思いを運ぶ手紙
一目惚れと言うものがあるのだと、その瞬間、全身で実感した。
僕の心は打ち震え、すべての細胞に彼女の姿を刻みつけた。
出会いは偶然だった。たまたま通りかかったスタンドカフェのカウンターで働いている彼女を見つけた。
彼女は客に笑顔を振りまいて、楽しそうに働いている。
その血色のいい頬の艶、柔らかく結い上げられた黒い髪、カップを差し出す指の細さ、数え上げたらきりがないほど、見ているだけで彼女の魅力が目に飛び込んでくる。
その柔らかな体に触れたら、どんなに気持ちがいいことだろう。
「あぁ……切り刻みたい……」
刃物を突き立てた時のあの弾力と、肉を切り、骨がのぞき、血管が切れて血が噴き出す。
刃物で切り裂いた肌の隙間に手をねじ込むと、温かくうごめく肉に締め付けられる。それをこじ開けて臓腑をつかむ感触がよみがえってくる。
そして、痙攣して苦し気に声をあげたり、切り裂かれた喉からひゅうひゅうと息の漏れる音が聞きたい。
殺したい。と言うよりは、めちゃくちゃにして支配したい。
僕が切り出した肉は僕のものだ、僕が浴びた血は僕のものだ、僕が感じる臓腑の熱は僕のものだ。
僕は彼女の何もかもを支配して自分のものにしたい。
たとえ細胞の一欠けらでも、彼女自身にだって譲りたくない。
だから、殺してしまおうと思った。
まずは、彼女を殺して、彼女から彼女を奪い取る。
そして、時間をかけて、彼女を解体して彼女を支配しよう。
「いやああああああっ! 誰か! 助けて!」
なのに、彼女が大声を上げたせいで、彼女が僕の手から逃れたせいで、僕は彼女を支配し損ねてしまった。
僕は彼女の悲鳴に駆け付けた男たちに取り押さえられ、警察に逮捕されてしまった。
それから長い時間をかけて、僕は死刑囚になった。
死刑囚と言うのは案外暇だ。
拘置所に収監されたら、後は殺されるしかやることはない。
ベンゴシだの、マスコミだのが面会を要求してはいろいろと何か言っていたが、僕にはまったく興味がない。
ハンセイする必要は感じないし、殺した女たちは僕のものだからとやかく言われたくない。
ここにナイフがあったら、このうるさい男の脳天に突き刺してやるのにと思ったが、興味もない男の感触なんか感じたくもなかったので無視した。
刑が確定してからは、狭い独房に閉じ込められて、日がな一日、いや寝ている時ですらも考えるのは彼女のことだけだった。
あれだけ楽しくて気持ちの良かった、他に殺した女たちのことなんか思い出しもしなくなった。
「あの子はどうしてるだろう……」
独房の奥、空も見えない小さな明り取りの窓を眺めながら、彼女のことを思い出す。
僕は彼女をしないするために何か月もかけて彼女のことを観察していた。
小さな古いアパートから出てきて、コンビニに立ち寄り、勤め先のカフェに通勤する。アパートからカフェまでは徒歩十五分くらい。人通りの少ない道を通り、途中には遊具もない公園とは名ばかりの場所もあって――とてもいい場所だった。
あの暗がりに引きずり込んで、まずは胸を刺そうか?
それともあの路地の物陰で喉を切り裂いてから解体しようか?
いっそ、監視カメラもないアパートの前で車に連れ込み、僕の家まで連れて行こうか!
