不在の探偵
これは手紙だ。あるいは依頼状であると言ってもいい。あなたは依頼状を手にした依頼人なのだ。そしてその紙は、手紙は次のような書き出しから始まっている。
「たとえば、忘れられた町の忘れられた路地を進んだ先に、いかにも世の中から忘れ去られたといったふうな建物があったとする。四角いビルが二階建てだか三階建て、あるいは四階建てかもしれない。壁は煉瓦だかコンクリートだか、おおむねそんなところだ。少なくとも大理石のような、そこまで大げさなものでなくても構わない。
ともあれ、あなたが顔を上げると、窓には一枚ずつ文字を区切って『探偵事務所』とあるのが見える。いったいだれの事務所なのか。探偵の名がなぜ記されていないのか。あなたは不思議に思うかもしれない。どころかあなたは、なぜこの場所へ足を運んだのかを覚えていないのではないか。なにを相談するために、そもそも探偵へ相談するような用事ごとを持ち合わせていたのかどうかすら、あなたは思い出すことができないでいる。
だがそれでも、目の前にはエントランスがあって、その先には階段が続いている。探偵事務所は上のフロアだ。ならば上らねばなるまい。これは夢なのだ。風景は現実ではない。わたしたちにとっての現実はすでに失われて久しいからだ。階段を上った先には扉がある。木彫りでも磨りガラスでも鉄扉でもなんでもいい。あなたの思い出の中ではどうなっていた?
まだ見ぬ依頼人よ。どうか、あなたはその扉をきっと開いてくれるはずだ。心になにか思うところがあるならば、あなたは必ず辿り着く。信じてくれ。そうでなくてはこの物語はなんの意味をも成さないのだ。
わたしはただ、その日の来ることを待っている。」
あなたはこの手紙を読んで、これのどこが依頼状なのかと首をかしげる。探偵事務所へ持っていく依頼状にしてはずいぶんと型破りな文面ではないか。それに、手紙の中の「あなた」とはあなたと同一人物であるとは思われない。あなたは未だ液晶画面に表示された文字をなぞるあなたであり、その手に紙を手にしたあなたではないからだ。
だがこれは依頼状だ。まぎれもなく依頼状であるとも。他ならぬ探偵事務所のほうが、あなたへと宛てた依頼状なのだ。場所は「探偵事務所」であること以外はどことも知れぬ、時代は「いまこのとき」であること以外はいつとも知れぬ。そしてこの手紙を託されたうちの何人が、果たして探偵事務所を訪れることになるのか。手紙を書いた張本人がそれを知ることはない。
ただ言えるのは、ここに探偵はいないということ。ゆえに事件は起こらず、だれも何も目撃せず、 推理の場は存在しない。被害者も犯人も供述者もなにもかもが忘れられ、だからここに探偵はいない。いるのは置き去りにされた少年助手と、怪人のふたりだけだ。
あるものはこれを題して「不在の探偵」と呼ぶ。
わたしはそれを、ふさわしい題名であると思う。
サークル情報
サークル名:丑三つ屋
執筆者名:深夜
URL(Twitter):@bean_radish
一言アピール
幻想怪奇ものを好む胡乱な物書きです。メタ視点もの好きでもあるため、物語を物語としてとらえている登場人物や概念の擬人化にも似た登場人物がよく登場します。テキレボEX2では、探偵がいないしミステリじゃない小説「不在の探偵」1・2巻と、新刊として都市伝説モチーフの短編小説を発行予定です。