木の葉の小舟
──あいたいです──
つたない文字でそうしたため、幼い少年は短いだが心を込めた手紙を木の葉を組み合わせた舟に乗せた。そしてそっと舟を川の流れに委ねる。
葉っぱの小さな舟は彼の切実な願いを記した手紙を乗せて、せせらぎと共に流れていく。
「いいぞ」
少年が声に出して喜びを口にした時、舟は川の急流に揉まれて転覆し、手紙と共に川底に消えた。
落胆を隠せない少年。だが大切な手紙を失う経験は、これが初めてではなかった。
幼い頃に生き別れた姉に会いたいと願い続け、少年は村の物知りに教えてもらったつたない文字で姉への手紙を書き、そして木の葉の舟に乗せて川へと流していた。毎日、毎日。
舟は少年の目で追えなくなるところまで流れる時もあれば、流した側から転覆してしまう時もあった。それでも少年は姉への思慕を木の葉の舟に託し、川へ流すことをやめなかった。
流した手紙と舟はもう両手の指では数えきれない。数えることなど、とうにやめてしまった。それでも少年は舟を流し続けた。
舟の行き着く先に、必ず姉がいると信じて。手紙を見つけた姉に会えると願いをこめて。
手紙を乗せた木の葉の舟を川に流すという少年の日課は何年も続き、月日は流れた。川の流れより早く、月日は過ぎ去っていた。
すっかり大人になった青年は、少年の頃と変わらず、毎日川に木の葉の舟を流し続けていた。
もう姉に会えるとは思っていない。心のどこかではとっくに諦めていた。しかしまだ蜘蛛の糸のようなほんの僅かな希望に縋っている。だから完全に諦めた訳ではないと自分に言い聞かせ、舟を流す。
今日も青年が舟を川へ流した時、川べりの道を牛車が通りかかった。
「そういえば……」
今日は村の地主の元へ隣村から娘が嫁いでくると祖母から聞いていた。年の離れた若い娘だと聞いたが、青年にはさして興味はない。青年が興味を持っているのは、どうすれば木の葉の舟を転覆させずに川へ流すかということだけだ。
先ほど流した舟は今日も転覆して川底へ消えてしまった。手紙を乗せなければもう少し川を流れてくれるのだが、手紙を添えることが大事なのであって、舟を流すことが目的ではない。
青年は溜め息を吐きつつ川から上がる。そして草履を履いて家に向かって歩き出した。
家に向かっていると、ちょうど目の前に先程の牛車が見えた。牛の歩みは遅いので、足早な青年は牛車に追いついてしまったのだ。
「追い越してもいいよね?」
地主の元へ向かう牛車なので、その傍を通り抜けようとする行為はやはり緊張してしまう。
少し戸惑いつつ、青年は牛車を追い抜く。過ぎ様にふわと柔らかな風が吹き、牛車の窓にある薄布が揺れた。
「……?」
地主に嫁ぐ娘なのだろう。美しい娘が窓から見えた。刹那、青年は息を詰まらせて立ち止まってしまう。
見間違いようもない、彼女は彼が会いたいと願い続けている姉だったのだ。
窓から見えたのは一瞬だったが、黒目がちな瞳や、ツンと尖った鼻、そして目元にあるほくろは、彼の記憶の中にある生き別れた姉と全く同じだった。幼い頃いつも微笑みかけてくれた、優しい姉の顔がそこにあったのだ。
「あ……」
声を掛けようとして、思い留まる。娘は──姉は地主に嫁ぐのだ。村の屑拾いである自分とはもう身分が違いすぎる。違ってしまったのだ。
生き別れた姉がどう過ごしていたかは分からない。どこで何をして、何があって地主に見初められたのか。何も、分からない。
だがもう、彼の手の届かないところへ行ってしまったのだという事実だけは理解できた。
牛車がゴトゴトと、地主の屋敷へと向かう。優しい風が吹く中、ただただ見送る青年。
「ひと目だけでも、姉に会えた。それだけでいいんだ」
青年は自分にそう言い聞かせ、自分の家へと帰った。唇を強く噛み締めながら。
次の日から、青年は木の葉の舟を川へ流すことをやめた。手紙にしたためた願いは叶ったものの、もう姉に触れることはできないのだから。
サークル情報
サークル名:アメシスト
執筆者名:天海六花
URL(Twitter):@6ka6ka
一言アピール
「手紙」というものには、どこか寂しげな印象があります。
もちろん嬉しいことを記載した手紙も、優しいあたたかな報せを運んでくれる手紙もありますが、ただ「手紙」という字面だけを見ると、私は寂しさを感じるのです。
「寂しさ」の代表格である事柄は「別れ」なのかな、と、この作品を書きました。
優しい話でとても好きです。アイデアも面白いし、表現も僕の好きな凝り方をしていました。オチについて、どうしてかという理屈がなくて、起こったことに対する主人公の対応を描くだけというところも、気に入りました。そのようなことは他人の空似として起こるかもしれないし、天に主人公の気持ちが届いたのかもしれないというふうにもとれて、面白かったです。
コメントありがとうございます。
登場人物の心情には必要以上にあまり深く切り込まず、表面だけを捉えることに気を付けて書いた作品だったので、そういった面がちゃんと読み手の方に届いていたことにホッとしました。
牛車の女性は姉だったのか、姉でなかったのかという点についても、主人公から見れば姉であるし、他の人から見れば姉でないかもしれないという振れ幅を出せたような気もします。
お楽しみいただけて本当に良かったです。
ありがとうございます。