mail and letter from

 そのメールが届いた時、柄にもなく浮かれた。できるだけ早足で歩きながら返信を打つ。
『2限大丈夫。図書館の前に行くから』
 送信完了とほぼ同時に、大学図書館に着いた。象徴的な時計台を真上に、出入口へ続く広い通路の端に立つ。
 深呼吸をした。浮かれているのを外に出してしまうのはまずい。ましてや彼女に見せるなんてことは。先ほどまで感じなかった夏の初めの暑さが、じわっと肌にしみてきた。
 開きっぱなしのメールを最初から読む。
『おはよう、槇原まきはらです。急にごめんなさい。今、大学ですか? 用事があって、できれば早く会いたいです。私は2限が空いてるけど名木沢なぎさわくんの都合はどうですか?』
 ごく事務的な内容なのに、嬉しさがこみ上げて顔がにやけてしまう。彼女からの初めてのメールであるし、これから会えるという点も大きい。そのくらい最近は「彼女成分」が不足していた。ここ何数週間、会うどころか見かけてもいなかったのだ。
 1月の、偶然会った自由登校の(結果的に一緒に映画を観たりした)日に、携帯番号とメールアドレスを教えておいてよかった、と心から思う。
 にしても、何の用事だろう? 聞きたいこと、伝えたいことがあるなら、電話かメールで済みそうなのに。
 もしかして、という事柄が浮かんでしまうのはさすがにバカだと承知している。その可能性は万にひとつもない。彼女には付き合っている相手がいるし、自分は男として見られていないだろう。
 にもかかわらず期待が消えないのは、恋する人間の愚かさというべきか。これまで、女子から呼び出される時はほぼ必ず、告白される時だったし──
「ごめんなさい待たせて、……名木沢くん?」
 余計なことを考えていたら、駆け寄ってきた彼女に対応するのが遅れた。自分が来たのとは逆方向、彼女が在籍する文学部の方から来たのは目に入っていたのだが。
「あ、ああ大丈夫、さっき来たとこだから」
「ほんとにごめんね、急に呼び出したりして。さっそくなんだけど……」
 ためらいながら彼女がカバンから取り出したのは、薄いピンクの封筒。よく手紙に使われるサイズの。
 万にひとつ未満の可能性が、一瞬、それ以上に上がったように思えた。だが錯覚であることはすぐ判明した。「友達からなんだけど」と彼女が言ったからだ。
 ──そりゃそうだよな、当たり前だ。
 自戒と自己嫌悪が混ざった心持ちになった後、感じたのは、少なからぬ複雑な思いである。
 よりによって彼女が、他の女子からの手紙を持ってくるとは。客観的に考えればあり得るのに想像したことがなかった。だからなのか、ショックが小さくない。
「演習のクラスが同じ子でね。高校からの彼女いるよって言ったけど、いいからって。とにかく伝えないと自分の中で納得できないって。そこまで言われたら、渡せないとか言えなくて」
 会った時からの申し訳なさそうな態度を彼女はくずさないが、友達のための行動は非常に彼女らしくて好ましいし、彼女が悪いわけではない。
「だけど渡した後は本人にまかせるよ、とは言っておいたから。もし返事がなくても文句言わないって。返事は名木沢くんの自由でいいから、とりあえず読んであげてほしいの」
 差し出された封筒を、1秒半だけ逡巡した後、受け取る。ようやく、彼女がほっとした様子を見せた。
「ありがとう、今度お礼するね。そうだ、早いけど今からお昼食べる?」
 心惹かれる提案にかなり葛藤したが、2限に遅刻している現状を思い返し、ギリギリで思いとどまった。
「いや、そんなのはいいよ。気持ちだけで」
「え、でも」
「ほんとにいいから。どうしても気になるなら、ちょっと貸しってことで」
 ちょっと、と言いながら右手親指と人差し指で作った空間を見て、彼女がくすっと笑った。今日初めて、そして久しぶりに見た笑顔。
「じゃあ、そういうことにしとくね。実は今から調べものあって。ほんとにありがとう、またね」
 と言って彼女は脇をすり抜け、図書館の入口へと小走りで向かっていく。その後ろ姿を、学生証での認証式ゲートを通って建物の中へ消えるまで、ずっと見ていた。
 それからこっそり、ため息をついた。

