Palm

※注意※ 詳細なグロ描写はありませんが、人をめっちゃころします。


 正義とは何か、断罪すべき悪とは何か?
示してみせよう、我々は既に気付いていると。お前達は法の番人ではなく、秩序の守り人ではなく、一部の者にとって都合の悪い存在を排除するだけの、腐った存在であると!
「手のひらで踊らされているとも知らない、愚かな人々の目を覚まさせてやろう。奴らは無力だと。自分達を守る事さえできない無能なのだと――皆で、この国の未来を変えようじゃないか。」
 地下に作った会議室に、数十人分の歓声が響き渡る。武器を、拳を掲げて吼える同志達が注目する中、私は大きく頷いてみせた。
「では解散だ。諸君、三日後に現地で会おう。全ては祖国のために。」
 室内は一気にざわめき始めた。心境を語り合う者、チームごとの段取りを確認する者、手配した物品のリストに目を通す者。皆が一丸となってこの国の未来を切り開こうとしている。
「ロイスさん。」
 呼ばれてそちらを振り返った。痩せた背の高い男。爆弾製作のエキスパート、クリスティアンだ。今回の警視庁制圧計画でも、非常に重要な役割を担ってくれている。
「何だ、クリス。お前の班は特に問題なかったはずだが。」
 会議直後とは、何か重要な話でもあるのか。大机に広げた資料を片付けていた同志達も、何事かとこちらを伺っている。クリスは使い込んだショルダーバッグを漁りながら言った。
「今年は手紙くらい、どうですか?」
 何を言っているのかわからず、私は眉根を寄せる。クリスは机から私の手帳を勝手にどかし、安っぽいレターセットを広げた。
「明日は息子さんの誕生日じゃないですか。」
「そうだったか?」
「そうですよ。」
 クリスは生活能力の無い奴で、たまたま知り合いの女が近くに住んでいるので面倒を見させているが、お陰でいらない気を回すようになってしまった。
「去年は勾留されてて何もしなかったでしょ。今年は手紙くらい書いてあげましょうよ。」
「わかったわかった…。」
 私はため息を吐いてペンを手に取った。お互い惚れてもいない女との、作る気のなかった子供でも、名前くらいは憶えている。

《誕生日おめでとう、エリック。今年も一緒にいてやれないが、私は一刻も早く、この国に巣くう蛆虫どもを駆除しなくてはならない。わかるな、時間が惜しいんだ。お前はきちんと学び、母さんに迷惑をかけないようにしなさい。 父より》

「これでいいか。」
「まぁ、いいでしょう。」
「お前なぁ…。」
 ペンを置き、手紙をクリスの方へずらした時だった。会議室の扉が開いて、全員がそちらを振り返る。計画に参加する同志は皆ここにいて、遅れてくる予定の者などいないはずだ。
「こんにちは、テロリストの皆さん。」
 見覚えのない、黒服の男。
 その第一声が終わると同時に、初手の撃ち合いも終わっていた。部外者と判断した時点で十数人が銃を向けていたが、その中でも発砲した三人は即座に倒れた。閉じた扉に弾痕が三つ、男は僅かな動きでそれを避けたようだった。内鍵が閉まる音――…

 殺戮だった。

 倒れた同志を見て、武器を持っていた全員が戦闘態勢に入ったが、男は恐ろしく早く、正確にこちらの数を減らしていった。自分が何者かも明かさず、目的も言わず、ただ命を奪っていく。
「きゃぁあああああ!」
「何なんだよ、誰なんだ!?」
 撃たれて切られて折られて刺されて、攻撃がどこからきたのかも知らぬ間に死んでいく。今誰が狙われているのか、気付いた時には殺されていて、助けようがなかった。
「嫌だ!死にたくない!」
「あいつを殺せ!早く!」
 耳がおかしくなる程の大音声が響き渡っている。逃げ出そうとした者は殺され、歯向かえば殺され、命乞いは言い終える前から無視された。時折目視できる、同志達の間を縫うように動く男は、どんどんその身を返り血で染めていく。
「まるで悪魔だ……」
 誰かが言った。あぁ、確かに相手は人間ではないのかもしれない。銃声と悲鳴、人間が床に落ちる音。こんな場面はいくらでも作ってきた・・・・・のに、「指示を」と叫ぶ仲間に何も言う事がない。私は理解してしまっている。あれから逃れる術はないと。
「はぁッ…はぁッ……」
 私はただ立ち尽くしていた。悪魔は茶髪で、人間の男の姿をしている。空想の世界で人外は赤や金の瞳にされるものだが、あの青い瞳こそはまさに、見る者を凍てつかせる死の恐怖そのものだった。
「わ、私は…死ぬわけには……。」
 一歩後退した足が何かにぶつかる。視線を落とすと、クリスが死んでいた。細い首があらぬ方向へ曲げられている。いつの間にか銃声も悲鳴も止んでいて、立っているのは私だけだった。
 悪魔と目が合う。
「なぜわからない…」
 私の口から出たのは疑問だった。
「今の世は腐っている。私は証明しなければならない……偽物の正義を振りかざした畜生どもに、知らしめねば…」
 青く冷たい瞳がこちらを見ている。私の言葉にはまるで興味の無い様子で。怒りも、嘲笑も、憎悪も呵責もなく――おぉ神よ…いや、そこにいる悪魔よ、それならばなぜ。
「なぜ私の邪魔をするんだ……」
「さぁね。」
 どうでもよさそうに返して、悪魔は銃口をこちらに向けた。

