想託

 深い緑の軸から連なる銀のペン先を、じっくりとインクに浸す。
 すっかり手に馴染んだ軸を包み込んで滑らせれば、漆黒の文字が紙面を踊る。
 ラムディスは、昔から字を書くことが好きだった。
 声以外で思いを伝える手段として。自分の気持ちを吐き出して整理するためのツールとして。間違えたら簡単には修正できないという、程よい緊張感もたまらない。元々凝り性な性格も手伝って、いかに読みやすく美しい文字を書けるかに没頭した時期もあったりした(その弊害で仕事の書類記入も相棒から全て丸投げされているわけだが)。
 軸の尻を顎に当てて、中空を睨む。あとは何を書こうか。
 したためるのは、何の変哲もない挨拶から始まる手紙。今現在いる場所の様子。自分(とついでに相棒)がここでどんなことをしているか。そちらの状況は変わりないか。今度は一緒に来て観光してみたい。
 このまま締めくくってもいいが、紙面に余裕もあるしもう一言くらい付け加えて――などと勘案していたら、
「……ッ!?」
 いつの間にか背後にある気配に驚いて、隠すため咄嗟に手紙に覆い被さった。ぐちゃ、と紙の端が折れ曲がる音。
「遅〜い。もう見ちったもーん」
 気取られぬよう息を止めていたのだろう、ぷふーと吹いた鼻息が届くほどの至近距離でニヤリと笑うのは、ラムディスの幼馴染みであり、仕事上の相棒・ユッカだった。振り向きざまに、彼の楽しそうに輝く赤い瞳を睨みつける。
「おっ前、勝手に入ってくんなよ! 折角格安で二部屋確保できたってのに」
 無断侵入かつ覗き見という無法へ抗議するが、
「えー、だってつまんねーじゃん」
 子供のような言い訳で一蹴される。
「年がら年中同部屋なんだ、たまには別々に羽伸ばしたっていいじゃねぇか」
 ラムディスとユッカは非合法賞金稼ぎイリーガル・ハンターとして生計を立てている。その収入は不安定かつ不定期で、常に家計は火の車だ。節約のため普段は馴染みの安宿に長期間連泊している――それもどうかと思わなくもない――が、良い年した大の男二人が四六時中顔を合わせっぱなしなのも、なかなかフラストレーションが溜まる。いくら幼馴染みであっても、プライベートな時間は必要だとラムディスは常々思っている。
 ユッカは片眉を上げ、訝しそうにラムディスの手元を眺めてから、ふーんと意味ありげに鼻を鳴らした。
「珍しく別々の部屋になったから夜にこっそりどっか遊びに行く魂胆かと思ったら、手紙なんか書いてたんかよ」
「悪いか?」
「イヤ悪かねーけどさ、ラムちゃんやっぱ真面目だなーと思って」
 ユッカがニコニコしながら頭をぐしゃぐしゃと撫でてきたので、ラムディスは「やめろ馬鹿」と振り払う。こうやって、たった一歳年上なだけで兄貴面してくるのが気に入らない。普段はどちらかというと、手を焼かされているのはこちらのほうだから尚更だ。
「あのコに書いてんだろ?」
 手紙の宛先をズバリ言い当てられて、ラムディスは不覚にも狼狽えてしまった。
「……どこまで読んでんだよ」
「ほぼ全部? お前の字はめちゃくちゃキレイで読みやすいからなー」
 悪気のない言い方に思わず脱力して机に突っ伏す。褒められているようだが全くそんな気がしない。
「部屋を分けても俺にプライバシーはないのか……!?」
「はっはっは、オレにはお前が非行の道に走らんよーに監視する義務があるからな」
「保護者か!」
 ユッカが隣でからからと笑った。
「あのコ宛てなら、もっといろいろ書くことあんじゃん。好きだーとか、会いたいーとかさ」
「いやラブレターじゃねぇんだから」
「え、ラブレターじゃねーの!?」
 大袈裟に驚いて後退りしてみせるユッカに、ラムディスは呆れた眼差しを向ける。
「ただの近況報告だよ。旅先から送る記念の絵葉書みたいなもん」
「えー、そんなのつまんねーじゃん」
 つい先程聞いた言い訳と似たようなセリフを言ってのけて、ユッカは唇を尖らせた。
「あ、アレだな? 『文はやりたし書く気は起きぬ』ってヤツ。よっし、オレがラムディスのフリして書いてやるよ」
「『書く手は持たぬ』だし、そもそも代筆頼む気なんてさらさらないんだけどな?」
 ラムディスのツッコミを聞いているのかいないのか、ユッカは既にラムディスの手からペンを奪い取っていた。そして手紙の続きを勝手に書き始める。
 相棒の特徴的な筆跡を以前『似非エセ楔形文字』と称したこともあったなぁ……などと過去に思いを馳せながら、紙面をのたうち回る文字(?)を見つめることしばし。
 調子良く書き連ねていたユッカの動きがだんだんと緩慢になってきて――やがて、手が止まった。
「……あのさ。自分でやっといてなんだけど、止めねーの?」
 ん? とラムディス。大胆なことをやった割に恐る恐る尋ねてくる相棒の態度がおかしくて、一拍置いて噴き出した。
「そりゃ、俺とお前の文字じゃ可読性に雲泥の差があるからな。わざわざ注釈入れなくても一発でお前のイタズラだってバレるわ」
 は、と今気づいたように、ユッカは赤い髪を掻きむしる。
「くっ、オレの『離れていてもらぶらぶキューピッド作戦』は失敗かっ」
「そのネーミングセンスはどうにかならんのか」
 さらに「どうせ下書きにするつもりだった」と伝えると、ユッカはあからさまに興味を無くしてやれやれと首を振った。
「ったくしょーがねーなー。オレは部屋に戻るけど、後で寂しいっつってオレの布団に忍び込んでくんなよ?」
「そのセリフそっくりそのまま返すぜ、オバケコワイ星人が」
「やめろよ忘れてたのに!!」
 悲鳴じみた返事(本当に忘れていたのだろう、相棒は大のお化け嫌いだ)を聞き流し、はいはい行った行った、と背中を押して追い出す。先程は忘れていた鍵をしっかりとかけると、廊下で「ちぇー」と分かりやすい不満の声が聞こえた。隣の部屋の扉が閉まる音を聞き届けてから、ラムディスは文机に戻った。
 新たな便箋を取り出して、相手の名前からもう一度書き始める。一字一字に慈しみを込めて。
 戦乱で故郷を失い、外の世界に知り合いもいないまま根無し草となったラムディスにとって、手紙を出せる相手がいるというのは何と幸せなことなのだろう。変わらずそこに居てくれる、帰りを待っていてくれる存在の、どれだけ愛おしいことか。
 相棒の言う『恋』とか『好き』とか、そういう次元ではない。到達していないのか、通り越してしまったのかはさておき――手紙を送るその行為自体が、ラムディスにとっては嬉しいことなのだ。
 結局特別な言葉を付け足したりはせず、そのまま締めの挨拶まで書き切って、最後に署名を添えた。丁寧に折って宛名を書いた封筒に入れ、土産物屋で購入した押し花の栞も入れて、糊で封をする。切手を貼るのも忘れずに。
 懐中時計を見る。寝るにはまだ早い時間だ。ラムディスは立ち上がり、夜の散歩がてら手紙を出しに行くことにした。ユッカに外出がバレるとまだ面倒な事態になるので、盗賊シーフらしく忍び足で廊下を歩いて外に出る。

