太陽の葬列

ボクらの太陽 2次創作


 伯爵の後継者には赤い女の亡霊が憑いている。
 それは夜な夜な月明かりの下でさめざめと泣くそうだ。まるで未亡人のように。あるいは、生者の魂を死の国へ誘い込むように。
 バンシーだ、と誰かが言った。
 ああなるほど。それは言い得て妙であろう。隣人の死を予言する《泣き女》。いつまでも喪失の悼みに囚われたままで無常を儚む、黄泉の国より届けられしヒトガタの告死状。
 しかしながらおかしな話である。
 あの館にもはや生者はおらず、取り憑かれた当人もまた生と死の輪廻から外れた反生命種。
 ならばあの女は一体誰の死を嘆き悲しんでいるというのだろうか。

 館内は静かなものだ。実力主義が横行するまま人類に対する侵略闘争を繰り広げている現代のヴァンパイアにとって、書物とは無用の長物らしい。それなりに広く設けられた閲覧席には自分ひとり。カウンターにすらヒトの影はない。
 正直なところ好都合だ。いま調査している案件は他人の眼があると途端に調べづらくなる。こちらの弱みを握って失脚させようと画策している輩はこの城に限らず各地にごまんといるのだ。余計な気を張らずに済むならばそれに越したことはない。それに、たったひとりで文字の海に沈み込む時間を気に入ってもいる。
 少し出歩こうものなら突き刺さる好奇の視線。あることないこと囁く死者の口。選ばれし反生命種だと豪語したところでヴァンパイアも人間とやっていることに変わりはない。特に力がものを言う社会だ、ぽっと出の若造がそのまま要職に就けばいやでも的に仕立て上げられる。通らなければならない道とはいえ、いい加減疲れた。
 だからデュマにとって暗黒城の蔵書室は、兄の仇の腹中であることに目をつむればそれなりに居心地がよく、落ち着ける場所のひとつだった。
 ちょうど読み終えた一冊を閉じ、手元の紙にタイトルを書き付ける。横にバツ印。そうして右手側に形成されつつある本の塔の天辺に積む。左手の山から次の一冊を手に取り目の前に広げる……そこまでの一連の動作はすっかり精錬されてしまっていた。ほとんど流れ作業と化している。もちろん自覚しているし、この調子ではきっと今日の分の調査対象は全て同じ結果に終わるだろう。それでも、広大な砂丘の中からひとかけらの塩粒を探すように、やるしかないのだ。そんなものは存在しないのだとしても。
 ぺらり、めくるページには「伝承」の文字。
 目次を追いかけていたデュマは、ふと背後に冷気を感じて、意識を現実へ向け直した。
『熱心なのはいいけれど、きちんと休息をとることも大切よ』
 女の声がした。色褪せた世界に鮮やかな朱を咲かす、たおやかな雛罌粟の音。
「……こんなところで姿を現して、誰かに見られたらどうする」
『ご心配なく。きちんと周りは確認しています』
 冷静な返しにデュマは瞼を閉じて嘆息した。ついでに目頭を指で揉む。声に応じてしまった以上は無視できない。仕方なく開いたばかりの表紙を閉じ、椅子の背もたれに寄りかかった。
『首尾はどう?』
「見ての通り」
 手元の紙を指先でこつこつ叩く。ぬ、と後ろから音もなく乗り出してくる様子は幽霊のようだが、実際その通り彼女は肉体を失った霊魂だ。普通は現世に留まることなどできない。普通じゃないから、彼女はまだここにいる。
 黒髪の奥で、朝もや色の瞳がまあるくなった。
『……この量、今日一日で?』
「戦功休暇で暇だったから」
『中身も全部読んだの?』
「でないとどこに手がかりが隠れているか分からない」
 微妙な沈黙。それから、嘆息。呆れているような感心しているような。
『相変わらず真面目なのね、あなた』
 不意に頭部を触られているような感覚がした。優しい手に繰り返し髪を撫で梳かれる、そんな気配。デュマは瞠目して、それから唸った。
「ガキ扱いしないでくれないか……」
『あら、ごめんなさい。つい……小さい頃のサバタさまにやっていた癖で』
 謝っているくせにくすくす笑っている。反省していないのは明らかだし今後もきっと何かにつけて同じことをやるんだろうと直感した。