  × × ×

 内鍵の開く音がして、廊下に待機していた女刑事――シンシアは足を踏み出した。開いた扉からは血塗れの男が顔を出す。
「お待たせ、シンシアちゃん。」
 そう言って微笑む彼は、元死刑囚だ。戦闘能力を買われて秘密裏に生かされ、今はエイベルと名乗っている。
「残りは?」
 そう聞きながら、シンシアは拳銃を構えて中に入った。物音ひとつ聞こえない時点で予想はついていたが、部屋にはテロリスト集団の死体が転がっているだけだ。銃を下ろして、エイベルを振り返る。
「粗方片付いたら、私も合流する予定だったはず。」
「そうだね。」
「粗方どころか百パーセント終わってる。そもそもなぜ内鍵を閉めたの、状況がわからなくて困る。」
「ははは。じゃ、ネズミくんに見てもらおうか。」
「その呼び方、やめて。」
 ぴしゃりと注意して、シンシアはウエストポーチからビデオカメラを取り出した。銀色のミディアムヘアをさらりと耳にかけ、イヤホンマイクをつける。電源を入れると、男の声が聞こえた。
『あ、終わりました?』
「終わった。と言っても、私は何もしていないけど。映像は?」
『…まぁ、届いてますよ。』
 歯切れの悪い声だった。通信相手、スチュアート・リトルトンは潜入捜査班だ。同じ刑事部特務課の仲間ではあるが、実行班のシンシア達と比べると、死体を見る機会は少ない。
「あなた、大丈夫?」
『お気遣いどうも、大丈夫です。そいつね……次お願いします。』
 仕留めたメンバーの確認だ。一人一人映しては、スチュアートが手元の資料に斜線を引く。ペンの音を聞きながら、シンシアはエイベルを見た。生き残りのようにポツンと置かれた椅子に座り、長い足を組んでいる。
 殲滅任務オールキルは久し振りだ。あれほど血に濡れる彼を見るのも。
「エイベル」
「ん?」
 口元に笑みを作って、エイベルがこちらを見る。その瞳にはまだ、冷たさが残っているように思えた。視界に入った者全てを殺そうと動いた、殺意の残滓が。シンシアは入口を目で示した。
「血を落としてきたら。ここはもう大丈夫なんでしょう。」
「…あぁ、そうだね。うん、全部死んでるよ。行ってくる」
 青い瞳を閉じて笑い、エイベルは部屋から出て行った。血と硝煙の匂いが漂う中で、シンシアの足音だけが響いている。部屋の惨状に、スチュアートがため息を吐いた。
『これ、エイベルさんが一人で……銃だけで全部やったわけ?』
「そうでもない。この人は首にピアノ線が巻き付いてるし、そこの人は味方の誤射か、盾にしたか……あれはナイフで首をやってる。こっちの人は目に――」
『シンシア、いちいちズームしなくていいから。』
「そう?わかった。」
『…しっかしこれじゃ、』
 ――どっちが悪人なんだか。
 そう言いかけて、スチュアートは自分の口を塞いだ。エイベルと任務に出る時、監視役であるシンシアは盗聴器を持たされている。生け捕りではなく殲滅を指示したのは上なのだから、下手な事は言わない方がいい。
 無差別テロでさんざん罪のない人を殺してきた連中が、今度は殺される側になった。それだけの事だ。シンシアが僅かに首を傾げる。
「何か気になる事が?」
『え?あー…、あの人に敵う奴いなさそうだなって。』
「限られると思う、とても。」
『だよな。あんたはあの人のこと撃てんの?』
 ビデオカメラを持つシンシアの手が、一瞬止まった。しかし頭はすぐに冷静さを取り戻し、次の対象を映す。自分に言い聞かせる。
 ――スチュアートは、そういう意味・・・・・・で聞いてるんじゃない。
「……それは、無理。」
『ま、そうだろうな…別に、あんたを弱いとは思ってないけどさ。』
 スチュアートは、シンシアの動揺には気付かなかったようだ。
『拘束された後でもなきゃ、撃たれてくれなさそうだよな。』
「……えぇ。」
 相槌を打ちながら、シンシアは数日前の会話を思い出していた。スチュアートと同じ潜入捜査班に属する、親友の言葉を。