 読み終えた手紙を見つめ、今日何度目かわからないため息をつく。
 封筒にしまい、放り出しそうになるのを辛うじてこらえ、ベッド脇のローテーブルに慎重に置いた。ベッドに転がり、天井に向かって大きく息を吐く。
 参ったな、というのが偽らざる本音だ。
 手紙の内容はほぼ予想通りだった。入学後に構内で見かけた時から好きだった、という気持ちと、断りの返事でもいいから連絡がほしい、という要望。便箋の最後には、携帯番号とメールアドレス、LINEのIDが書かれていた。
 申し訳ないが、名前には全く心当たりがない。顔を見ても絶対にわからないだろう。
 さて、どう返事をしたものか。内容ではなく手段の点で悩む。向こうは「好きな相手」だと思うから個人情報を教えることに躊躇がないのかもしれないが、自分は違う。LINEはやっていないから省くとして(連絡用にID取れ、とサークルの幹部には言われているが)、携帯とメール、どちらとも判断しにくい。
 正直、番号もメアドも知られたくはない。
 だが彼女──槇原友美ゆみに伝言や手紙を託すことだけは、したくなかった。関係のない恋愛沙汰に彼女をこれ以上巻き込みたくないし、彼女とこの件については話をする気になれない。
 なぜわざわざ、彼女を仲介に選んだのか。その点については手紙の主を恨めしく思わないでもない。しかし当人にとっては他にない頼みの綱だったのかもしれないし、伝えずにはいられない気持ちもわからなくはないから、面倒には感じつつも突き放すことはできかねる。
 しょうがない、メールで返事をしよう。電話だと会話の途切れた間とか、泣かれてしまったりすると対応がしにくい。万一メアドが広まってしまったらその時は変更して、必要な相手にあらためて教えればいい。
 対応を決めると少し気分が軽くなった。起き上がり、手紙を見直してメアドをチェックし、メールソフトの新規画面に打ち込む。間違えて送信しないよう下書き保存を行い、いったん閉じる。
 こういうことをやるのも久しぶりだった。中学の頃は、もらった手紙に返事しない場合もあったが、高校の時はいちおう一通一通に答えを返していた。中学時代に比べれば手紙が少なめだったのと、当時から今に至るまで付き合っている倉田都くらたみやこの方針である。きっちり釘を刺しておく目的、と言っていた。
 ……もし、彼女だったらどうするだろう? 完全に自分任せにするのか、律儀に返事をさせるのか。後者だとしても都みたいに威圧的には言わず、おそらくは相手のことを気遣って心配そうに言うだろう。
 それにしても。
 今日初めて、片想いのつらさが本当にわかった気がする。好きなのに相手には通じていない、その状態が時々とても苦しくなる。想いを伝えたい衝動が抑え難くなる。だから、今日の手紙の主に対してもなるべく言葉を選びたい。機械的に返事をしていた高校の頃は考えなかったことだ。
 もちろんいくらかは、彼女の知り合いだという点も作用している。彼女が自分に失望するような言動は、ほんの少しであってもしないように、気をつけたいと思うから。
 彼女に対する想いが、自覚した頃よりも強まっているのを感じずにはいられない。だが彼女にも自分にも、今は付き合う相手がいる。単なる片想いよりもがんじがらめだ。伝える自由のない片想いは、伝えられる場合よりも、もっと苦しい。
 待てよ、とふと思った。
 そもそも自分は片思いをしたことがあったろうか。小学生の頃は根本的に恋愛に興味がなかった。中学以降、急に女子から手紙やらもらうようになり、良さげな何人かの女子とは付き合ったものの、その中の誰も特別には好きにはなれず、長続きしなかった。
 そんなことの繰り返しに嫌気がさした後は、都と付き合うまで誰にも好意を持つことはなかったし──都との交際にしても、あちらからの告白である。会話の中で都に「好きだよ」とか言う時もあったが半分は冗談まじりで、都への好意は結局、友人以上恋人未満止まりである。彼女を好きになった今はなおさらそう思う。