僕の家には解体に向いた広い浴槽もあるし、壁には体を吊るすためのに丁度良いハンガーラックもある。
それに家に連れて行けば、沢山のナイフがある。
大きな鉈で腕を切り落とし、小さなナイフで指の間を切り裂き、喉は細いペティナイフで深く切り裂こう。
毎日毎日、彼女のことを見守りながら、僕はそんなことを考えてゾクゾクしていた。
それは本当に楽しい毎日だった。
行動に移せなかったのが本当に残念だ。
「あぁ、彼女を……」
切り裂きたい。解体したい。支配したい。
「何とかして、彼女に届かないだろうか……」
切ない胸の内を何とか彼女に届けたい。そんな気持ちはまるで恋のようだ。
実際、僕は彼女に一目惚れだった。
あの彼女を始めてみた時の衝撃が忘れられない。
「……そうか、手紙を書くか」
住所は暗記しているので分かっている。
手紙は当然検閲が入るだろうけど、郵便を出す権利はあるはずだ。
彼女に向けて手紙を書こう。
この日々募る思いを、彼女に何とか僅かでも届けたい。
この思いを伝えずにいたら、僕の気が狂ってしまいそうだ。
僕はさっそく刑務官に願い出て、便箋と封筒をボールペンを手に入れた。
そして、僕は彼女に手紙を書いた。
僕のこの思いを伝えるべく、毎日、毎日、手紙を書いた。
思いを綴って見ると、その手紙はまるで恋文のようだった。
彼女が欲しい、彼女に会いたいと毎日綴った。
しかし、その熱烈な言葉の殆どは検閲で不適切だと判断された。
破棄するか、不適切な部分を黒く塗るか選べと言われたので、黒く塗るように言った。
ほとんどを黒く塗りつぶされた便箋は、その隅に検閲済みの桜の印を押されて彼女の元へ旅立っていった。
まるで僕から影を切り取り、彼女の元へ届けてくれているようだと思ってからは、あえて検閲で引っかかり黒く塗られるような言葉を選んだりもした。
僕の思いを塗り込めた影が、僕の思いを彼女へ届ける。
本当にこの影が切り取られて彼女の元へ行ければいいのに。
彼女への手紙を重ねるにつれ、僕の彼女への気持ちも募って行った。
鉛筆で便箋に文字を書くときに、少しでも彼女の近くに行きたくて、太ももの目立たぬところを爪で少し切って、そこから流れる血をつけるようになった。
それはとてもいいアイデアで、彼女の元にほんの少しずつでも僕がたどり着いているのだと思うと楽しくなった。
風呂に入る時に見とがめられてからは足の指股を切った。
黒いボールペンに血が混じっても、検閲官は分かっていない。
文字が綴られ、塗りこめられて、黒い影は彼女の元へ送り続けられる。
彼女が手紙を読もうがどうしようが関係ない。
彼女の元へ、手紙が届けばよいのだ。
そうすれば、僕は、彼女の元へ行ける。
「――出なさい」
早朝、刑務官が扉の前に立ち、不遜な態度で僕の名を呼び、そう言い放った。
この日が来るのは分かっていた。
今日、僕は死刑を執行される。
拘置所の長い通路を刑務官に付き添われて静かに進む。
僕は逸る気持ちを押さえながら黙って後をついているけれど、どうしても気持ちが抑えられずに唇が笑んでしまう。
死刑を執行されてこの肉体から自由になる今日と言う日を、僕は心から待ち望んでいた。
こんなに楽しみなのは、彼女を解体しようと決めた日以来だ。
今度こそ、僕は、彼女を完全に支配するのだ。
何ていい日だろう!
早く、早く、僕を――
日本を震撼させた連続殺人犯の死刑執行が報道された。
犯人は三十人以上の女性を殺し、その遺体を解体していた。
一切の反省はなく、死刑を執行される間際も笑みを浮かべ、教戒師には話はないと急き、まるでこれから楽しいところへ出かけるような足取りでロープの前に立った。
処刑準備を補助する刑務官たちは、鼻歌を歌い、くすくすと笑みを漏らしながら、何の後悔も口にせず、死に急いでいった犯人を見て、その異常さに改めて慄いた。
最後まで彼を理解できる人間は一人もいなかったのだ。
◆◇◆
手紙は「愛する彼女」に届いていた。
一通も封を切られた様子はなく、ただポストに澱のようにたまり続けていたのが、彼女の死後、部屋に立ち入った刑事によって発見された。
彼女は何かに怯えるように家に閉じこもりきりになった後、荷解き用のカッターナイフで自分をめちゃくちゃに切り裂いて自殺した。
それが連続殺人犯からの手紙が原因だったのかはわからない。
日ごろから情緒不安定な様子を見せ、仕事も辞めて家に閉じこもっていた彼女の自殺を悲しむものはあっても疑うものはなかった。
発見された手紙の最後の消印は、彼女が死亡したと思われる日の前日だった。
彼女はその手紙をポストから出すこともせずに死んだ。
それは、奇しくも差出人である連続殺人犯の死刑執行と同じ日のことであった。
彼女を切り裂きたいと恋焦がれ続けた連続殺人犯は、思いがけずしてその願いを叶えたのだった。
―――終
サークル情報
サークル名:SKIN-POP BOOKs
執筆者名:貴津
URL(Twitter):@kizz_skinpop
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人外、触手、ヒトデナシ。各種そろえてお待ちしております。人死にも多いですが、基本はいちゃラブ&ハッピーエンド。そんなBL小説専門サークルです。