鏡の森の魔女たち

 夜の底に沈む帝都に、ガス灯がぽつりぽつりと橙色の光を落とし、周りを囲む闇を色濃く映しだしていた。その闇のなかに紛れるように、新しく建築された洋風の建物や古い平屋の家々の屋根のうえを飛びながら移動する影。着物の袖をはためかせ、袴に編上靴を合わせた少女の姿は、時折、雲間から覗く月によって浮かび上がっては夜のなかに溶けてゆく。
「見つけた!」
 少女が前方に透ける黒い影を視認する。ぶよぶよと太った姿を持つそれは、人間より遥かに大きな巨体で帝都の大通りを闊歩している。
「見つからないように、近づくこと」
 少女の耳元で幾重になる布越しから聞こえるようなくぐもった声がした。分かったと短く返し、そっと屋根から狭い路地へと降り立つ。黒い影――妖に気がつかれないように、屈んだ体勢で暗がりを縫うように進んでゆく。鈴乃、と名を呼ぶ声を聞いて足を止めた。大通りに抜ける路地に隠れるように蹲る人影。
「できます?」
 大丈夫と返した少女は、隠れていた花音のとなりでコルセットから繋がるベルトに差していた魔動式銃を引き抜いた。魔力を込めれば、低い駆動音が響く。
「近づいてきましたわ」
 進行方向に潜んでいた少女たちの元へ、黒い影が近づく。透けた身体のなかには、悪しきものを取り込んだように、黒々とうごめくものが見える。ずるずると伸びきった身体が大通りにのみ敷かれた石畳に擦られて引きずるように歩いていた。
「鈴乃の準備は?」
 耳朶を擽るように、中性的な声が耳に付けた飾りから直接響く。
「いけます」
 魔動式銃にはすでに鈴乃の魔力が溜まっていた。展開準備も済んでいる。
「いけ!」
 その声に背中を押されるように、鈴乃は路地から飛び出した。革靴には石畳のうえでも足音を消す魔法を施してあった。
「起動」
 囁くように魔動式銃に呼びかけると持ち主である少女を取り囲むように魔方陣の展開がはじまる。花音の魔法陣が妖の下で展開し、足止めをしているのが分かる。進みを止めた妖に標準を合わせる。ふと、赤い色をした瞳と目があったようにおもった。咄嗟に引き金を引く。魔方陣から展開された光が一直線に妖を包みこんだ。

***

 鈴乃の元に一通の手紙が届いたのは、涼しい春の陽射しが窓から入り込む日のこと。大きく開け放たれたそれは、やわらかな光と太陽の匂いを絡め取った風を取り込んでいた。はためく窓掛けカーテンを横目に、鈴乃は帯が潰れないように椅子の端に腰を下ろし、手巾ハンカチに刺繍を施していた。絡まる蔦と白い花。細かい作業は、苦手ではない。
 ことんと玄関先に何かが落ちた音がして、鈴乃は顔を上げた。瞳にかかる伸びた前髪を耳に掛け直す。毛先にかけて青みがかった髪が視界の端で揺れている。耳をすませば、それ以上の音は聞こえない。しばし手を止め、おそらく郵便物であろうそれの正体を確かめに行くことにした。
 居間を出れば、すぐに玄関ホールに続いている。その滑らかな床のうえに、白い封筒が滑り落ちていた。着物の裾を押さえ拾い上げてみれば、宛名も何も書かれていない一通の手紙。
 ふとその封筒から懐かしい香りが漂ってきたような気がして、手紙を取り落とした。おいで、と鈴乃を誘う声が記憶の奥から手招きしている。拒否するように首を強く横に振ると、声は霧散していった。瞼を強く閉じ、鈴乃はゆっくりと息をひとつ。大丈夫、大丈夫だと心のなかで唱え、目を開いた。気が付けば、床に落ちた白い封筒に鈴乃の名前が記されていた。
 意を決し、その封筒を手に椅子へと戻ると、抽斗から紙切りナイフを取り出して封を開ける。なかに入っていたのは、一枚のパンチカード。
 解析機関は父の書斎にしかない。父親の部屋に黙って入るかを逡巡した末、鈴乃は二階にある書斎へと足を踏み入れた。部屋の隅に聳えるように立つ解析機関に、パンチカードを差しこむ。時計の螺子を巻くように手回しハンドルを回せば、軋むような駆動音を立てながら、パンチカードが飲み込まれてゆく。読みこみがはじまると、鈴乃の視線の高さにある自動筆記装置が動きはじめた。吊られているインクのついた羽ペンが、文字を書き表してゆく。
 逆さまの文字を一文字ずつ辿れば、〈かがみのもり〉と読める。そこには、鏡森女学校への入学案内が記されていた。
 気がつけば、鈴乃は解析機関の吐き出した紙片とパンチカードを手に、物思いに沈んでいた。ゆらゆらと底に落ちてゆく鈴乃は帰ってきた母親が声を掛けるまで、居間の隅で繰り返しその文字列をなぞっていた。