 ということは。
 片想いどころか、女子を本気で好きになるのも、初めてになるのだろうか。つまり、今が初恋?
「……マジか」
 呆然とつぶやいた途端、必要以上に自覚が高まって、強烈に照れくさくなった。この年で初恋だなんて、凄まじく恥ずかしい。
 だが数時間前に見た彼女の笑顔を思い出すと、複雑な思いがゼロではないにせよ落ち着く。今日の彼女は白いブラウスの上に七分丈のデニムジャケット、淡い黄色のスカートを着ていた。おとなしすぎるとも言える格好だったけど、彼女の性質には合っている。まあどれだけ地味でも仮に派手でも、結局は可愛いと思ってしまうのだろうが。
 ともあれ──いいかげん、都との関係をどうにかしなければいけない。
 彼女への想いに気づいて半年ほど。その間も、何も言わずに都と付き合い続けているが、そろそろ限界に近い気がする。
 高校卒業前後から、あからさまにキス以上を求めるようになった都に対し、自分は何かとはぐらかしているのだ。大学が別になり、互いに忙しく月に2回程度しか会わない現状でも──否、だからこそなのか、都が自分の態度を不審に思っているのは如実にわかる。ごまかすのもさすがに限度があるだろう。
 だが別れたい理由を正直に話せば、確実に面倒が起こりそうでもある。振られるという点だけでもプライドの高い都は腹立たしく思うだろうし、ある意味で見下していた「部活の同期の槇原さん」が関わっていると知れば、なおさら我慢ならないはずだ。彼女に対して、何か不愉快な真似をしないとも限らない。それを思うと言うのをためらってしまう。もっとも、言い出す気になれない最大の理由は、別れたところで彼女に告白できるわけではないからなのだが。
 ……わかっている。誰かに告白された時に都合が良かろうと、彼女に想いを伝えられない反動であろうと、都との関係を隠れ蓑に使うべきではないと。それでも今この時はもう、それについて考え続けたくなかった。
 たぶん今日一番大きなため息とともに、憂鬱な思いをいったん全部吐き出す。
 とりあえずは「役目」を果たしてしまおう、と先ほど保存したメールを開く。二度と使うことはないメアドをあらためて確認し、本文を「はじめまして」から打ち始めた。簡潔でも素っ気なくなりすぎないよう、言葉に配慮しながら。

サークル情報

サークル名:さふらわー部屋
執筆者名:まつやちかこ
URL(Twitter):@Cmatsuya

一言アピール
<サークル一言アピール>
個人サークルです。
普段は、現代日本が舞台&学生が主人公の、男女の恋愛小説が中心。たまにファンタジー風というか、架空世界を舞台にした話も書きます。
年齢1桁兄妹育児中の現状、オンライン活動が主。
『mail and letter from』は、拙作『anniversaire』シリーズ(R-18描写あり)の前日譚。シリーズ3部作と、後日談短編本を頒布予定です。

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mail and letter from” に対して1件のコメントがあります。

  1. ぶれこみ より:

     題名が英語なのでなかなか手が出ませんでしたが、読んでみたらとても気に入りました。僕の人生には関わりのないモテモテ男の青春の話ですが、モテる男の恋の切実な悩みが、巧みに描写してあって、楽しめました。読み応えがあるというか。モテる男が遅い初恋に気付くというのが、とてもリアルです。モテモテの人は女に飢えてないから、女性に対する憧れも少ないと思うんですよ。モテ男らしく、振る相手にも気をつかうところもいいですね。面白かったです。

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