Noah’s Missing

 手紙を書くと言っても、あいにくと文字を同じくするいきものをもたないわたしのことだから、書かれるものといったら、ぶかっこうな線や丸の集合に過ぎない。これは、客観的な評価ではなく主観的な評価でもあり、すなわちわたしは「わたしにも読めない記号を使って手紙を書いている」ということなのだが。
 「朽ち果てたポスト」とわたしが呼ぶのは、実体としてはただの穴蔵で、わたしはそこに手紙を投函する。この世界はかつて何度か描かれた「近未来」のヴァリエーションのひとつを具体化したものであり、ある種の荒廃――都市をも埋め尽くすほど跋扈した自然のありさまを荒廃というのなら、だが――が支配する場所であり、わたしははだしで獣道を踏み分け「朽ち果てたポスト」に向かい、泥まみれになって自分の住処へ帰る。住処の近くには、真珠のようになまめかしく水面を光らせたせせらぎがあり、わたしはそこで体を洗い、魚を数匹頂戴する。獣の肉を食べることはほとんどなくなった。水に住まないいきものとは、なにかしらどこかしらで結びつきを感じてしまうからだが。代わりに魚と「手紙の返事」を頂く。手紙の返事は、毒のないキノコや食べられる苔などで、季節に応じて違う。季節に応じて――十以上の数をかぞえられないわたしでもわかる。すでに彼乃至彼女と手紙のやり取りをはじめてから、いくつもの季節を経めぐったということは。
 はじめて手紙を書き、「朽ち果てたポスト」に投函したわたしは、こうして手紙を出した以上、必ず返事がくるはずだと思っていた。手紙とはそういうものだと知っていたからだ。そうしてそれはそのとおりだった。はじめての手紙を投函した次の日には「手紙の返事」は来ていて、それを見たわたしは、乙なことをする者がいる、と思ったものだ。「朽ち果てたポスト」には、わたしの手紙の代わりに七つのどんぐりがおさめられていて、わたしはなぜか嬉々として、それを掌の中に握りこみ、住処に帰った。けれども、あぐらをかき、どんぐりをひとつ齧ったら、こんなメッセージが流れ込んできた。
 ――……あなたはご覧になったでしょうか。 Noahが雷のように発狂し、天を指さし笑いながら斃れ、ちいさく分裂したのちに増殖してこの地に散らばったのを。あれ以来わたしは、こわくてこわくて仕方がないのです。
 嬉々とした気持ちはすでになかった。かわりにわたしは、わたしを抱き締めるように両腕を組み肩を抱いた。そう、Noahだ。かつては勇猛果敢で、おおむかしの方舟伝説に擬えられ、Noahと呼ばれたこの地球の船頭。しかしながら、彼にもアキレス腱があった。自身でも知っていたのだろうか? 孤独にめっぽうよわいという、己の性情を。Noahの死後、この地球には「孤独感」がウイルスのように浮遊していて、それに「罹患」し、悪くすると死に至る、というのはもっぱらのうわさだ。しかしながら、いまでもそうなのだろうか? わたしは魚に齧りつく。皮、身、骨、腸、あまさず食べる。わたしたちは、ほかのいきものとたまさか出会うと、Noahに冒されていないことを証明するように、すぐさま目を逸らし、気づかぬふりでやりすごすけれども、Noahに引かれがちなものはもうすでに絶え、そうでないわれわれにはもう、Noahに対する抗体ができているのではないだろうか? 「手紙の返事」――今日ははちみつであった――を舐めながら、わたしはふと、そんなことを考える。というのも、はちみつは、色も味も「一度あなたにお会いしてみたいです」と言っていたからだ。考えたら、もういてもたってもいられなくなり、はちみつまみれの手で「手紙」を書いた。これを明日、「朽ち果てたポスト」に投函しよう。そう思いながら、わたしは手と手紙についたはちみつをていねいに舐め切り、眠りについた。
 翌日、わたしは、いつになく高鳴る胸をおさえながら、獣道を進んでいった。小笹の隙間から日は高らかに夏を歌い、どこかわたしに似た色をした影が濃く地面を這っている。手紙を啣えながら岩肌を登り、「朽ち果てたポスト」にたどりつく。けれども、いつもと違うことがあった。すなわち、「朽ち果てたポスト」には「手紙の返事」が入っていなかったのだ。
 わたしは手紙を啣えたまま、しばらくぼうっとした。それから手紙を啣えたままであることに気づき、それを「朽ち果てたポスト」に投函した。獣道をくだり、川で魚を捕まえ食べる。手紙を書き、眠り、朝が来て「朽ち果てたポスト」に向かう。そこには、わたしが昨日投函した手紙がそのまま残されていた。
 それからいったいどれだけの歳月が経過したことだろう。わたしは今日も手紙を書いている。「朽ち果てたポスト」には、手紙が層をなしている。古いものは層の下のほうで、もはや粉みじんになっていることだろう。わたしの心は、氷が張る寸前の冬のみずうみのように静まりかえり、石を投げいれるものなどだれもいない。否、いつかだれかが石を投げいれてくれればいい、と、わたしはきっとそう思っている。この感情は、さみしさと呼ぶにふさわしいものなのだろう。けれどもわたしは、Noahのようにさみしさに殺されたりはしない。その、いわば美しい調べとでもいうべきものに、ちょっとばかり眉間に皺を寄せ――そうして生きていく。今日も明日も未来もずっと。

サークル情報

サークル名:6e
執筆者名:ロクエヒロアキ
URL:https://rokuehiroaki.info

一言アピール
純文学を中心に書いてます。第57回文藝賞第2次予選通過作「だめなやつら」(R18)をテキレボ新刊として発行する予定です。

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