 嫌ではないけれど、自分の立場と、ここまでに過ごしてきたヴァンパイアとしての日々が違和感を訴える。それから、錆び付いた自分の心が。幸福なんて感じてはいけないのだと責め立ててくる。
 上等だ。浸るつもりなど毛頭ない。この身には悼みと憎しみさえあれば他に何も要らない。でなければ仇敵の一族に身をやつしてまで生にしがみついている己に価値などないのだ。
 デュマは残ったままの感触を拭うため、頭に手を伸ばした。が、前髪に指を埋めようとしたところで硬く冷たいものにぶつかる。元々渋っていた表情がさらに苦みを増した。
 あの日、実父の代から血みどろの戦いを繰り広げてきた好敵手を喰い殺し力を奪った代償として、額に生えた紫紺の双角。己が本当に人ならざる者へと変貌した証。【デュマ】であるゆえんに、自分自身はまだ慣れることができないでいる。
 胸にわだかまる不快感を吐き散らしたくなる気持ちをこらえ、改めて白金の髪に指を通した。いささか乱暴に引っかき回したあと、整えた。
「最果ての書庫、地下大図書館、教会の隠し部屋……行けるところは全て回って、結局ここに来るしかなかったが……」
『結果は、芳しくなさそうね』
 女の亡霊は机の紙片を見たままで言った。上から下までびっしり書き連ねられた表題のどれにも、付随するのは無情なバツ印ばかり。
「月光仔や絶対存在に関する伝承、逸話の類はあれど、全て『もしも』の域を出ない。しかも書いてあることはどれも似たり寄ったり。さすがに飽きてきた」
『そう……』
「所蔵年月日か担当者の名前でも分かればもう少し範囲を絞り込めるんだが……はぁ。ここの司書はろくなヤツじゃない」
 そもそも司書という役職がいるのかどうかすら定かではないのだが。
 いつでも無人のカウンターを恨めしく睨み、デュマは故郷の図書館とこの城の元々の主に思いを馳せた。前者は徹底した分類と管理システムで蔵書をしっかり扱っていて、使いやすい事この上なかった。後者に関してはそれなりに期待していた心を裏切られた気分で勝手に憤りをぶつけている。けれどもしかしたら、今の城主が意図的に伯母の私物を処分した可能性も捨てきれない。
 どちらにせよ、敵陣のまっただ中へ突っ込んだわりには収穫が見込めなかった。そう簡単に事が運ぶなんて夢にも思っていなかったけれど、やはりどうしようもなく落胆はする。誰かと言葉を交わして現状を確認したせいでなおさらやる気が削がれた。
「もういい。今日はやめる」
『いいの? まだ結構な冊数が残っているみたいだけれど』
「ここからまた集中し直して手応えのない文章にぶつかるだけの気になれない。それに、休めと言ったのはキミだ」
 席を立ち、デュマは傍らの亡霊を見下ろした。
 床上数センチを浮遊する赤いワンピースの少女。その裾は風もないのに持ち前の魔力で揺らめき、半透明の姿と相まってこの世ならざる存在であることを強調する。悲しいことに彼女は生前からそういう星巡りだった。ヒトであるのに人じゃない。レディ・ヴァンパイア、カーミラ――人呼んで《死せる風運ぶ嘆きの魔女》。
 本当だったらとっくに消えている魂だ。いくら魔女でも霊魂となってこの世に留まり続けるのは容易ではない。太陽の光はあらゆる闇を浄化する。実際この手で焼き尽くした。まだ自分がろくに何も知らなかった頃の話。父のことも、母のことも、たったひとりの兄のことも。
 自分たちは、その兄に生かされてここにいる。
 だから、終わらせなければいけない。他の誰でもないこの手で。ひたすらに奪われ尽くしたこの青い爪で。
 月の獣を、殺さなければならない。
『……じゃあ、手伝いましょうか。片づけ』
 カーミラは微笑んだ。きっと兄が呼吸をするように見続けた笑顔だ。それでもなお、狂気を止めることはできなかったけれど。
「ああ、頼む。それは向こうの棚だ。片っ端から持ってきたから、空いているところに放り込むだけでいい」
 そう言ってデュマも本の山をひとつ抱え、整然と並ぶ書架の森へと分け入っていった。

