ろくでなしでも意味はある

 夕暮れ時にユリスの家を訪れた。
 リビングに通されて、苦労しながら席に着くと、白地にオレンジ色の花が刻まれているティーカップを置かれた。遠い昔に購入されながら、いままで使われていなかっただろうそのティーカップが、自分のためのものだとすぐに分かってしまった。
 問いかける視線に対しユリスは苦しそうに微笑みながら、エプロンのポケットから一通の手紙を取り出す。テーブルの上に置く。
 手紙は時間と共に緩やかに劣化しながらも、まだ生きていた。
「おかえりなさい、ラクル」
 ああ、彼女は全てを承知して自分の帰りを待っていてくれたのだと、ラクルもまた癒えない傷を疼かせながら微笑した。

 五年前になる。
 ラクルは都市で、ユリスは外れにある町で暮らしていた。
 愛し合っていた二人だが、共に生活をすることを考えるにはラクルの職業が厄介だった。ユリスも町での一人暮らしを気に入っていたので、自然と互いの家に通いあう付き合いになった。
 平坦な道のりではないけれど、車に揺らされながら恋人の家へ向かう足取りはいつも軽い。
 その年の春に仕事が一段落ついたラクルはユリスの家へ訪れた。
「おかえりなさい」
「ただいま。これお土産」
「あら、また素敵な布と糸ね。ありがとう」
 感謝のキスを頬に受けると、ラクルもユリスの唇に唇を合わせた。額を合わせて抱きしめあう。
 しばらくしてから、けたたましい音が鳴り、ユリスは慌ててコンロを止めに行った。コーヒーを淹れる後姿を眺められるのは幸福だが、ラクルは懐に入れている手紙を持て余していた。
 この手紙の内容はユリスを傷つける。だけれど言わないで去るならば、もっと悲惨な傷が二人の間に河となって横たわるだろう。二度とユリスは会ってくれなくなるくらいに。
 これからラクルはある任務に就くことになる。期間は長く内容は誰にも言ってはならない。それが当たり前の仕事だから、ユリスもいままでラクルの仕事については聞かないでいてくれた。
 重ねると、ラクルもユリスも来年の春に結婚する予定だ。正確に言えば、任務のおかげで過去形になってしまった。
 華々しい未来を遮った仕事に苛立ちは覚える。けれど、すでに任務の沙汰は下されていて、ラクルは彼方に飛ばされる予定になってしまった。
「どうしたの? 難しい顔をして」
 はい、とコーヒーのカップを差し出される。受け取って芳ばしい薫りを吸い込んだら多少は落ち着いた。ユリスの淹れるコーヒーは酸味が少なくて美味しい。
 リビングのソファに二人で並びながら、ラクルは言う。
「あのさ、これは例えばの話になるんだけど」
「うん」
「いま、別れようと言ったらどうする」
「ひっぱたくわね」
 強気な返事に安心した。
「いきなりそんなことを言いだすなんて、どうしたの。あなたの仕事が理由なの?」
「うん。本当なら誰にも言ってはいけないことなんだ。だけど、君にだけは言いたかった。口にはしづらいからこの手紙を、俺がいなくなってから読んでもらいたい」
 実際は軽いはずなのに書かれた内容が重みになって、手にのしかかる。いまだって取り返してなかったことにしたいくらいだ。
 ユリスは手紙をじっと見つめていたが受け取ってくれた。約束を守るために手前のローテーブルの上へ滑らせる。
 そのまま、ラクルに寄り掛かってきた。茶色い髪が肩にかかる。
「私たち、恋人なのにお互いのことを知らなすぎるわね」
「知らないのはどうでもいいことだけだよ。相手への気持ちとか、してはならないこととか、大切なことは理解しあっている。だから俺は君の傍にずっといたいし、いるのが心地いいんだ。君が好きなんだ」
「私だってあなたが好きよ。毎日会えないのが寂しいわ」
「そう言うけど、ずっといられるようになったら、俺は君に文句を言われるだろうな。あれこれ手伝いなさいなって。でも、それも楽しい」
 話していると胸がきゅっと締め付けられる。いまだって仕事を辞めて、ユリスの傍にずっといられる日々を選べたら、どれだけ幸せだろう。自分はよい夫にも父にもなれるように努力して、空回って呆れられるのだ。それでもユリスは笑って受け入れてくれる。
 ユリスは得意の刺繍で日々の糧を得て、自分はその時々に応じて何でもしながら稼ぐ。
ここで、そうしていられたら。
時計の鐘が鳴った。
「ごめん。今日はもう帰る」
 空想の時間はここで終わりだ。少し冷めたコーヒーを飲み干して流しへ運んでいく。
「そのままにしておいて。洗うのは私がやるから」
「そこまで甘えられないさ」
 腕をまくって、カップを洗う。途中で背中にほのかな温もりが寄り添ってきた。「行かないで」とは決して言わない。離れたくないとだけ伝えてくれる。
「私、今度あなたのティーカップを買うから。たまには紅茶も飲みたいの」
「それは楽しみだ」
「うん。だから、帰ってきて」
 水切り籠にカップを置いてからラクルは濡れた手を拭く。黙って向き直り、ユリスを抱きしめた。

