魔法薬剤師の処方箋 「ケース 水濡れ」

 窓に打ち付けられる雨音が大合唱を始めだした。手製の気圧計が雷雨の接近を知らせている。こんな日は来客などないだろうと踏んで、薬剤の整理を始めたのはいいが、収集が付かなくなっていた。作業台いっぱいに広げた薬草を眺め、どこから手をつけたものか気が遠くなる。
 突然室内に生暖かい風が吹き抜けた。作業台に広げていた薬草が乱れ、同時に来客を知らせる戸のベルが鳴り響く。僕は慌てて薬剤の上に布を被せた。
「先生、御免ください」
「はい、ただいま」
 ――こんな豪雨の中、誰だろう。雨に好かれている知人じゃあるまいし。知り合いのローズピンク色の髪を連想したが、いまのは男性の声だ。
 
 店舗の入口には頭から爪先までずぶ濡れになっている郵便配達員が立っていた。扉の外の街路は滝のような雨が激しく打ち付けている。
「こんな姿ですみません、郵便をお届けにあがりました」
 外套の腹部がこんもりとしていると思ったら、そこに郵便物を入れる革鞄を抱えているではないか。
「大変だったでしょ。雨が弱まるまでここで少し休んでいってください」
「でも店舗を濡らしては……」
 外套と制帽から滴り落ちた雨粒が、すでに床に水溜りを作っている。彼は僕の視線に気づいたのか、床の惨状を詫びる。
「ご覧の通り開店休業中ですからお気になさらず。話し相手が欲しかったところなので、どうぞ」
 店舗の奥にある作業スペースから新しい布巾を数枚持ってくると濡れて重くなった外套と交換した。
「ではお言葉に甘えさせていただきます。このテーブルを使ってもいいですか?」
 配達員は接客用のテーブルを指差していた。
「どうぞ使ってください」
 彼は外套の中に隠し持っていた鞄をしきりに気にかけている。鞄をテーブルの上に下ろすと、濡れた手袋を外し、指先の水分を布巾でふき取ってから鞄に手を入れる慎重ぶりだ。
「実は大切な手紙が濡れてないか心配で……あっ」
 小さな悲鳴が聞こえたので振り返ると、紙が水分を吸ってよれてしまっていた。少しでも水分を取ろうと慌てて布巾の上に並べはじめた。
「この程度なら綺麗に乾かす方法はありますよ」
「ほ、本当ですか! でもここは魔法薬の店ですよね? 薬でどうにかなるんですか?」
 配達員は扉の方を振り返り、腰高のガラス戸に透かし彫りされている『クロッカス魔法薬専門店』の名前を確認していた。
 申し遅れました。僕はこの店の店主兼薬剤師のアニー=クロッカス。定番薬から、個々の症状に合わせた特別注文オーダーメイドまで魔法薬のご用命は当店にお任せください。
「まあ見ててください」