『そういえば、あなた自分が周りからなんて呼ばれているか、知っている?』
「ん?」
 つい返事をしてしまってから、まだ微妙に幼さの残る顔立ちをしたヴァンパイアは抜け目なく視線を走らせた。下手を打てば独り言をぶつぶつ呟く異常者認定。けれど周囲に人の気配がないことぐらい、こちらも事前に確認して声をかけている。暗黒城の長廊下は不気味なほど静まりかえっていた。
『気にしなくても大丈夫。誰もいないから』
「そのようだが、遠視されている可能性もある」
『だとすればあなたが図書館で調べ物をしていることも筒抜けだと思うけれど、どうなのかしらね』
 疑問に疑問で返せば、彼はむうと唸ったあとに警戒を解いた。仇敵の総本山ともいえる場所が一番監視も警備も手薄で過ごしやすいとは、皮肉もいいところである。
「……で、なんだったか」
『あなたの渾名、通称。伯爵の後継者、の他に呼ばれているもの』
「ああ、それか」
 得心し、彼は目を伏せて嘆息した。
 椿の花が落ちるよう、前触れもなく突然身罷った先代伯爵。そして同時期に現れた、「正当な後継者」を名乗る素性不明の双角の青年。
 あまりにも出来過ぎた構図に外野の興味は尽きず、内外問わず様々な憶測や噂、ときにはでっち上げがあっちへこっちへ飛び交っている。
 血錆の館の箱入り息子。反逆者。親殺し。全てを与えられた者。栄華を奪った者。などなど。
 当人は全く気にしない様子で言うに任せている。彼の養父がそう教えたのだ。常に冷静であれ、優美であれ。そしてつきまとう数々の嘲笑は、己が戦場の振る舞いでなぎ払え。
 ……とはいえ放っておくまま膨らみすぎればその後の対処は困難を極める。そういうところはどうなのか、と亡霊心に心配しているのだ。
「最新のは『文官伯爵』だったかな。よく見ているもんだ。そんなことで蝙蝠を飛ばしている暇があるなら王の人形遊びにでも付き合ってやればいいのに」
『傀儡に堕ちきることを選ぶくらいなら、進んで太陽の下に出るのではなくて? あなたたち闇の一族は』
 分かり切った提案に正論を返す。すると彼は肩をすくめた。その通り、ということだ。ヴァンパイアの身として積んだ経験はまだまだ浅けれど、今や同胞となった者たちの気質は好敵手を通じてよく理解しているのである。
『それはいいとして。放任主義も度を過ぎれば足下を掬われる要因になるかもしれない。私が不安なのは、そこ』
 この異質な経歴を持つ若きヴァンパイア・ロードを失うわけにはいかない。私事としても、星の総意としても、絶対に替えのきかない唯一無二のピースだから。
 たとえ地上の全てが破壊のあぎとに喰い尽くされても。人間もイモータルも関係なく滅んだとしても。最後に月面へ降り立つのは彼でなくてはならないのだ。
 それは本人も分かっているはずのこと。なのに将来大きくなるかもしれない不穏の火種を放置していることが、どうしても納得できないでいる。
「キミも相変わらず、心配性だな」
 脚を止めないままで青ざめた唇が開いた。
 ――そこに浮かんだものを見て、透けた身体がつい総毛立つ。横顔に重なった面影は、あろうことか彼の養父、ひいてはこの魂をもレディ・ヴァンパイアに仕立て上げた男のものだった。
「先日の戦果を耳にしてもなお揚げ足を取ってくるつもりなら大した度胸だ。直々に捻り潰してやる」
 口元を彩るのは狂気の三日月。覗き見える白磁の牙は目にしただけで皮膚を裂かれたような心地になるほど鋭く冴え渡り、真っ赤な双眸には噴き上がる血飛沫を燃料にして燃え盛る純粋な闘気が宿っている。
 それは、出会った頃の少年のままなら未来永劫持ち得ないはずの歪みといえよう。
 ……分かっていたことなのに。
 もし……もし、穢れた月に縛られているあの人を破壊の呪縛から解放し、そのうえで無事地上へ帰還できたとしても。
 一度堕ちた太陽は、二度と昇らない。
 本人がそれをどれだけ願っても。再び光を宿すには、その身は闇に寄り添いすぎた。太陽を求めることはそのまま死に直結する。彼はもう、かつてのようには生きられない。
 今の受け答えを聞いて、改めてそう思った。自ら進んでより暗い方へ歩いていっているようにも見えた。誰よりも自分が一番分かっているのだ。ひとつの魂が抱えられる未練は、ひとつきり。
 だから彼は《伯爵》としての初めての任務で、数多の人間を殺してみせた。
「……カーミラ?」
 名を呼ぶ声にはっとする。
 いつの間にか伏せていた視線を上げる。長廊下は既に突き当たりを迎えていた。円形に設けられた空間には、あらゆる魔術を規制する城の中で唯一有効化されている、外と内を繋ぐ転移魔法陣が設置されている。
 その目前でこちらを振り返った柘榴の瞳が、不思議そうにこちらを見つめていた。
「あまり離れると置いていってしまうぞ。こっちへ」
 差し出される手のひら。つい一瞬前までは他者の命を奪うことに喜びさえ見出していたその口で、今度はそんな優しい言葉をかけてくる。
 そっくりだ。彼の兄と。不器用で意地っ張りで、そのくせ大切なものはガラス細工に触れるみたく慈しむ。
 振り払うことなどできはしない。だって私は、彼らを心から愛しているのだから。
 その手を取ることが彼を今以上に穢すことになろうとも、背は向けないだろう。月の遺跡でまどろみ続けるあの人の願いを叶えるまでは。
『ええ。……ごめんなさい、ジャンゴ』
 紅い眼の上で眉尻が跳ね上がった。けれど「ここでその名を呼ぶな」と咎められることはなかった。

 バンシーは人の死を予言し、嘆く。
 宣告されしは月下美人の忘れ形見、狂気に呑まれた月の獣。
 そして、日毎に消えゆく太陽の残滓。

サークル情報

サークル名:Erzahler
執筆者名:綴羅べに
URL(Twitter):@tsuzurabeni

一言アピール
「本物の太陽光を使って敵を倒す」ゲーム『ボクらの太陽』の二次創作サークルです。
こちらは『”D”の追憶』シリーズの幕間に当たります。「かつて世界を救った救世主が、とある事情から敵側の首魁になるまでの過程」を紡ぐ、考察捏造推し贔屓満載の長編となっております。
死の予見も手紙、とは穿ちすぎたでしょうか。

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