 仕事から戻った貿易商を営む父親に例のパンチカードと紙片を渡すと、さっと顔色が変わった。厳しい表情で繰り返し、その内容をなぞっていたが、気を落ち着けるように一度そのカードを伏せ、鈴乃に向き直る。
「これは、封筒に入っていたのかね?」
 ゆっくりと口ひげを撫でた父親に、鈴乃は襟元から封筒を差し出す。変わらず、差出人の名を書かれていない。しかし、封に捺された紋章を見つめ、父親が深く息をついた。その様子を固唾を呑んで見つめていた鈴乃に、父親はとなりの椅子に座るように促した。
「鏡森女学校というのは、一般的に知られていないが、魔法を扱う学徒を育成する機関のひとつだ」
「まほう?」
 そうだ、と頷く父親に、鈴乃は首を傾げる。この国では、魔法を使えるひとは居ないとされている。外つ国と異なり、呪術や占術が発達した特異な国であると。
「鈴乃は不思議な子だからね」
 湿度の籠もった声音で告げられた言葉に、鈴乃は黙って頷くことしかできなかった。鈴乃は幼い頃より、繊細な子どもだった。見えない何かの動く気配に怯え、感情が昂ぶったときにはよく周りのものに影響を与えた。触れていないものを壊し、周りのひとびとにもその感情を伝播させる。
「隠していたつもりではあったが、分かるひとには分かってしまう、ということか」
 鈴乃の肩に、ぬくもりが落ちる。母親が心配そうな瞳で肩に手を置いていた。
「表向きは普通の女学校であると言う。この入学案内の意図は計りかねるが、鈴乃は鏡森女学校へ入りなさい」
 いいね、と告げるその言葉に断ることもできず、鈴乃は分かりましたと頷いたのだった。

 案内に書かれていた通り、入学の前日に馬車が迎えにきた。鈴乃は荷物を詰め込んだトランクをひとつ抱え、馬車へと乗り込む。
 今日からは、鏡森の寮に入るのだった。
「行ってまいります」
 表情を長い前髪で隠すように俯いて、見送る両親に告げる。ひとつに編み込んだ髪の青さが目にとまる。その珍しい髪色にも、ため息をひとつ。
 揺れる馬車のなかでひとり、鈴乃はこれから起こることに不安を抱えていた。鏡森女学校は全寮制の学び舎だった。自らの特異体質に自覚的であった鈴乃は長らく、学校には通わず、家庭教師をつけてもらっていた。
 魔法のこと、特異な髪色のこと、そして、集団生活を送ること、何もかもが鈴乃の身体をコルセットの代わりにきりきりと締め付けるようだった。

***

 鏡森女学校は、拍子抜けするほど普通の女学校だった。本来であれば寮は二人部屋であったが、人数の関係で鈴乃はひとりで使わせてもらっていた。同窓生たちの距離を置きつつ、鈴乃はあたらしい生活に慣れつつあった。魔法について触れられることもなく、鈴乃もまた、一学徒として呼ばれただけではないかと思い始めた頃。
 授業を終え、部屋に戻ってきた鈴乃は扉の下から手紙が差しこまれていることに気がついた。入学案内と同じように何も書かれていない。まただ、と鈴乃はおもった。
 紙切りナイフで封を開けると、なかには白紙の便せんが入っていた。裏返しても何も書かれていない。
「どういうこと?」
 思わず溢れた疑問に反応するように、ゆっくりと文字が浮かび上がる。白紙だったはずの便せんには青いインクの文字が埋まっていた。

