いちばん綺麗な海
大切な人の言った重要な言葉が胸に残るのは当たり前だけど、割と関係の浅い人が言った言葉が妙に”刺さる”ときがある。あまり話したことのないクラスメイト、仕事で一度だけ会った人、病院の待合室で話した人、などなど。関係が浅いから、よりその言葉が強く印象づけられているのだろうか。
ある初秋の休日だった。無計画に車を走らせる、独身時代にありがちなショートトリップ。運転していたのは男の子で、助手席とその後ろは女の子たち。私は運転席の後ろにいた。
「どっか行こうよ!」「じゃあ海! 日本海!」「海〜!? どこでもあるだろ海ぐらい!」結局我々は日本海を目指すことになった。どうして女の子というものは海に行きたいと言うのだろう。そういう私も海は嫌いじゃない。むしろ山より海を求めてしまう。山育ちは海に憧れがあるからだろうか。
道路表示だけですんなりと辿り着いたのは、もうとっくに夏の喧騒が消え去った海岸だった。誰もいない。けれどこの日はものすごく晴れていた。そして海は青かった。風が強くて、私は買ったばかりの帽子をヒップバッグの金具につないだ。
一緒に来ているけれど、この風の中で私たちは一人ひとり別々の世界にいた。誰も言葉を発さずに。私は持ってきていたトイカメラと携帯カメラで交互に撮影した。空も海も青。特に海の部分はラピスラズリみたいに濃く青い。そこにハッキリと白い波の泡立ちが浮かぶ。
そしてそのまま同じ行程を帰ってゆく。日が暮れて給油の心配をする。それ以外のことは忘れてしまった。私はあれ以上に綺麗な海を見たことがない。大切な人や家族と幾度となく海を見ているのに、沖縄のビーチの美しさもこの目で見たはずなのに、この晴れた日本海の濃い青以上のものは無かった。
共にその綺麗な海を見た人たちとは、もうずっと会っていない。一人の女の子とは年賀状のやり取りをしているが、なかなか会うチャンスに恵まれていない。いま別々の世界を生きる四人が、あの瞬間に海に行きいちばん綺麗な海を見たことは奇跡だった。もしかしたらあの海を見るために、私とあの人たちは出会ったのかもしれない。
そう感じていたころ、アートプロジェクト「漂流郵便局(MISSING POST OFFICE)」の話題を見かけた。香川県の粟島にある旧郵便局舎のことだ。そこでは届け先の分からない、いつかのどこかにいる誰かへと送る手紙が展示されている。もう死んでしまった大切な人に宛てた手紙が多そうだが、最初に書いた「”刺さる”言葉をくれた関係が浅い人」や、この「綺麗な海を見た人たち」のような人に宛てて書くのも、良いんじゃないかと思う。……みんな、元気ですか?
サークル情報
サークル名:leftright
執筆者名:わたのはらさゆ
URL(Twitter):@leftright_bun
一言アピール
旅文学の小さな本を作っています▼最新刊『敢えてここでいただきます』国宝で食べた昼食・マカオの美味しい店の特徴・広島の元プールで食べる朝食など特徴ある状況で食べた記録▼その他既刊:宮島裏通り研究・大阪の奇抜な施設と広島のスタイリッシュな施設の比較旅・東南アジア山岳地帯本・広島のディープスポット本など。
「手紙」というテーマに無理やり結びつけている感じが、テーマに添って書くことの不得手さを感じさせましたが、海を見に行った思い出とか、その何でもないことがひどく印象付くさまとかは、面白い描写だと思いました。惜しむらくは、もう少しその思い出の印象深さを、生々しく再現して欲しかった。でも、海の美しさは感じられました。なかなか楽しかったです。