一度死にかけた俺は、あやかしの世界でお菓子を作る契約を結びました

 アルバイトから家に帰ると、机の上に手紙が一通届いていた。
 ポストを経由しない不思議な手紙。それを見た瞬間、自分の力を生かせない、単純作業のむなしい疲れが消えていく。
 柔らかで破れにくい和紙の質感は、違う「世界」のものだ。
「今日はなにを作れって言われるんだろう」
 手紙の封を開けた。便せんを開けば、じわり、じわりと、墨がしみこむように文字が浮かび上がった。
 不思議な手紙を受け取るような非日常に足を突っ込んで、かれこれ半年になる。
 全て読み終えると、便せんが手元から浮き上がる。空中でまばゆく発光し、やがて人一人がくぐり抜けられそうな光の穴に変化した。
 本棚から使い古したレシピノート。そして、タンスからコックコートを引っ張り出す。半年前は着るのもおっくうだったそれを胸に抱き、深呼吸をしてから、左腕に付けた組紐のストラップに触れた。
 あちらの世界で、唯一のお守りの感触。これがあれば、大丈夫。
 俺は、穴の中へ身を投げた。

「茶太郎の作る菓子は美味ね、美味」
 つう、と菓子をつまむ指は色白で、細く美しい。
 目の前の和装女性は、赤い紅を塗った唇をゆがめ、満足げに笑う。切りそろえられた肩までの髪の毛がさらりと揺れた。
「見事ね【泣き葡萄】を使った洋風どら焼きは」
 壁や襖、調度品に至る全てのモノに、細やかな飾りを付けた和室。
 俺は、部屋の主を前に正座し、頭を垂れていた。
「水分を吸ったかすていらのような生地がしっとりして、口の中ではかなく崩れていくのがよい。甘くまろやかな乳……くりーむ、と言うたか? 芳醇な泣き葡萄の実の甘酸っぱさが合わさってなんともいえん甘美さ。腹の底から響き渡るような嗚咽と叫びも、いっそう甘さで引き立つのう」
「ご満足いただけたようで一安心です、雪子様」
 部屋の主――雪女一族の長・雪子様は、恍惚の表情を浮かべ、感想を述べた。彼女の手には、小さな黄金色の丸いお菓子――実はコレ、半解凍のブッセなる洋菓子である。
「しかし、我らが姫も酔狂な。おまえを喰わぬ代わりに、ここで『供物』となる菓子を作れと契りを結ぶとは」
 フフ、と薄い笑みを浮かべた雪子様は、菓子ではなく、俺を見つめる。向けられた双眸には、好奇心と、欲望を感じさせる光が宿っていて、思わず背に冷たいものが走る。

 人間の世界とは違う、もののけや妖怪といった「ひとでないもの」が住まう隙間の世界――隙魔界。
 半年前、ここに迷い込んだ俺は、彼らに喰われるはずだった。人間の「生気」はこの世界の存在には、最上に美味なるものらしく、当然俺は襲われた。しかし。
「トヨ姫さまは風変わりでな。迷い込んだ人間をむやみやたらに喰ってはいけないとお考えだ。運が良かったな、助けていただいたのが姫で」
 トヨ姫。隙魔界を統治する神の娘であり、俺と「供物の契り」を交わした相手である。
 さようでございます。と頷くが、雪子様の目は笑っていない。思わず、左腕の組紐を触った。
「ああ、美味しい。こちらには作り手がいない故に、いっそう美味に感じる……」
 上機嫌の雪子様にへらりと愛想笑いを浮かべ、ではこれにて失礼します、と立ち上がろうとしたときだった。
「が、ちと物足りぬ」
 ぐい、と腕を掴まれ、あっという間に雪子さまの腕の中に閉じ込められた。
 はだけた着物から見える豊満な胸の柔らかさは、恐怖でしかない。柔らかいだけで、そこにあたたかさは皆無だ。逃げようとしても、冷気が体の熱を奪い、意識が遠のいていく。
 ひとの形を取っていても、彼女はまぎれもなく「ひとならざるもの」だ。