「い、いらっしゃるんでしょう?」
 手紙に書かれていた通り、鈴乃は夜の寮を抜け出し、学舎の中庭へと足を踏み入れていた。
 夜のなかに問いかけても、誰の姿もない。
「あの手紙が読めたのか、合格だな」
 背後からかかった声に、振り返る。気がつけば、鈴乃の後ろには二人組が立っていた。
「僕は咲。こちらは、奏」
 黒い豊かな髪を艶やかに流した咲は、となりに立つ薄紅色の着物の少女を指しながら、告げる。どちらも鏡森女学校の生徒の印である、紺の袴を身につけている。異なるのは、コルセットから伸びる長い杖。
「合格、とはどういうことですか?」
「あれは、魔力に反応して文字が浮き出るようになっている。噂通りで嬉しい限りだ」
 嬉しさのかけらも無いような淡々とした口調を崩す様子のない咲に、良かったですねと奏が笑う。
「それでは、ここが魔法育成機関という話は……」
 ほう、と咲が目を見はり、口角を僅かに上げた。
「ほんとうだ。と言っても、この国では魔法を使えるものは数少ない。そこでだ」
 咲はそこで言葉を区切ると、鈴乃に告げる。まっすぐに見つめるその黒い瞳がちかちかと瞬く。そのうつくしさに、鈴乃はひととき見惚れてしまう。
「君に魔女になってほしい」
「魔女?」
 そうだ、と頷いた咲は返事を待つように黙り込む。
「魔法に関する特別授業を受けながら、魔女として、この帝都に闊歩する妖を倒すために一緒に戦ってほしいとおもっています。妖とは、文明開化以前からこの国に巣くっていた、怨念や人々の感情の凝りのようなもの。それを、魔法のちからで退治することが、魔女に課せられた使命なのです」
 鈴乃は話の内容についていけず、えっとと口のなかでもごもごと曖昧なことばを繰り返す。
「この学校に入学した以上、この使命からは逃れることはできない。あとは心を決めるしかない」
 咲のことばは鈴乃を突き放すようでいて、どこかやさしい。
「少し、考えてみてください」
 奏のことばを最後に、ふたりはふたたび夜のなかへと溶けていった。

 鈴乃は幼い頃に、ひとり迷子になったことがあった。そのときの記憶は曖昧で、やわらかい声音のひとに「おいで」と誘われ、頭を撫でられたことだけは覚えていた。その日以来、不思議なことが周りで起こるようになったことも、もうむすめになった鈴乃は分かっていた。周りに迷惑をかけず、この不思議な力を制御するためにはあの二人の言う通りにする必要があることも。
 眠ることができず、寝台のうえで繰り返し寝返りを打ちながら、鈴乃は諦めたようにため息をひとつ、ふたつ。それは、夜のなかへと溶けてゆく。

***

「鈴乃、笑顔が足りなくてよ」
 魔法の講義へと急ぐ鈴乃に、花音が声をかける。鈴乃の同窓生であり、同じく魔女になることを運命づけられたむすめだった。
「それよりも、授業に遅れてしまうので」
「あら、笑顔の大切さを分からないなんて」
 ほら、と頬をつつく花音に対し、苛立ったようにゆびさきを握りしめて抑え、そしてはっとしたようにその手を離した。
「そのようなことで、あなたに影響されるようでは、魔女など務まりませんわ」
 見くびっていただいては困ります、と付け加える少女に、鈴乃は掬い上げられたような心持ちになりながら、頷いたのだった。

サークル情報

サークル名:四季彩堂
執筆者名:たまきこう
URL(Twitter):@_couleurs_books

一言アピール
少女たちに夢見がち。幻想小説よりな少し不思議なファンタジーが好きです。「スチームパンク×女学生×魔女」という、好きなものを詰め込みました。こちらの小説の完全版を新刊として頒布できたらいいなと思っています。他、日本史ファンタジーや既刊紹介本、刀剣乱舞の二次創作を頒布予定です。

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