 夜の静かな空気は澄んでいて、ゆるやかな風がラムディスの黒髪を揺らした。
 手紙の宛先――城塞都市ダグラム唯一の雑貨屋の看板娘は、今日も一仕事終えてゆっくりくつろいでいる頃だろうか。この手紙が届くのがいつになるのかは分からないが、きっと喜んでくれるだろうと想像する。
 郵便屋の前に着くと、配達員らしき青年がちょうど文箱に投函された紙の束を取り出しているところだった。こちらの手元に気づいて「お手紙、出されますか」とにこやかに声をかけてくれた。
「遅くまでご苦労様です」
 ラムディスが労うと、青年は「これが仕事ですから」とはにかんだ。
「よろしくお願いします」
「はい、確かにお届けいたしますね」
 渡した手紙を大事そうに預かって、青年は帽子の鍔に手を当てた。
 ラムディスは、去り際に一度振り返る。
 郵便配達員は、手紙に乗せた思いを届ける仕事だ。あの手紙の一つ一つが、誰かが誰かのために集めた文字の結晶で。彼の手によって、その思いはひとつに繋がるのだ。責任重大だが、そんなにワクワクする仕事もそうそうない。
 平和に身を浸す将来が訪れたなら、その時は。
「……悪くないかもな」
 青年と同じ制服に身を包んだ自分を想像して苦笑しながら、ラムディスは宿への道を遠回りして帰った。

サークル情報

サークル名:勇者斡旋所
執筆者名:卯月慧
URL(Twitter):@uduki_sosaku

一言アピール
バディ系ファンタジー小説『Task Executor』より、日常の一幕。
タイトルは二字熟語、という縛りが本編にあるので、この読み切り短編もそれに準じました。読みは「そうたく」でも「おもいたくす」でも。
相棒とか主従とか双子とか、切っても切れない絆で結ばれている二人組が大好きです。

かんたん感想ボタン

この作品の感想で一番多いのはほっこりです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • ほっこり 
  • 受取完了! 
  • かわゆい! 
  • ほのぼの 
  • ごちそうさまでした 
  • 尊い… 
  • うきうき♡ 
  • しみじみ 
  • 楽しい☆ 
  • ロマンチック 
  • キュン♡ 
  • 泣ける 
  • 切ない 
  • そう来たか 
  • エモい~~ 
  • この本が欲しい! 
  • しんみり… 
  • 胸熱! 
  • ドキドキ 
  • 笑った 
  • 怖い… 
  • ゾクゾク 
  • 感動! 

想託” に対して1件のコメントがあります。

  1. ぶれこみ より:

     まだ、作者様はお若いのか、男性ふたりの泥棒たちが、どうも幼い感じが否めません。高校生くらいのやりとりなら、こういうのもあるかなと、思いますが、大人になると世の中の厳しさに性格が歪んで、もっとエゴイスティックというか、欲まみれになるというか、なかなかこのような状況は生まれない気がします。また、主人公が最後にポストマンに憧れるようなことを考えていますけど、そういうロマンチックなことを考えそうなのは、少年少女なので、薄汚い泥棒の考えにしては、どうも適当でない気がします。
     まあ、これは一つの僕の受けた印象でしかないので、参考までに聞いてくれたらいいです。
     もう少し、いろいろな人生経験を積むと、物語に深みが増すと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください