はなむけ

「あ~……落ち着かない」
オレは部屋を行ったり来たりしながら、朝からずっと考えていた。
いや、正確に言うと、ここしばらくずっとである。
明日、妹が結婚するのだ。
正直言って、もやもやする。
口では素直に妹の晴れ姿を祝ってやれない自分がもどかしくもある。
たった一人の妹だ。
二人でつらい時を乗り越えてきた、そんなことも今は懐かしい。
大切な妹を、他の男に渡すのは本当は嫌なのだ。
とはいえ、祝ってやらないのも兄としてどうかと思っている自分もいる。
悩みに悩んだ末、オレは手紙を書くことにした。
数日前から考えに考え抜いてようやく書いた手紙を、先日実家の妹の部屋に置いてきたのだ。
何も言わず、そっと机の上に載せてきた。
あれから、その手紙は既に妹の手に渡ったはすだ。
部屋に置いてある荷物を取りに行くと言っていたからだ。
生まれて初めて書いた、妹への手紙。
書いている途中で気にくわなくなって何度も書き直しをする羽目になり、買ってきた便箋が足りなくなる寸前でどうにか書き終えた。
丁寧に折りたたんで封筒に入れ、封をした。
結婚するという相手はチャラい男。
今風のイケメンで、髪型はおしゃれに決めているし、背も高い。
正直言って悔しい。
バーテンダーという職業が、余計にチャラく見えるように思った。
しかし、実際にはチャラチャラはしていなかった。
自分よりも年上で、認めたくはないがしっかりしている。
妹を安心して任せられる相手であると思いたいような、思いたくないような。
どうしてアイツはあんなやつが好きなのだろう。
兄の背中を見て大人になった筈ではなかったのか。

五年前に突然事故で両親を亡くし、オレと妹の二人だけが取り残されることになった。
大学生の自分と、高校生の妹。
ただただ、呆然とするしかなかった。
あてにしていた保険金は、両親が知らないうちに作っていた借金返済のために全て持っていかれてしまった。
幸いにして家は手元に残ったのだが、安心している暇は無かった。
家はあっても生活費がない。
自分と妹のために両親が残しておいてくれた貯金を当面切り崩していたけれど、それではいつまでも続かない。
オレは考えに考えを重ねた結果、大学を中退して働くことを決意した。
とりあえずはアルバイトをする日々が始まり、朝から晩まで働いた。
早朝から新聞配達をした後は、引っ越し屋で重い荷物を運ぶ。
それが終わると居酒屋でのバイトが待っている。
毎日ヘロヘロになって帰ってくる姿を見て妹は、激しく心配をした。
「私ももう高校生だし、バイトするよ!」
だが、妹には何一つ苦労を掛けたくない。
オレは、妹がバイトをすることを許さなかった。
アイツはオレの手できっちり高校を卒業させてやりたい。
願うなら、その後の進路も見守ってやりたい。
そう思ったオレは、早くこの状況を何とかしないといけないと思っていた。

そんなある日。
居酒屋でのバイト中、客の食べ終わった皿を片付けて運んでいるときのことだった。
いつもやってくる常連の男性客が声を掛けてきたのだ。
「ちょっと君、若いけど大学生かい?」
「いいえ、違います」
はい、と言いたいが、残念ながら違った。
よく整えられた髭に目が行く。五十代ぐらいに見える。
「そうかい。バイト?」
「そうですが」
じっと自分の方を見つめる二つの目。
オレは一体何だろうとその男性の顔を見つめ返した。
「この間から密かに見させてもらっていたんだが……」
「はぁ」
男性の言わんとしていることが掴めなかったオレは、その男性のことを不審な目で見ていた。
「真面目そうな青年だなぁと思ってねぇ」
口元に笑みを浮かべ、余裕げな眼差しをオレに向けてくる。
男性客はまだ話を続けようとしてくる。
酔っているのかもしれない。
オレは皿を手に持ち、立ったままその話を聞いていた。
早く片付けてしまいたいのに。
そう思ったオレは、あからさまにイラッとした様子を見せながら言った。
「それが何か?」
「君、最終学歴は?」
なぜ突然そんなことを尋ねられるのだろう、失礼な人だ。
オレはその男性を睨み付けながらも、言って恥ずかしいような大学ではなかったので答えてやった。
「あれ、大学出なのに、就職しなかったのかい?」
「中退です」
ふぅ~ん、という顔をしてこちらを見つめる男性客に、オレは少しイライラしてきた。
中退だから何だってんだと言いそうになった瞬間、その客は思いもしないことを言い出した。
「良かったら君、うちの会社で働きませんか」
「え?」
突然のことに、オレは一瞬耳を疑った。
信じられなかったので、脳内で今の出来事を再生してみた。
だが間違いなく、働きに来ませんかと言ってくれている。
「えっ!?ちょ、どういうことですか!?」
「いや、私の叔父の会社で今人を募集していましてねぇ。あ、私もその会社で働いているんだけど」
そう言って、男性客はおもむろに名刺を取り出し、オレに渡してきた。
そこに書かれていたのは、オレも聞いたことのある社名。
ただじっと名刺を見つめるだけで返事をしないでいると、男性客は続けた。
「真面目な若い社員が欲しいんだって、募集中の部署から言われているんです。私は人事の担当でねぇ」
人を見る目はあるんですよ、とその男性は言った。
求人を出しても、なかなか思ったような人材が集まらないらしい。
提示された給料の額は、朝から晩まで働きづめのバイト代よりも多かった。
いつボロボロになって倒れてもおかしくないような働き方をしていたオレにとっては嘘みたいな好待遇である。
いつまでもバイト生活で生計を立てるのは無理がある。
健康的かつ余裕のある生活を送りたいに決まっているのだ。
黙っていると、男性は話を続けた。
「あ、給料の面が気になりますか?叔父の会社だから、ちょっと多めにもらえるように交渉してみてもいい」
そう言って目の前でにこにこ笑っている。
だが、こんなうまい話があるわけがない。
オレの中にいるもうひとりの自分がそう言った。
すんなり信用して良いのだろうかと疑ってしまう。
ちょっと考えさせてくれと返事をし、オレはその場を離れた。
集めた皿を洗い場まで運んでいったとき、オレは同僚の一人にあの男性客のことを知っているか尋ねてみた。
すると、有名な会社の部長さんだろ?と、あっさり返事が返ってきた。
どうやら、この店では知られた常連客だったようだ。
ということは、先ほどの話は信用しても大丈夫だということになる。
いつしかオレは目をキラキラさせている自分に気が付いた。
捨てる神あれば拾う神ありとは、まさにこのことである。
オレは就職するという決意をその部長に慌てて伝えに行き、バイトは全て辞めることにした。
ボロ布のように働いた三ヶ月間は、先が見えずに闇の中にいたようだった。
しかし新しく始まった就職してからの毎日は、妹にも心配を掛けることなく安定した日々を送ることが出来た。
自分はアイツを養っているのだ。
妹にもそれを自覚してもらいたい。
そんな気持ちを常に胸に抱いていたオレは、妹が遅くまで遊び歩いたりして心配を掛けるような行動は許さなかった。
これ以上また何か心配事が起きてはたまらないからだ。
オレはあんなにボロボロになって働いた日々からようやく解放され、両親のいなくなった哀しみからも抜け出して笑顔を取り戻した。

