尊敬する憧れのあなたに、感謝を込めて

「う〜ん……?」
 貯金箱の中身を並べながら、俺……谷山傑は首を捻った。予想より少ない。そうだ、この間参考書買ったんだっけ。あと、学校帰りに肉饅買ったり……ううむ、案外使っているものだな。
 高校生のお財布事情なんて、まあよくある話だから興味も湧かないだろうけれど少しだけ耳を貸してほしい。俺は今、切実な問題を抱えているのだから。
 今は寒さも和らぎ始めた二月の末。この辺りでピンときてくれると話が早いが、多分そんなことはないだろうからもう少し説明を続けよう。
 実は、明日卒業式なんだ。まだ2年の俺には関係なさげなイベントだけれど、この日が来るのを俺は一日千秋の思いで待っていたんだ。いや、「一日千秋」は待ち遠しいときに使うんだっけ? それだと違うな。俺はこの日が来るのが少しでも遅れるよう願っていたんだ。
 さあ、これくらいでわかっただろうか? 端的に言おう。明日、同じ部活の先輩が卒業してしまうのだ。だから最後に、これまでの感謝とか諸々の想いを込めた花束を贈ろうとしているのである。あるのだが。
 花束って、一ついくらするのだろうか? そもそも花の相場がわからない。少しの傷も許されず、美しく咲くよう丹精込めて育てられた花だ。農家さんの気苦労を考えれば、それなりのお値段になるはずだ。
 だがしかし、一般家庭の俺には小遣いに余裕などないのもまた事実。こんなことになるのなら、部活動に明け暮れないでバイトでもしておけばよかった……。
 いや、後悔先に立たずと言うじゃないか。ここでいくら頭を抱えても仕方がないのだから、まずは行動してみよう。
 小遣いを財布に突っ込み、コートを羽織って俺は部屋を後にした。
 とりあえず、花屋さんに相談してみるとしよう。話はそれからだ。
 
 手袋もしてくるんだった。吐く息はまだ白く光るが、道のあちこちからアスファルトが覗いている。午後4時近くなのにまだ明るいし、寒くても間違いなく春は近づいている。
 花屋さんに着いたけれど、色とりどりの美しい花とふわふわした甘い香りに包まれた店内は、なかなかに入りづらかった。なんというか、毛玉の付いたコートと色の冷めたジーンズの男子高校生が入るには敷居が高く感じたのだ。服屋に入る服がないみたいな気持ち。
 かといって引き返すわけにもいかないから、入り口の花を眺めることにした。卒業や進学、転勤など様々な用途に向けた花束のサンプルが並んでいる。
 花屋の前で右往左往する高校生が珍しかったのか、店員さんはカウンターで作業をしながらこちらの様子を伺っていた。せっかくここまで来たんだ。入口に留まっている場合ではない。
「……あのっ」
 勇気を振り絞って声を掛けると、待ってましたと言わんばかりに店員さんがやって来た。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件ですか?」
「明日卒業式なので、お世話になった先輩に花束を贈ろうかと思って」
「まぁ素敵」
 店員さんの笑みがますます深くなる。
「ご予算とか、使うお花はお決まりですか?」
「すみません、花はまだ……あまり種類も詳しくないし……。それから、可能であればこれくらいの予算で作っていただきたくて……大丈夫でしょうか?」
 店員さんに財布の中身を見せる。確認した後、店員さんは力強く頷いた。
「もちろん大丈夫です。とびきり素敵な花束にしましょうね」
 