『貴女は彼を撃てる?』
 実力差の話ではない。エイベルを撃つという行動が、彼を殺すという選択がシンシアにできるのか。彼女はそれを聞いていた。
『もう始末しなさいと命令が下ったら……貴女はどうする?』

 想像したのは、いつか来るかもしれない――避けたい未来だった。裏切られた時すぐ殺せるように、エイベルの心臓には爆弾が埋め込まれている。仮に「終わり」が来てもシンシアが殺す必要はないが、あえてそれをやらせかねない人物が上にはいる。
「……おかえり。」
 扉が開く音に思考を中断し、シンシアは入口へ声をかけた。戻ってきたエイベルの髪からは水が滴り落ちている。
「うん?ただいま、シンシアちゃん。」
 顔や手についた血は洗い流せたようだ。少し気分が晴れた様子の彼を見て、シンシアは小さく微笑んだ。無意識に眉が下がっているとは知らずに。エイベルが僅かに首を傾げる。
『はい、じゃあ次お願いしま……ちょっと待った、それ何です?』
「え?」
『そこに落ちてるやつ。物によっちゃ、それ以上濡れないように、どっかよけといてほしいんですけど。』
 言われて床を見ると、便箋が落ちていた。端が血溜まりについて大きな赤い染みになっている。シンシアがそれを摘まみ上げると、ぽたりと血が落ちた。
バグウェル議員スポンサーの名前とかあったら大当たり。どうです?』
「…誕生日おめでとう、エリック。今年も一緒にいてやれないが、父さんは……ここまでしか読めない。」
『エリック……ウォルター・ロイスの息子ですね。』
 明らかに重要書類ではない。スチュアートはテンションの低い声で言った。ロイスはここ数年の主だった爆破テロの計画立案者であり、思想家だ。彼の「崇高な理念」とやらは多くの命を奪ってきた。
『そこに倒れてんのがそうですよ。写真は見たでしょ』
「えぇ。」
 シンシアは頷いた。手紙を滲ませた血の主だ。周りを見回してみると、流石にプレゼントボックスは無かったが、きらりと光る物が落ちている。手紙を倒れた椅子に引っ掛けて、それを拾った。
「これは…?」
 金属製の栞だ。切り絵になっていて、上に下に網目模様の花弁を広げるような、不思議な形の花が描かれている。金色の枠の中で、花びらだけが紫色に染まっていた。
「スチュー、見覚えは?」
『ありますよ。ロイスが手帳に挟んでたやつです。』
「あまり見た事のない花……。」
「アヤメだね。」
 いつの間にか傍に来ていたエイベルが、栞を見て言った。そういう名前かと頷いて、シンシアは形見となった栞を手紙に添える。父からの誕生日プレゼントであるかのように。エイベルが苦笑した。

 ――アヤメの花言葉は、《よい便り》そして《希望》。

 父親の血がついた手紙に添える、アヤメの栞。
「場合によっては、その手紙にぴったりだと思うよ。」
「そう?まぁ、なんでもいい。」
 そこまで意味のある事ではないからと言って、シンシアは手紙から目を離した。スチュアートが文句をつけてくる。
『俺らは郵便屋じゃないんですけど。』
「撤収しよう。スチュー、回収班は?」
『約五分後に到着。俺の話聞いてました?』
「届けてほしいとは言ってない。資料・・の処分はあなたに任せる。」
『……はー…。』
 深いため息を最後に、通信は途切れた。この地下拠点に残された資料の行く末は、潜入調査を担当していた彼が振り分ける。シンシアが頼まなくても、あの手紙はエリックの元に渡るだろう。
 カメラをポーチにしまい、死体を跳び越えながら入口へ向かった。エイベルが扉を開けて待ってくれている。
 その衣服に残る血を一瞬、彼の未来と錯覚した。