 本日の案件は、紙の水濡れ。
 まず薬剤を混ぜるときに使っている台所用品のバットを用意する。バットに海綿のスポンジを敷き吸収アブソの魔法を付与させる。まるで料理でもはじまるような道具が並び、配達員は不思議そうに見守っている。
「ここに置くんですか?」
「そうです。でももうひと手間かけます」
 僕は彼から濡れてしまった手紙の束を受け取りバットの上に並べる。そして呪文を一つ唱える。
氷撃魔法フロス
 呪文を唱えると手紙の表面に霜が生え凍り付いた。この加減が実は難しい。僕の掛けていた眼鏡が冷気で曇ってしまうぐらいの弱さが目安。
「先生何を!」
 配達員は慌てて手紙を取り上げようとするが制す。
「安心してください。表面を小さな箒で撫でれば……ほらね」
 氷の結晶がパリンパリンと音と立てながらバットの中に吸い込まれるように落ちてゆく。霜が落ちた手紙は多少のヨレは残っているものの、綺麗に乾いていた。手紙を彼に返すとその出来栄えを繁々と確かめる。
「すげぇ! 先生天才ですか」
 おだてられると照れるが、魔法薬剤師なら誰でも知っている技術の一つだ。
「魔法薬の調合は魔法と素材の組み合わせなんですよ。これは薬草類の水分を早く抜きたい時に用いる方法です」
「へぇ、考えたな。この方法は俺たちでも使っても大丈夫ですか?」
「もちろんですよ。氷撃魔法フロスは最弱でいいですから、強すぎると手紙が氷漬けのオブジェになります」
「それは、大変だ」
 調合の割合など薬の調剤は教えられないが、素材を扱う技術は特に規制はない。
「そして魔法薬のご用命は、どうぞ当店を御贔屓にお願いします」
「先生、おっとりして見えて商売が上手いですね。仲間内に宣伝しておきますよ……じゃあ俺も、商売に戻りますか」
 配達員の彼は、手渡した手紙の束から一通の封書を差し出した。
「大変お待たせしました、お手紙です」
「ご苦労様です」
 手紙を両手で受け取る。
 祖父母世代では手紙は贅沢品。同街、隣街までなら庶民にも手が出るが、隣国など国境を跨ぐとなると一大事だった。隣国との情勢が悪ければ郵送業者に護衛がつく、その料金も含まれているので必然的に割高になってしまう。または商人の荷と一緒に運んでもらうのも可能だったが、足元を見られ高額な金品を包むこともしばし。
 便りがないのは元気な証。よほどの事が無ければ手紙は出せない時代があった。この紙切れ一枚、されど人の想いを積んだ大切な紙。今では手紙は大衆にも広まっている。世の中が安定してこそ、手紙を交わせる。
 僕が受け取った手紙には、たくさんの切手が貼られていた。これはずいぶん長い旅をしてきた手紙のようだ。不思議なことに宛名が書かれていなかった。
 封筒には変わった封蝋が押されている。どこかで見覚えのある印章なのだが、あと少しのところで、僕の記憶の蓋が開かないでいる。
 作業台からナイフを持ってくると、封を割る。すると魔法が発動する特有の圧を感じた。一瞬何事かと身構えるが、取り越し苦労だった。
 暖かい空気が室内を満たし、花の香りと白い花びらが舞い落ちる。配達員は何事かと天井を見上げ、花びらを両手で受ける。それは手に触れても消えることはなかった。
「先生、これは……」
「……召喚魔法ですよ」
 封を開けたのがきっかけで発動するタイプの魔法だろう。――あの印章は……そうか!
「懐かしい、魔法学校時代に戻ったみたいだ」
 魔法学校とは、特殊な魔法や学科を教える専門学校で、各地から生徒を募っている。そのため必然的に全寮制の学校だった。
 僕は魔法薬剤師を目指していたので薬学部を専攻した。実家の稼業でそれしか取り柄がなかったのもあるけれど。この手紙の送り主の専攻は――召喚魔法だ。
 手紙に目を移す。エメラルドグリーンのインクで書かれた文字は、彼の容姿と穏やかな性格を連想させる。
 
『アニー・クロッカス様
 久しぶり。元気にしていますか? 卒業以来だろうか。君が魔法薬の店を構えたと聞きました。ぜひ依頼をしたい案件があり、筆を……』
 
「やっぱり、セイル先輩……!」
 魔法学校の先輩からだった。学年と選考は違ったが、男子寮のロビーで夜遅くまで歓談をしたものだ。卒業以来会っていない。
 これは嬉しい手紙だ。
「返事が書けましたら、どうぞ当方にお預けください」
「その時はお願いします」

 戸口の鐘が再び鳴る。
「先生、こんにちは」
 ローズピンク色の髪を持った女性が店舗の扉をくぐる。今度は顔見知りの元お客様。最近は何かと理由をつけて店舗に遊びに来るようになった。何を隠そう、彼女は正真正銘の雨女だ。
「あ、配達員さん、配達に戻るならいまのうちです」
「えっ?」
「豪雨の原因を確保しました」
 今回の雨もどうやら彼女の来訪を知らせるものだったらしい。
「もう先生、いきなり酷いです」
 彼女はせっかく遊びに来たのにと、頬を膨らませて怒るのだった。そして、事情を知らぬ配達員を困惑させてしまったようだ。
 豪雨をもたらした雨雲は去り、魔法薬店には日差しが差し込みはじめた。

サークル情報

サークル名:夢花探
執筆者名:ほた
URL(Twitter):@hota_ho

一言アピール
「老舗魔法薬店末っ子長男の処方箋」より魔法薬店の日常をお届けしました。
こちらのお話も続きを書きたいと思っています。このアンソロが呼び水になれば。
夢花探は、日常をテーマにしたファンタジーが中心に活動しています。
テキレボEX2の同人先物取引という名の新刊は「花の中の花4」を予定しています。

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