ふりつもる
灰色の雲が近い。しんとした空気は重く湿気を孕んでいる。
図書室は、放課後の喧騒からほど遠くあまりにも静かで、滅んでしまった世界にただ独り遺された守人の気分を味わう。
守るべき物語を今、わたしは探しているのだと思い、世界が滅んでいるのなら伝えるべき人もいないだろうと自分の思いつきの浅さに笑ってしまう。
まぁいい。今この世界だってすでに終わっているのかもしれないのだ。気づかないふりをしているだけで。
何冊かの物語を選び貸出カードに記入する。容易にシステム導入できないのだろう、これはいつまでたってもアナログのままだ。
廊下に出ると吐く息が白い。戸締まりをしてふと窓の外を見れば、ぼわぼわと牡丹雪が降っていた。どおりで静かなはずだ。この雪で皆、部活動も早めに切り上げたのだろうか、誰ともすれ違わない。いよいよ終末の世界か。
新校舎の階段を昇ってゆくと、かすかにピアノの音が聴こえる。周りが静かだとここまで聞こえるのだな、と変に感心しながら音楽室の扉を開けると流れる音に包み込むように迎えられた。
音が途切れ、大きなグランドピアノの向こうからのりだすように彼女が顔を覗かせた。
「みつかった?」
柔らかな声。返事の代わりに抱えていた本を掲げて見せる。
「物語を聴かせて」
彼女が眼をとじるとまぶたを縁取るように長い睫毛の影がかかり、なめらかな陶器のような肌をゆるくうねる髪が彩る。眠っているビスクドールみたいだ。
「じゃあ少しだけ」
彼女の傍らに立ち、ページを捲る。音の無い音楽室にわたしの声が浮かんでは漂い消える。自分の声はあまり好きじゃない。朗読や読み聞かせには向かない声だ。
では何故こんな事をしているのか?趣味、と説明すれば話は早いが、わたしはわたしの物語の言葉を探す為に此を始めた。
銀河鉄道の夜でジョバンニが、写植を拾うアルバイトをしていたが、わたしは沢山の物語を声にのせ言葉を拾ってゆく。
“ 今日はこれだけ拾えました。”
短い物語をひとつ読み終え本を閉じると人形が眠りから目覚める。ぱちり、と音が聞こえるようだ。
「素敵。うん…じゃあ最初からもう一度」
わたしの声に彼女のピアノの音が重なる。低く高く寄り添うように。わたしの頼りない朗読は、瞬く間に物語として生き生きと動きだした。まるで魔法だ。
わたしの朗読に伴奏をつけたいと彼女から申し出があった時は大層驚いたけれど、今こうしていると最初からふたりで物語の為の言葉を探して世界を構築してきたみたいだ。
しんしんと雪の降る世界の終わりで、ふたりで新しい世界を創る。下校の時刻を告げる鐘の音に遮られるまでの世界。どんな世界でも楽しい時間は瞬く間に過ぎ去るものだ。
「思ったより積もってる」
昇降口から外を伺って彼女は呟く。
「朝慌ててて手袋忘れて来ちゃったの」
白く細く儚げな手指。この手があの音を出しているのかと暫し眺めて自分の手袋をはめてやる。
「ピアニストの指は大事でしょう」
「あら、物書きの手も大事よ」
彼女がほんの少し頬をふくらませわたしを見上げる。どうやら特別扱いされるのは不満なようだ。そんな顔も可愛らしい。
もっとお姫様然としていていいのに。わたしは彼女に仕える騎士で…いやそんな技量もないな。いいところメイドか、同い年だからと話相手に採用された使用人の娘が精々だろう。
しかしそれはなんて楽しい世界。
「物書きにはね、昔から口述筆記という最後の手段があるのだよ。」
「そお?なら、最後の手段が必要な時は云ってね。私が聞き書きするから」
どうして彼女はいつもわたしの欲しい言葉をくれるのか。
きし きし
きし きし きし
きし
つもったばかりの雪を踏みしめて歩く。まだ誰の足跡もない、ほの明るい真新しい世界。
たわいない話をしているうちに彼女の家についてしまった。
「じゃあまた明日」
つと手袋をはずして私の手に乗せる。
「うん、おやすみ。また明日」
彼女が家に入ったのを見届けてわたしはそっと歩き出す。手袋は手に乗せたまま、ゆっくりゆっくりと歩く。何かの儀式の様に。すれ違う人があれば怪訝な顔をされたかもしれない。まだ雪が降っていて良かった。私の秘密が傘で隠れるから。
いつもの倍近くの時間をかけて、ようよう家にたどり着いた。自室の机の上に手袋をおろしてベッドに寝転がり、やっと一息ついて、彼女の手のかたちのままの手袋を眺める。
そこに彼女がいるようで…
ゆるゆると手を伸ばす。届かない。触れられない。いつも……
くっ、と喉の奥が鳴った。
どんなに沢山の物語から言葉を拾おうと、どんなに新しい世界を創ろうと、駄目だ。私は一番大切な言葉を彼女に渡していない。
あまりにも今が幸せで、ずっと飲み込んできた言葉を。
その一言で世界が終わってしまうかもしれない言葉を。
私は世界の終末に憧れながらも怖れている。
わたしの内にごうごうと嵐が吹き荒れる。ひどい吹雪だ。家族の前では平静を装って過ごしたけれど、本当は想いに埋もれてもう、一歩も動けなかった。
きっと一睡も出来ないと思っていたのにどうやら眠ってしまったようだ。繊細さを持ちあわせていない、健やかな自分にさすがに少々嫌気がさす。
でも、だからといって昨晩の嵐を彼女に差し出す訳にはいかない。
深夜に書いた手紙は出さない方がいいという。わたしのこの想いもきっと、同じ類いのものなのだ。
雪に朝日が乱反射して目をあけていられないほどに眩しい。日にあたっても溶けきらぬまま、また雪が降り、もう最初につもった雪はいつのものだったのかもわからぬ程で、まるで地層のように積み重なっている。
わたしの想いもまた、雪のようにふりつもる。春など来ないし朝も来ないだろう。ただただ、ふりつもり、溶け残り、折り重なり、埋もれてゆくのだ。
辺りがあまりにも眩しくて、目を閉じると涙が一筋流れた。
サークル情報
サークル名:あいおん
執筆者名:あさかとりこ
URL(Twitter):@asakatoriko
一言アピール
女子高を舞台に少女達の日常と恋を綴っています。