 店員さんはまず、店内にある花を一つ一つ紹介してくれた。花の特徴や花言葉など、初めて知るものも多くとても勉強になった。
「花を選ぶ際に、花束をお贈りする方のイメージを参考になさる方が多いんですよ。なのでもし差し支えなければ、その先輩について聞かせていただけるとアドバイスもしやすいんですが……」
 選ぶ花を迷っていると、助け舟を出すように店員さんが言った。その言葉を聞いて、俺は改めて先輩について考えざるを得なくなってしまった。
「……俺は演劇部の部長なんですけれど、先輩は先代の部長だったんです。部長として皆をまとめられるのはもちろん、演技もすごく上手くて。なのに本人はとても謙虚で、誰に対しても平等で……」
 ぽつりぽつりと、俺は先輩のことを話した。2年生への引継ぎを済ませてから、先輩含む3年生の皆さんはほとんど部室に顔を出さなくなった。受験が控えているから当たり前だけれど、それでもたまに、練習中に先輩の指示を仰ごうとする自分がいる。
「俺が演劇部に入ったきっかけも先輩なんです。1年のとき部活紹介があって、先輩の演技を見て……雷に打たれたみたいでした」
 そのときの情景が脳裏に蘇る。あちこちから話声や忍び笑いが聞こえてくる、暗幕が引かれた体育館。俺もきっと、そのざわめきを作っている一人だった。演劇のえの字も知らないし、なんなら興味だってなかった。
 先輩の声が響いたとき、そこにあったざわめきが一瞬で姿を消した。あの場にいた誰もが息を呑んだ。それくらい、先輩の演技には見えない力があったのだ。
 この人の隣に立ちたい。
 高鳴る鼓動を感じながら、俺はそんな大それた願いを抱いていた。
「多分、ただの自己満足なんです。卒業式に手紙とか、告白とか、よくあるじゃないですか。でもそれって自分の感情を清算して、相手に一方的に押し付けて悦に浸っているだけのような気がして。だから俺が贈ってもいいのかな、なんて」
 長く残らないものがよかった。花はいつか枯れてしまうから、手紙みたいに処分に困ることもないだろうから。
 気持ちを伝えてどうにかなりたいわけではない。ただ、知ってほしかったのだ。俺がどんな思いで先輩を見つめていたのか。
 でもそれだって、先輩にとっては迷惑かもしれない。
 沈黙が下りた店内には、BGM のオルゴール音が微かに聞こえている。独り言みたいな俺の話を黙って聞いてくれていた店員さんは、しばらく考え込んだ末にゆっくりと口を開いた。
「私は仕事上、たくさんの花束を作ってきました。花束を注文なさるお客様を見るたびに、人に気持ちを伝えるということはすごく労力が必要で、特別なことなんだと思いまして……」
 一つ一つ探るように、店員さんは続けた。
「もちろん伝えた結果が必ずしも良いものになるとは限りませんが、少なくとも私は、様々な迷いの末に『伝える』という決断をなさった方々の味方でありたい。そんな風に考えています」
 店員さんはそう言い切って、にっこりと笑った。迷いのない断定に俺の心も固まった。
 そうだ。気持ちは、思っているだけでは伝わらないのだ。
 顔を上げ、大きく息を吸い、俺は言った。
「花束に使いたい花、決まりました」

 本当はリボンも結んでもらおうかと思ったけれど、生憎予算オーバーだった。まあ、その分花に費やすことができたから結果オーライということだ。
「お待たせ致しました」
 店員さんが差し出したのは、目が眩むほど美しい色の洪水だった。下の部分に、上品なワインレッドのリボンが結んである。注文表には入れなかったものだ。
「あの、リボンって……」
 財布を開きながら問う俺を片手で制し、店員さんは口元で人差し指を立てて微笑んだ。尚も食い下がろうとすると、
「花束はなるべく涼しい場所に置いておいてください。明日、頑張ってくださいね」
 と返された。リボン代を受け取る気はないらしい。申し訳ないが、ここはご厚意に甘えるとしよう。
 花屋さんを出る頃には、もうすっかり陽が沈んでいた。遠くには星が点々と光っている。
 明日も晴れるだろうか。
 