「エイベル。」
 階段を上り、地下から一階に出たところで名を呼んだ。かつて別荘として使われていた廃墟は、既に森の植物に侵食されている。
「一つ……聞いてみたい事がある。あくまで仮定の話。」
 玄関を出て立ち止まると、先を歩いていたエイベルが振り返った。青い瞳と目が合う。どんな顔をして聞けばいいのかわからないまま、シンシアは問いを口にした。
「もし私に、あなたを殺すよう命令が出たら……その時、私はどうすると思う?」
 数秒の沈黙を風が流した。
 エイベルは、シンシアをどんな人間だと思っているのか。状況予測に優れた彼は、何を想像するのか。そして――答えてくれるのか、どうか。銀色の瞳を見つめて、エイベルは笑みを浮かべた。
「君の中では、答えが決まってる?」
 木々がざわめいている。
「えぇ。」
 人を殺したばかりの、かつて死刑囚だった男が近付いてくる。幾度もシンシアを守り、助けてくれた殺人犯が、傍に立って手を取る。
「じゃ、その通りなんじゃないかな。」
 気のない返事をして、エイベルの指が手のひらに文字を綴った。

《助けなくていいよ。》

 ――それは。その答えは。
 顔を上げても、いつもと変わらない軽い微笑みがあるだけだった。今自分がどんな表情をしているのか、シンシアにはわからない。手が離れていく。シンシアを置いて、エイベルは歩き出してしまう。
 ――私があなたを助けたいと……そう思う事をわかっていて、それなのに、そんな事を言うの。
 手のひらを見つめて、シンシアは泣きたくなるような衝動に駆られた。喉が、唇が震えているのに、叫び出したいのに、声にならない。ゆっくりと目を閉じ、再び開く。振り返ることなく、エイベルは車に通じる小道へと入っていく。
「…どうして……」
 掠れた声で呟いた。聞こえていないのか、聞くつもりがないのか、彼に反応はない。綴られた文字の感触も消えていく。
 ――あぁ、でも、私は知っている。
 数日前、シンシアは想像した。逃げられない状況下で、エイベルがどうするかを。きっと彼は、自分を見て笑うだろう・・・・・と。
 ――あなたは命乞いなんてしない。それが不可避だと悟ったら、足掻く事なく受け入れてしまう。あなたは…
「……あなたは、生きたいと思ってくれないの。」
 エイベルが足を止めた。少しだけ振り返った横顔は笑っていない。聞き分けのない子供を咎めるような目で、人差し指を唇にあてる。それ以上喋るなと。
「私は……」
 文句を言いたかった。なぜ、どうしてと詰め寄りたかった。けれどシンシアから目を外した彼は、再び歩き出した彼は、続く言葉を聞く気がない。
「……っ。」
 歯を食いしばり、シンシアは駆け出した。留まっていては何にもならない。急いで彼の元まで追いついて口を開くと、横から携帯電話のメール画面を見せられた。
《不用意な発言は控えるべきでしょ。君の立場なら。》
 そう表示されている。睨むように見上げても、青い瞳はこちらを見ない。読み終えたと察して、エイベルが削除ボタンを押した。文字が消える。無かった事になる。
「じゃ、帰ろうか。シンシアちゃん」
 音もなく携帯電話をしまって、エイベルがにこりと笑う。いつもと同じ、人の良さそうな顔で。命を握られてなどいないような、まるで自由であるかのような、柔らかい笑顔で。
「……わかってる。」
 何も残らない手のひらを握りしめ、シンシアは呟いた。

【 報告 】

 本日の任務音声にて、シンシア・ノエルから監視対象ABELの生死に対し、過干渉と思われる発言がありました。音声データをお送りしますので、ご確認および対応の指示をお願い致します。

サークル情報

サークル名:藤墨倶楽部
執筆者名:鉤咲蓮
URL(Twitter):@toboku_kagizaki

一言アピール
こちらは鉤咲蓮 個人本『Joke Ⅰ』の関連作品です。
サークルは各自好きなものを書いておりますが、この度10周年記念!
スチームパンクアンソロジー『ブラスフィクション』を発行予定です。

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