「ユリスへ

 この手紙を読んでいるとき、俺は生きていないだろう。
 6月9日に俺は厄介な仕事を任される。簡単に言えば女王様の光栄な下僕になるようにってことさ。
 だから俺は君と別れなくてはならない。
 さよならだ。

 こんな薄情な男のことは忘れてくれ。ろくでなしで、ときに白ではなく黒が正解だなんて場合によって立場を変える、実のない俺のような男なんて。
 君のもとへ骨になっても帰れないだろう俺のことなんて。

 ああ、この手紙には真実を一つしか書いてはいけない。悔しいな。

 改めてさようならだ。
 いまとなっては俺を苛む君の存在すら憎らしいよ。

 それでは。

                                   ラクルより」

 いまだ動かない片腕はユリスが支えてくれる。
 寄り添いながら、五年前に残した手紙を読み返すがなんとまあ。
「君、よく手紙の仕掛けに気付いたな」
 ラクルは感心しながら当時の己の必死さを思い返していた。
 真実を一つしか書いてはならない手紙。分かりづらく仕込んだ暗号は、ただの誤字だと流されるかどうか、ユリスの聡明さに賭けていた。
「最初は騙されたわよ。でも、何度か読んでいるあいだに、まず六月九日がおかしいと気づいたの。ここだけ数字なんだもの」
「強調したかったんだよ。下手なカモフラージュだけどな」
 ろくでなし。六九でなし。仕事が始まるのは六月九日ではない、は第一のひっかけだ。ユリス以外が読んだときにそこを誤読するように。
六月九日に起きて失敗した、女王の暗殺未遂事件にだけは関わっていないと、ユリスにだけは信じてもらいたかった。
「唯一の真実はその次。ラクルはこの手紙を白ではなく黒として書く。つまり、嘘にして読むのが正しいということを伝えたかったのよね?」
 種に気付いたらあとは簡単だ。
「俺は生きている。別れたくない。忘れないでくれ」
「私のもとへ絶対に帰るから」
「そして、どんな時になっても俺を救ってくれる君の存在が愛しいよ」
 顔を見合わせて、くすくすと笑いあう。
 ラクルはいまだ完治しない左腕を抱えながらも、生きてここまで帰ることができた。大切な人であるユリスがいる家へ。さらに五年ものあいだ連絡を絶っていた恋人に、愛想を尽かさないまま、一通の手紙の真実を支えにして待ってくれたユリスにも感謝が絶えない。
 がむしゃらに考えて五年前に渡した手紙は、五年前の自分といまのユリスにつながる細い糸になってくれたのだ。
「そうだ。言い忘れていたよ」
「なあに」
 続きは分かっている。それでも聞きたい。涙をにじませながら訴えてくる青い目に微笑み返しながら、ラクルはずっと言いたかった囁きを送る。
「ただいま、ユリス」
 約束のティーカップは西日を受けて一瞬、りん、と光った。

サークル情報

サークル名:不完全書庫
執筆者名:成瀬 悠
URL(Twitter):@spring_order

一言アピール
普段は「たかファレ」を推していますが、今回は私の作風を感じてもらいたく、読み切りを投稿しました。ファンタジー世界での恋愛が好きな方はぜひ、ご一読ください。

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