「じゃあまず3年生から簡単に挨拶してもらいましょうか。元部長が最初でいい?」
「それでは私から。皆さんお久しぶりです。元部長の橘市香です。今日は……」
 見慣れた部室。いつも通りはきはきと、淀みなく話す先輩。
 式は滞りなく終わり、今は部室で簡単な打ち上げの真っ最中だ。打ち上げの最後に、有志で購入したハンカチやら寄せ書きやらを先輩方に贈呈するのだ。
 先輩の、すっと伸びた背筋も、強い光を宿した眼差しも、何一つ変わらない。けれど受験期間中の気苦労とか、入部当初の失敗とかを聞いているうちに、俺の知らない先輩がいたことに改めて気がついた。今だって変わってないと思っているのは俺だけで、先輩自身は色々あったことだろう。
 本当は俺、何も知らないのかもしれない。振り返ってみると俺の記憶にあるのは舞台の上か、部室にいる先輩ばかりだった。演劇部の部長としての先輩しか知らない。
 もっとあなたを知りたかった。そんな思いが、今更のように胸を焦がした。

「お礼です」
 片づけや帰り支度でごった返している部室で、俺は先輩に花束を差し出した。
 カードや手紙の類は、何もつけていない。俺は自分の本心を花言葉に託したのだ。
 白いカーネーションとピンクのサクラソウを基調とした、春らしい色合いの花束。これから先輩に訪れる春が、少しでも幸せなものになるよう願いを込めたものだ。
 先輩は一瞬驚いたような顔をしてから、目を細めた。
「ありがとうございます。すごく嬉しいです!」
 両手で花束を持ち、先輩は愛おしそうに花びらを撫でた。
「ところで、お礼って何の?」
「俺、先輩を見て演劇部に入ったんです」
 先輩の質問とほぼ同時に、俺は口を開いていた。止めることもできず、そのまま言葉を紡ぐ。
「人前に出るのは苦手だったけれど、この部に入って変われました。だから、今の俺があるのは先輩のおかげなんです。今まで本当にありがとうございました」
 ほぼ直角になるくらい、勢いよく頭を下げる。突飛な行動に戸惑っているのか、先輩は何も言わなかった。俺の頭に血が上り始めた頃、ようやく先輩の声が降ってきた。
「演劇はきっかけにすぎません。変われたのは、変わるために努力を重ねた谷山さんの力です。もっと自信を持ってください。だってあなたは、私が選んだ部長なんですから」
 下げたのと同じくらいの勢いで顔を上げると、先輩が微笑んでいた。美しい微笑だった。
 この人と出会えてよかった。
 心の底からそう思えた。
「えー!? 谷山先輩抜け駆けずるいです!! あたしだって市香先輩にお花あげたかった!」
 大声で喚きながら、後輩が割って入ってきた。その声を聞きつけた他の後輩たちも、ずるいずるいと騒ぎ始める。せっかくいい雰囲気だったのに。
「ずるくないです、部長特権です!」
「てか先輩、写真撮りましょ!!」
 俺の主張を無視して、皆好き好きに喋り出す。部長の威厳も何もあったもんじゃない。先輩みたいな部長になるのはまだまだ先のことみたいだ……。
「二人とも、笑って!」
 突然カメラを向けられて戸惑いながらも、中途半端なピースサインを掲げた。フラッシュに驚いたのか、視界がぼんやりと滲んだ。

***
「市香せんぱーい! 先輩って花言葉とか詳しくなかったですか?」
「えぇ、まぁ一通りは」
「へー! じゃあこの花束の花言葉も分かります? 谷山先輩のことだから、何かあったりして~!!」
「さぁ……どうでしょうね。花言葉にも色々ありますから」
 白いカーネーションは尊敬。カスミソウは感謝。サクラソウは……。
 花言葉を思い浮かべながら、私は小さく笑った。

サークル情報

サークル名:海底書房
執筆者名:ゆら
URL(Twitter):@tsukinose_yura

一言アピール
主にこんな感じの現代日常ものを書いている、風景描写と心情描写が大好きな個人サークルです。それから、異なる作品同士で登場人物や世界設定をこっそり共有させることも好き。
身に覚えがあるような、読み手も共感できるようなお話を目指しています。

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