すくいあげて

「こんな手紙、見せられるかー!」
 座り込んだソファの上で腕を振り回していると、居間をのぞき込んだるる子が呆れた視線を向けてきた。学校にも慣れてきたこの妹様は、このところ兄に対する風当たりが強い。「言いつけるぞ」とばかりに顔をしかめられて、俺は渋々と座り直した。
「ほらほら、るるちゃん手を洗ってきなー。おやつはミトマのマドレーヌだから」
 そんなところにちょうどよく、台所から聡美おばちゃんが顔を出す。おばちゃん大好きなるる子は元気のよい返事をして、そそくさと洗面所へ向かっていった。
 ほっと胸を撫で下ろした俺は、もう一度手の中の紙を見下ろした。でも何度読んでも小っ恥ずかしい。これを堂々と持って行く気にはなれなかった。
「ゆっくんもおやつ食べるでしょう? って、それって手紙? もしかして父さんの?」
「あれ、聡美おばちゃん、よくわかるね」
 大きな木の皿にマドレーヌを乗せたおばちゃんは、俺の隣に腰を下ろした。
「そんな古風な便箋使うの父さんくらいでしょ」
「うん。手紙があったら次の対面授業で持ってこいって言われて。探してたら、ばあちゃんが手渡してきてさ」
 俺は手紙をひらひらと振った。文化の授業は、いつもここで悩まされる。この間は画材だった。ばあちゃんが使ってた色鉛筆が大事に取ってあって、それでたまたま助かった。たぶんばあちゃんもそれを覚えていて、今回もと思ったんだろう。
 でも、これはまずい。
「恋文? ラブレター? って言うんだろ、こういうの」
 手紙なんて、実物を見るのは初めてだ。じいちゃんが生きていた頃はテルメールがなかったからか。いや、でもその時だって、Eメールはあったはず。
「父さん、母さんにベタ惚れだったから。ことあるごとに送ってたらしいよ」
「風流って奴?」
「ちょっと違うかな。気持ちを伝えたいってのは、同じだろうけど」
「気持ちを伝えるなら、自分の言葉なんて使ったら駄目じゃね? 誤解されるって」
 俺は少しだけ黄ばんだ便箋を、窓の方へ透かしてみた。紙は立派だ。たぶん高い。でも手書きの文字は不格好だった。その上「君は月のよう」だとか「どんな花を選んでも君には負ける」だとか、むずがゆくなる言葉の連続だった。
「そっか、今は告白もテルメールなんだっけ?」
「聡美おばちゃんまでそういう言い方すんのかよ。今のテルメールは、昔のとは違うのっ」
 苦笑するおばちゃんの横顔を、俺はついにらみつけた。大概の大人の反応はこうだ。「今は」とか「最近の若者は」とか、すぐにそういうことを口にする。自分で文面を考えないと馬鹿になるだとか、テルメールに頼りきりだと会話ができなくなるだとか。もううんざりだ。昔の政治家みたいに、失言して恥かいたり喧嘩したりしてればいいってか。
「乗っ取り対策だって、翻訳機能だって進化してる。大抵の端末にも対応してるし、モードも選び放題だし」
「本当便利になったよねー」
 俺は手紙を膝の上へと乗せた。そこへ着替えて手を洗い終えたるる子が、勢いよく駆け寄ってくる。モニター用の衣装の出番は、今日はもう終わりらしい。
「ミトマだー!」
「今日は奮発したからねー」
「聡美ちゃん、ふんぱつってなぁに?」
「いつもよりお金を使うってこと。つまり、特別なおやつってこと」
「やった!」
 ぴょんと跳ねたるる子は、おばちゃんの隣に座った。るる子はよくおばちゃんを辞書代わりにしている。そろそろ自分で調べる癖をつけさせないと大変だ。
「おじいちゃんのこいぶみ、るる子も見たいなぁ」
 すぐにマドレーヌへと手を伸ばしたるる子は、俺の方をちらと見た。手を洗いながらも、ちゃっかり話を聞いていたらしい。
「るる子には早いって。読んでも意味わかんねーよ」
「わかるよ!」
「るるちゃんも、読みたかったら母さんから許可もらってねー」
 俺達はいつもこんな調子だけど、おばちゃんはにこにこしている。おばちゃんが怒っているのを見たことがない。俺の中での一番の謎だ。脚本家って仕事は、神様みたいな人しかなれないんだろうか?
 ――言葉は武器だ。おばちゃんはいつもそう言う。それは相手を傷つける可能性があるって意味でもあるらしい。昔は誰もが好き勝手にEメールとか送り合っていたから、そういうのが絶えなかったって。直接会って勝手に話しかけて、直接じゃなくてもアプリで好き放題に繋がって、好き勝手な言葉を浴びせて。そうやって罵り合ってたって。
 でも今はテルメールがある。伝えたい言葉をテルメールに吹き込めば、テルメールが翻訳してくれる。誤解がないように言い換えてくれるし、言葉を補ってくれる。テルメールが何て伝えたかを知ることで、自分が言いたかったことをどんな風に表現すればよかったのか、学ぶこともできる。
 なのに大人たちは、俺らが使うと顔をしかめる。仕事には便利だけどって言いながら、自分たちだけ楽をしようとする。子どもは苦労してろってか? いつの時代の話だよ。
 だから俺は文化の授業が嫌いだ。昔を懐かしんでる先生たちの、あの顔が苦手だ。新しいものが大好きなおばちゃんは、他の大人とは違うと思ってたのに。なのにテルメールには反対なんだな。それがわかって、少しイライラした。言葉を武器にしてる脚本家だから?
「父さんは、喋るのが苦手な人だったの」
 マドレーヌを手に取ったおばちゃんは、のほほんとした声で言った。俺は相槌を打った。それは父さんから聞いたことがある。じいちゃんは滅多に声を出さなかったって。
「ゆっくり考えるのが得意な人だった」