「いっそ、私の菓子職人になればいいではないか。必要なモノも全て用意してやろう。我慢できそうにない……おまえの生気は本当に美味そうだ……」
 氷のように冷えた手で顎を掴まれ、顔を寄せられる。抵抗しようにも体は動かない。
 上気した表情は扇情的で、なにも事情を知らない人間なら魅了されただろう。
 だが、口づけどころではすまない。奪われるのは貞操どころか命そのものである。
 なんとか腕を動かし、左腕の組紐に触れる。頭の中だけで助けを呼ぶ――彼女に。
 雪子さまの唇があと数ミリで触れそうな瞬間。
 どこからか、凜とした声が部屋に響き渡った。

「無粋な真似はおよしになって」
 
 突然、人影が現れた。
 美しく流れる黒髪。
 あでやかだが、なぜか丈の短い奇抜な着物。
 肩から掛けられた羽衣が、風もないのにゆらゆらと揺れる。
 刃の鋭さを感じさせる、整った顔立ち。
 男女はおろか、魑魅魍魎を問わず惹き付ける魅力に溢れてた女性――「隙魔界」の姫であり、俺の契約主であるトヨ姫そのひとだった。
「トヨ姫!」
 俺は彼女を見た瞬間、冷気を忘れ、名を叫ぶ。彼女だけは、この世界で俺を傷つけたりしない。
「茶太郎の作った『供物』たる菓子は食べてもよい。ですが、本人には指一本触れてはいけないことをお忘れになったのかしら? はしたない」
 ぴしゃりと言いつけるトヨ姫を見た雪子様は、俺を忘れた様子で表情を凍り付かせる。今のうちだ、と腕からすり抜け、トヨ姫の足下に転がった。
「茶太郎、答えなさい。なにをされたの?」
 トヨ姫はこちらに問いかけてきた。有無を言わさぬ声に、俺は自分が襲われたことも忘れて身をすくめた。
「いやっ、別に、そのう、少しぎゅっとされただけで」
「ぎゅっと?」
「はい、腕でぎゅっと……って、なにをされてるんですか?!」
 見れば、トヨ姫様の羽衣が、雪子様の体を拘束していた。「ああん、お許しをぉ!」とあえぐ姿は痛ましくて思わず「やめてあげてください!」と叫ぶ。
 命の危険は覚えたが、まだ生気を吸われてはいない。
「これ以上痛めつけないで。他人が乱暴される様を見るの、俺は嫌いなんです」
 トヨ姫様は「仕置きのつもりだったのだけど……仕方ない。あなたの頼みなら」と、雪子様を解放してくれた。
 まだ呼吸にあえぐ姿を一瞥したトヨ姫様は「今日はこの辺りで勘弁しましょう」と言い、今度は俺を腕に抱き、この場を去った。