高校生の妹は、巷の男子が憧れて噂をする有名女子校に通っていた。
危険な誘惑があちこちに散らばっている。
しかも妹はそこそこ可愛いのだ。
これは兄の色眼鏡だと言われても仕方ないかもしれないが、そうではないとオレは思っていた。
自分の目の届かないところに泳がせておいたら、狙われるに決まっている。
そう思って毎日仕事をしていた矢先、心配していた事が起こった。
高校生の妹がおかしな男にたぶらかされたと思わざるを得ない出来事があったためだ。
仕事から帰った時には家はもぬけの殻。
どうしたのだろうと思っていると、妹からの着信。
あろうことか男の声だった。
チャラいバーテンダーだと後に判明した。
体調の悪い妹をタクシーに乗せて抱きかかえて家に運んできたのだが、どうしてそんな男と一緒にいたのか今でも謎だ。
妹本人は、道で行き倒れていたところを助けてもらったのだと言い張るのだが、そんなこと信じられるものか。
それからは、ことあるごとに妹に絡んでくるバーテンダーの男。
なぜだか分からないが、この男が関わっていると無性に腹が立った。
大人のくせして女子高生を相手にしていること自体が危ないし胡散臭い。
今思えば嫉妬に似た感情だったのかもしれない。
認めたくはないのだが、イケメンなのがまた許せない。
アイツは、この男に騙されているに違いないのだ。
そんなふうに妹を守っていたつもりだった。
なのに。
いつしか笑顔を見せなくなっていた妹。
正しくは、オレにだけ、である。
あの男と一緒にいる時は嬉しそうに笑うのに。
知らないうちに、妹の幸せを願いすぎて勘違いしていたのは自分だったのだ。
妹は所有物ではない。
蝶は花の上を自由に飛び回ってこそ美しいのだ。
本当は自分も気が付いていたのかもしれない。
あの男はきちんとした人物であり、妹を任せても大丈夫なのだと。
ただ単に、自分が妹から離れたくないだけなのだと。
そんなことを延々と考えていると、腹具合が悪くなってきてしまった。
あの手紙を読んだ妹は、今頃何を思っているだろう。
明日は結婚式だ。
アイツはもう一度、オレに笑いかけてくれるだろうか。
そのことを考えるだけで心配になり、不安の波に飲み込まれそうになる。

気が付けば一睡も出来ないまま朝がやって来た。
いよいよ結婚式当日だ。
もやもやしたまま迎えた朝は、やっぱり腹具合が良くないまま。
どうか、あの手紙を読んだ妹が、再び笑いかけてくれますように。
幸せな笑顔で晴れ舞台を迎えることが出来ますように。
そう思いながら、オレはトイレのドアを開けた。
妹の晴れ舞台に間に合うように、結婚式の会場であるチャペルを目指して走った。

サークル情報

サークル名:三日月と金平糖
執筆者名:水無月 杏樹
URL(Twitter):@apple_pie_0321

一言アピール
主にラブコメ小説を書いています。このアンソロを読まれた後にテキレボEX2にて頒布する作品をお読みいただくと、「おっ!」という発見があるかもしれません。1巻から4巻までありますので敷居が高いと思われるかもしれませんが、まずは1巻だけでも読んでいただければ楽しんでいただけることと思います。

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