シルバーフィッシュの神様
「アナタが落としタのは、この和風小花柄の雅な封筒デスか? それともコッチの、箔押しがゴージャスな封筒デスか?」
川の中から湧いて出てきた仙人みたいな風貌のオッサンが、何処かで聞き覚えのある言い回しで僕に問う。
右左の手に一葉ずつ封筒を持っているその人は、橋の下の暗がりでぼんやり発光していた。
「……いえ。百均で買った、無地の白いやつです」
人は思いもよらないことが起こると判断力が鈍り、咄嗟に常日頃と同じ行動を取ってしまうらしい。
僕はそんなことを、ふと思い出していた。正に今がその状態だ。世俗そのものの街中を流れる川に仙人がいて、日本語覚えたての外国人風イントネーションで話しかけてくるとは、流石に誰も予想出来まい。
さっきまで僕は、夕暮れの街を歩いていた。橋の上に差し掛かった時に急な突風に煽られて、手元から川に落ちてしまった封筒を追う形で川岸に走り下りてきたのだ。
「無地の白とは、潔いものデスね。けれどモ、私の手元には届いていない……つまり、あなたの文字は、私の眷属に気に入られなかったヨウなのです。おお、見掛けは良い文章を書きそうなのに、可哀想なメガネくんです……」
仙人、もとい仙人の幽霊みたいなオッサンは、僕を憐れむような目で見詰めてくる。何故なのだ。
しかし悠長にオッサンの相手をしている場合ではない。こうしている間にも、街を赤く染める太陽は着々と地平線に沈んでいってしまうのだから。
まずは自身の探し物を優先しようと、僕は辺りを見回す。すると、川岸に引っかかっている白いビニール袋を容易に発見することが出来た。
「ああ、ここにあった」
拾い上げたビニール袋は川の水に濡れていたが、中身は無事である。テープ付きのOPP袋にぴっちりと守られた、五枚入りの白無地封筒。状態の確認がてら取り出して、念の為表面をハンカチで拭いておく。
「なんですかアナタは。一文字も書いてイナイ、中身のまだ無い封筒なら、速やかにそう言うベキでしょう? 私ノような優しい神様デなければ、今頃天罰ガ下っていますよコノ眼鏡ヤロウ」
「……はあ。何か誤解があったみたいですけど、僕が落としたのはこれです。百均で買ったばかりの白い封筒です。因みにSサイズの袋は有料化に伴い二円しました」
「チョットした買い物にも、マイバックがお得の時代だよネ。ビニール袋を拾ったノハ偉いので、今回は特別に赦シテあげましょう眼鏡クン。私の眷属がソレを食べてしまうト、大変なのデス」
このオッサンは仙人でも幽霊でもなくて、神様なのか。まあ、多様化の進む現代に八百万の神がまだ存在しているとすれば、発言の胡散臭い神様の一柱や二柱、いてもおかしくないかもしれない。
何にせよ神秘の存在であるぞ、とばかりにぼんやり発光していることだし、「らしくない」という理由のみで軽んじる訳にもいくまい。
僕は拭き終えた封筒を制服の内ポケットへ仕舞うと、持て余したビニール袋の水気を払った。それも持ち帰るべく祖母直伝の三角畳みを披露しながら、神様に問いを投げてみる。
「貴方はもしや、魚の神様なんですか?」
「然り。魚と名のつく者は皆、私の大事な眷属デス。山女魚や太刀魚のみならズ、闘魚も赤魚も紙魚もそうなのデスよ」
「紙魚も……? それは、幅の広いことで」
この辺りの川や海に生息する魚だけでなく、魚と付けば何でも眷属だとは恐れ入る。
でも少しだけ、この神様の在り方に納得した。外来種のベタや、食用としてポピュラーな赤魚までもを眷属とするならば、外国人じみたその発音も、人の多い街中に出没していることも、何らおかしくはない気がしてくる。
それに、紙魚。外国でもシルバーフィッシュなんていう魚みたいな名前で呼ばれているけれど、あれは陸に生きる昆虫だ。古来より書物の上を泳ぎ紙を食している、原始的な虫。
「コノ封筒ヲ私の元へ持ってキタのは、紙魚なのデス。何らかの要因デ渡せなかった手紙、世に出なかった名文、それらを然るべき所へ届けたいと、私に託してくるのデス」
「届けたいだなんて。紙を、食べるのに?」
「紙魚は紙に穴が開くような食べ方はシマせん。あれは文章を丁寧に味わう存在。紙の香りに乗る文字というものに魅入られ数千年、古来より貴方達を相手にデスマッチしているネ」
「なるほど。随分と年季の入った活字中毒者ですね」
あの見た目だ。出会ったらそりゃあ、ほとんどの人が駆除を試みるに決まっている。かといって人に愛される見た目やら鳴き声やらに進化して飼われてしまっては、自由に文章を閲覧出来なくるだろう。
紙魚が安泰な生活を捨ててまで文章を読もうと励んでいるとしたら、相当やばい文章好きとしか言いようがない。
「アナタは、これから手紙を書くのデスね?」
「そうですね。便箋は家にあるので、きっと、今夜のうちに」
「大事な手紙デスか?」
「それは……どうだろうな。でも、大事な人に書く手紙ですよ」
「応援シマす。然るべき相手に、必ず届けるノですよ。私や紙魚の手を、煩わせないヨウにね」
頷けば、神様はにっこりと笑って溶け消えた。
その手にあった紙魚より託された二通の封筒は、僕の左の内ポケットに仕舞われたものよりも余程こだわって選んだものだろうと思われた。内容を知らなくても、いつか届くべきところに届けばいいと願わずにはいられない。
三角に畳めたビニール袋も胸ポケットへ押し込んで、僕は帰路を急ぐことにする。拝啓、拝啓。今夜書く手紙の書き出しはどうしたら。伝えたい心が文章として、正しく形を成しますように。
夕闇の川から吹く優しい風に、背中を押されたような気がした。
サークル情報
サークル名:Licht
執筆者名:リオン
URL(Twitter):@RION_Licht
一言アピール
読みやすく情景が浮かぶ文章を書けたらと、日々精進しております。普段はサイトその他にちらほらと書いているのみの物書きですが、今回のイベントでは初めて小説本制作にチャレンジします。
予定している「オズワルド」という作品は、キャラクターの掛け合いが楽しい一冊になりそうです。現在作者自身が非常に執筆を楽しんでおりますので、このワクワクをどなたかにお届け出来れば幸いです。