 おばちゃんの口に、マドレーヌが吸い込まれていく。皆大好きミトマのマドレーヌは、朝のうちに買いに行かないと手に入らない。だから『告白』の時に使うんだと、女子が言っていた。俺はわざわざ『告白』する意味がわかんないんだけど、それが大事だと思ってるらしい。直接会っちゃったら、俺は絶対うまく伝えられない。失敗する。それならテルメールの方がいい。
「だから大事な時は、手紙を書いてた」
「……Eメールでも、アプリでもなくて?」
 わざわざ自分の手で書くって意味も、俺には理解できなかった。そりゃあそれを仕事にしてる人には大事だろうけど。でもじいちゃんは確か花屋だ。
「たぶん、伝えたいことが多かったんじゃないかなぁ」
「手紙の方が書くの大変じゃん」
「情報量が多いのよ。意味、わかる?」
 おばちゃんにそんな風に言われると、俺はそっぽを向くしかなかった。馬鹿にされているわけじゃないとわかっていたって気分はよくない。情報量ってなんだよ。
「こうやって直接会ってると、どんな声の調子かとか、手の動きとか、そういうことまでわかるでしょう? それが、情報量が多いってこと」
 そう説明するおばちゃんの声が、少し低くなった。そんなのモニター越しでも同じじゃないか。そう言おうとしたところで、俺ははっとした。おばちゃんが膝の上で手をしきりに組んだり解いたりするこの癖。それはおばちゃんが昔のことを思い出している時のだ。
 俺はそれを知ってる。おばちゃんがじいちゃんたちに拾われる前のことを、考えている時の癖だ。
「情報量が多いとね、大事なことが見えづらくなったりするし。色々伝わったりもする。情報が多いと混乱する人もいるし、少ないと気づけない人もいる」
 何だかしんみりとした気持ちになって、俺は手紙を見下ろした。喋るのが苦手なじいちゃんが、手紙では小っ恥ずかしいことを言ってる。じいちゃんってどんな人だったんだろう。俺はほとんどじいちゃんのことを覚えてないけど、こんなおばちゃんを拾ったくらいだから、先生たちが言う「癖のある」人には間違いなさそうだ。
 その時はまだ、今みたいに実際に会える人の制限なんてほとんどなかったはず。それでも誰かを家族にするのが大変なのは、きっと同じだ。
「父さん、緊張するとすごーく大きいこと言い出すの。鼻の穴も膨らむ」
 そう続けたおばちゃんは悪戯っぽく笑った。俺はちらと横目で、おばちゃんの顔を見た。
「それに手も震えちゃう」
「だから字が汚いんだ」
「そうかも」
 俺はもう一度手紙をにらみつけた。これを俺に手渡してくれた時のばあちゃんは、見たことないような笑顔だった。そんなことを思い出す。
「母さんは、父さんのちょっとした変化を見抜くのが得意だったの。見抜けると、嬉しかったみたい。ゆっくんみたいにね」
 そこでおばちゃんは立ち上がった。俺はどきりとした。――おばちゃんはいつもこうだ。いつもいつも、こうして見抜かれる。
「でも得意だからって疲れないわけじゃないしね。だから使い分けないと。ゆっくんもそのうちわかるよ。駄目なところが伝わるのも、時には大事だってこと」
 ふわふわと笑ったおばちゃんは、そのまま台所へと向かった。その大きな背中を見て、俺はまた一つ思い出す。
 おばちゃんがおやつを奮発する日は、何かあった記念日だ。それが何かは俺は知らない。父さんは「聡美の名誉のため」って教えてくれないし。でもそういう日が、一年に何回かはある。
「聡美おばちゃん!」
 俺はおばちゃんを追いかけた。名誉のためってことは、つまりおばちゃんが駄目なところを見せた日ってこと? 今までは教えてくれなくても仕方ないって思ってた。でも今は、無性に知りたい。
「お茶淹れようか。聡美おばちゃんの好きなの」
「え、何かおねだり? ゆっくんのは怖いなー」
 ころころと笑うおばちゃんに、俺は適当に頷いてみせる。そうだ、確かに俺はおばちゃんの言動から、色々読み取ろうとする癖がついている。大事な時に直接会いたいってのも、そういうことなんだろうか。
 情報量の意味が、少しだけわかったような気がした。
 振り返ったおばちゃんは、何故か少しだけ困ったように微笑んだ。

サークル情報

サークル名:藍色のモノローグ
執筆者名:藍間真珠
URL(Twitter):@aimapearl

一言アピール
理屈系ファンタジー、ふんわりSF等を書いているサークルです。異能力アクション、滅び、駆け引きを愛し、じれじれや両片思い、複雑な関係の話を書き続けています。今回は「伝わる」をテーマに、近未来世界の日常を切り取りました。感想スタンプ等は楽だけど、感想書かないと伝える力がつかないな……と我が身を振り返って。

かんたん感想ボタン

この作品の感想で一番多いのはしみじみです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • しみじみ 
  • 受取完了! 
  • エモい~~ 
  • ほのぼの 
  • ほっこり 
  • そう来たか 
  • この本が欲しい! 
  • 胸熱! 
  • ゾクゾク 
  • 尊い… 
  • 怖い… 
  • しんみり… 
  • かわゆい! 
  • 泣ける 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • 感動! 
  • 笑った 
  • ごちそうさまでした 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ロマンチック 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください