては引っ込めてを繰り返していたが、先発隊だけでは皆目見当が付かなかった。土地の者と接触せねば規則性を見出せないのだが、先に述べた理由のためか、この地の慣習は旅人に冷たかった。

 支配階級に法の成り立ちを聞くことは辛うじてタブーに当たらないことは、2年前の調査で判明していた。それで、この地区の中枢と思しき場所に部隊を揃えて訪ねることと相成った。
 隊長を聞き手に女性は物語る。副隊長と私がその後ろに続いた。

「始まりは、決闘という物騒な風習でした。背中合わせから決められた数だけ歩み、振り返って相手を撃つ。それを止めたいと私達は願いました」

 今し方、通り過ぎた小部屋を思わず振り返った。テンガロンハットの老人が、ブツブツと何やら呟いていたように思った。

「その後、高利貸の方とその借り入れた方との諍いが波紋を呼びました。何が多かったのか少なかったのか、今となっては不明です。もしかしたら、何か対価への考え方の違いがあったのかもしれません」

 それから、ふと思い出したかのように女性は「私達の法は無期懲役です。死罪はございませんので」と、まるで安心させるように付け加えた。
 横目で眺める格子の向こう側の罪人たちは、至って普通の民としか感じられない。ただ、今後の一生を狭い部屋の中で過ごすことを憂いているのだろう。格子の隙間の数をひたすらに数えたり、無意味に暇を潰している者が目立った。
 女性はまるでヒントでも与えるかのごとく、「こちらの方はご飲食を注文される時に。次の方は仕事場へ到着した際に」と円柱の住人たちが囚われることになった経緯を隊長に伝えている。
 その内に一周しており、いつの間にか2階へと上がっていたことに驚いた。まるで螺旋階段のように、部屋の外周がゆるやかに上り坂になっているらしい。

 早く、この国の法を知りたい。急に胸がざわめいた。上れば上る程、降りられなくなる気がした。隊長が法を見極め、特殊な言語で自治区の最高位の者に伝えて頷きを得られれば、【RuleBooks】の任務は完了となる。隊長は未だ確証が得られないようだ。それでも前もってということか、語り部に土地の長の居場所を尋ねる。

「私です」

 暫しの無言が続き5階へ向かう頃、女性が落ち着いた様子で答えた。そんな予感はしていた、とばかり隊長と副隊長が目で頷き合う。この者が悠長なのか、それともこの“間”が法なのか。まだ答えは見えない。女性は法の成り立ちを今だ訥々と語っている。

「……そうして飢饉が起こり、皆の心が荒みました。何かの数が足りない、隣人が自分より何かを多く持っている。自分は人より損をしないように、或いは人が自分より得をしていないか。人々は血眼になって“差”を突き詰めるようになりました」

 女性が、ふいに面を覆っていた布地を外した。帳面に書き連ねていた手が思わず止まってしまった程、ハッとする美貌だ。我々の方へ振り返り、「“差”というものは、“何”で計るとお思いですか?」と歌うような口調で尋ねてくる。
 突然に美女から話を振られた副隊長が、戸惑いつつも「えー、手っ取り早いのは財産ですかねえ」と、俗めいた答えを述べた。これだけ法や言葉が違う世の中であっても“俗”と言える程、普遍的な価値観である。
 軽く頷きながら回答を受け止めた最高位の女性は、「その財産は“何”で計りますか?」と謎掛けのように問いを重ねてきた。副隊長は「財産、財産はそりゃあ、所持金の多さだとか、家の大きさとか」と続けて、「ああ、それと美人の嫁さんだとか」と茶化す。女性は歩みを止めないまま、最後の答えだけ頷かずに無視した。

「所持金の多さは“何”かで計りますよね。家の大きさや広さも“何”かで測らねば、人との“差”も分からないでしょう」

 気が付けば、随分と高層にまで上ってきている。ゆるやかな坂道を登り続けていたため、今が何階なのかが分からなくなっていた。後ろの隊員にそっと「今、我々は何階に居るか分かるか?」と尋ねる。彼も見失っていたようで、その後ろ、その後ろと伝言のようにして問いが回っていき、かなり後ろの方から16階です、と答えが返ってきた。
 小部屋は相変わらず、生気を無くした人で埋まっている。罪人は老若男女を問わない。まだ少女と見える子どもまで居た。何かを口ずさんでいる。ここの罪も歌うことなのだろうか。

「あの歌は?」

 同じように少女の姿を見留めた隊長が問う。女性は答えない。代わりに歩を止めて細い声に耳を澄ませると、聞いたことのある数え歌だった。
 少し足早になって手前を進む隊長に追い付き、それを耳打ちする。すると隊長がピタリと足を止めて「先程、我々のいる階を答えた者は?」と大声で呼びかけた。ザワザワと隊が乱れる。先程、確かに答えが届いたのに、隊列の中にその回答者がいないのだ。誰かが思い出したように、待機の際に不満の口火を切った隊員の名を呼んだ。彼からも返事がない。
 その様子を足を止めて眺めていた美女が、当たり前のような口調で「その方々なら、この上のお部屋にご案内しました」と告げる。

「……“数”か」

 副隊長が小さく呻いた。美女が微笑む。

「争いの元は、いつだって何かの“差”。そしてその差を生むものは“数”という共通の値です。“数”を数えると争いが起こる。そうでしょう? そのせいで皆、足りる足りないだのばかり……。“数”が減ることや増えることだけを想像し、それに取り憑かれて、今あるものを見もせずにいることは害悪であると思いませんか?」

 おそらく、いや確定だ。この土地では『“数”を数えることが罪』なのだ。だからこの螺旋状の建物で階数を確実に数えていた者や扉が開くまでの時を計っていた者は、罪となった。

 隊長の顔が引き攣る。副隊長もほぼ同時に顔色を変えた。
 そうだ。そうだった。我々は隊列を組んでからこの建物の中に入った。

 隊列を組む際に“点呼”を取っている。


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サークル名:アールワークス(URL
執筆者名:冬耳枕流

一言アピール
当サークル発行の小説アンソロジー『JEWEL GARDEN』に参加しています。緻密だったり繊細だったり、それぞれの色合いを持つ「書ける」方々が集まって、素敵なデザインと取りまとめによって完成度の高い一冊に仕上がっています。なんというか、お得な本だと思います。ぜひ会場でお手に取って御覧ください。


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