「危ない目に遭わせて、申し訳ない。雪子は若干羽目を外しすぎるところがあって」
 いやいいんですよ、と俺は手を振る。
「トヨ姫様がくれた、守りの組紐のおかげで助かりました」
「貴重な供物の契約者、手厚く守らせていただきますわ」
 ここは、トヨ姫様の自室。世話係の眷属達は全て下がり、二人きりだ。
「それにしても、茶太郎のお菓子は本当においしいですね。ブッセって言ったかしら? 今日のクリームはすごく濃厚だけど、優しい味がするのね。生地もしっとりして、前に食べたショートケーキのスポンジとは違うのですか?」
「今日は、卵黄とクリームチーズをたっぷり使ったビスキュイ生地に、クリームチーズとカスタードクリームを合わせたクリーム。そして、こっちで用意してもらった『泣き葡萄』を挟んだあと、一回冷凍しました」
 俺が隙魔界でお菓子を作るとき、ここで採れる果物を使うルールがある。泣き葡萄は、人間の世界から染み出る悲痛な気持ちがこもったおどろおどろしいシロモノで、生気に近い美味さがあると聞く。
 毎回味見はするものの、人間の自分だと気持ちが悪くなって、ひとかじりするのが限界。
 それほどに、こちらと、あちらの食べ物は違うのだ。
 ただ、俺が使う小麦粉やらクリームやら(人間界で調達するらしい)は雪子様やトヨ姫様には毒ではない。ちょっとずるい。
「泣き葡萄! そのまま食べるだけよりも格段に美味しいです!」
 にこにこと先ほどと同じ供物――葡萄のブッセをほおばるトヨ姫様は、先ほどの冷徹な姫と同一神(?)物とは思えぬほど、のんびりとした様子だ。彼女を眺めていた俺は、小さなため息を吐く。
「俺の生気って、そんなに美味しいんですか?」
 疑問に対し、トヨ姫様は「ええ」と頷く。
 俺の作った菓子が隙魔界の住人に美味に感じられる原因は、人間の持つ生命エネルギー……生気だ。故に、雪子様が心酔しているのは、お菓子そのものではなく、俺の生気なのである。
「食べてくださるのは、うれしく思ってます。でも……」
 俺は自分の手を見つめ、うつむく。
「俺の手から菓子にしみこむ生気を、あなたがたは食べているようなものですよね? なんか、自分の技術じゃないんで、ずるい感じというか、もっというと、俺の力じゃないんだよなって思うんです。ほら、俺、職人の出来損ないなので」
 はは、と乾いた笑いが出る。
 二十歳で製菓専門学校を卒業後、念願叶って洋菓子店に就職。しかし、シェフパティシエや先輩からの執拗なパワハラを受けて消耗した俺は、就職して二年目の十二月末に自殺で有名な森に来た。隙魔界への入り口とも知らずに。
 するとトヨ姫は「出来損ない?」と小首をかしげた。
「いくら生気が上等でも『器』……茶太郎の場合、お菓子ですね。それが歪では、吹き込まれた生気の力は半減するのですよ」
 彼女の言葉を理解すべく顔を見つめる。うっすら赤みを帯びた彼女の目は優しく、慈愛が溢れている。
 トヨ姫様は、指先に付いたクリームをぺろりと舐め取る。赤い舌が細い指に這う様子が今度はなまめかしくて、体の芯が熱くなる。あわてて不埒な思いを打ち消そうと頭をかぶっていると「茶太郎」と俺の名前を優しく呼んだ。
「ですから、あなたのお菓子はおいしいのです。この意味、おわかりになって?」
「……!」
 トヨ姫様の言葉の真意が、胸を刺す。
 彼女は、俺の生気だけではなく、俺の作った菓子そのものを好いてくれているのだ。
「――ありがとうございます」
 自虐した自分が恥ずかしくて、俺は心からの気持ちと共に頭を下げた。

 部屋に戻った俺は、汚れたコックコートとノートを見る。
「俺はあの日、死んでもよかった」
 トヨ姫様が助けてくれたあのとき。既に半分、喰われていた。
 意識も絶え絶え、最期の遺言を気取った俺は、偶然持っていたお菓子を――店で、唯一自分が担当していた菓子――を彼女にあげた。
 それを食べた彼女が言ったのだ。「あなたを死なすのは惜しい」と。
「襲われるのは怖いけど、食べてくれるんだもんなあ」
 隙魔界の住人が俺の生気にあらがえないように、俺も作ったものを食べてもらえる快感にあらがえない。
 今度はいつ手紙が届くのか。次の期待に胸を膨らませ、俺は洗濯機へコックコートを入れた。

サークル情報

サークル名:またまたご冗談を!
執筆者名:服部匠
URL(Twitter):@tencus

一言アピール
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