主役のお呼び出しをいたします
自由猫の定休日、いつものように昼頃起きると、ナシ子の姿がなかった。
「ナシ子~?」
スウェットの裾から手を入れて、なんとなくかゆい傷痕を指の腹で掻きながらユニットバスを覗く。いない。
ワンルームなので、ほかに姿を隠す場所はない。はて、買い物か、と思いながら起き抜けの水でも飲もうと冷蔵庫の前に立ち、それに気がついた。
『パンはパンでも食べられないパンはにゃ~んだ?』
実家からパクってきたおちゃめなイセエビの、足がバネ式になっていて動くタイプのマグネットにくっつけられた、そんななぞなぞのメモ。ちなみにナシ子はこのマグネットをキモイと言ってさわるのも嫌がっているが、どう考えてもこのなぞなぞを冷蔵庫に貼ったのはナシ子だ。さわれるんかい。
「……フライパン?」
ひとりごち、キッチンの壁に掛けてあるフライパンをちらりと見た。
「あ」
裏返すようにぶら下げたフライパンの底面に、これまたメモが貼ってある。
『百円、ひゃ~食えん!』
メモにはそれしか書いてない。
「は?」
とりあえず、水をコップになみなみそそいで飲み、メモをキッチンに放り出して顔を洗う。タオルで顔を拭きながら、百円、ひゃ~食えん……というダジャレがぐるぐる頭を駆け巡り、思いついた。
「たしかこの辺に……」
ナシ子がどうしても行きたいのだとか言って二回くらい行ったけどちょっとここからは遠くてそれ以来足が遠のいているスーパーのカートが、百円玉を食わせて他カートとの連結を解くタイプだったらしく、ナシ子は百円玉を大事にしまっていたはずだ。
ナシ子が勝手に根城にしている引き出しを引く。大事にしまってある百円玉と、案の定メモ用紙。
『かんはかんでも出たり入ったりするかんはにゃ~んだ?』
え、急に難しくないか……。かん、かん、かん……。出入りする、かん……。
しばらく、メモを握りしめたまま考える。てかナシ子、マジでどこ行ったんだよ。……ん?
「玄関……」
ばたばたと玄関に走る。靴箱の上に、やっぱりメモ用紙。よく見たらこのメモ用紙、自由猫の伝票じゃね? 勝手にこんなくすねて、怒られても俺知らんぞ。
『お着替えは済んだかな? お手紙のチェックをしたら、出発にゃ!』
しばらく立ち尽くす。
「え、家、出るの?」
誰にともなく呟き、仕方ねえな、と着替えに戻る。お手紙のチェックをしたら、ということは、次のメモはきっと郵便受けにでも入っているのだろう。
コートをはおり、家を出る。
すでにちょっとわくわくしている自分がいて、引く。
部屋を出て階段を下り、集合玄関の郵便受けで自室のそれの扉を開ける。てっきり伝票が一枚ちんまりといると思いきや、メモ代わりの伝票には何やら鍵がついていた。
『左にゃ!』
思わず自分の左側を見るが、もちろん何もない。この鍵はどこの鍵だ?
まじまじと、小さなナンバープレートのついた鍵を見つめていると、ふと気づいた。
これ、もしかしてコインロッカーの鍵なのでは?
よく見かける駅などのコインロッカーで荷物を預けたりは俺はほとんどしないが、スーパー銭湯とかに行くと腕につけておくような鍵とよく似てる。
とすると、左、てのは……?
そもそもこの辺でコインロッカーがある場所と言えば……やっぱ駅前か。スマホの検索で見ると、自由猫寄りの駅にコインロッカーがあるようだった。
左ってなんだ……と歩きながらずっと考える。左、左、左……。
「待てよ」
もう一度スマホの地図を開く。やっぱり、間違いない。俺のマンションから、駅の方角は平面上で左、つまり西に位置している。うーん、めっちゃ馬鹿だけどすべて合点がいった。
確信を得て、駅前に向かう。難なくロッカーを見つけて鍵とロッカー番号を照らし合わせ、鍵穴に挿し込んだ。扉を開けると、中にはメモの伝票と、パーティグッズの三角帽子が一つ。
『猫は猫でも人に飼われていない猫はにゃ~んだ?』
そりゃ、野良猫……、………………。
ナシ子が最終的に誘導しようとしている場所が分かり、使途不明な三角帽子をむんずと掴み、どすどすとそこへ向かう。
狭く急な階段を足音を立てて上りきり、一瞬呼吸を整えて、荒々しくドアを開ける。
「まだるっこしいことすん」
「アルくんおめ~!」
すんな、と怒鳴ろうとした声は遮られ、俺の怒りは眼前でいきなり鳴り響いた音に立ち消えた。三つ分の、ポン、ポン、ポンという軽い破裂音。そして俺に巻きつくカラーテープ。
「……え、なに」
「あれ? なんか思ってた反応と違う」
「だから俺ァ言ったろ、ぜってぇ気づかない、にマッカラン賭けるって」
「マスター、読みが鋭い」
きょとんとしているナシ子とハトくんと、したり顔のマスター。
そう、ここは俺の勤めるバー・自由猫。イタリア語で、野良猫は「Gatto Libero」、自由猫と呼ぶのだ。
カラーテープまみれになった俺の手を、ナシ子がちょいちょいと引いて中に引き入れる。ナシ子との追いかけっこを楽しんでいたはずが、最終目的地が定休日の職場で、俺は今カラーテープまみれで。意味が分からない。
「はい、座って、主役くん」
「主役?」
きょとん顔はナシ子の専売特許であるはずが、俺がやってしまう。きょとん顔をしているうちに、手の中にあった三角帽子を頭の上に乗せられてしまう。
カウンターの一席に座らされてぽかんとしていると、いつの間にかカウンターの内側にいたハトくんの手が電気のスイッチに伸びた。もともと明るくはないバーが真っ暗になる。と、どこからともなく明かりが近づいてきた。
「ハッピーバースデートゥーユー」
「ハッピーバースデートゥーユー」
「はっぴばーすでーでぃーあ、アルく~ん!」
近づいてきた明かりは、ケーキに刺さったろうそくで。三人が歌う歌でようやく、俺はこの人たちが何をしようとしているのか気づいた。
……ん?
「……俺今日誕生日じゃなくね?」
俺の誕生日は、夏である。そして今は、年が明けてこの間ようやく鏡開きをしたくらいの、冬である。
ん?
「おまえの誕生日がいつかどうかはどうでもいいんだよ」
「え?」
「なっちゃんさんが、誕生日パーティをしたいと言うので」
「ん?」
ナシ子のほうを見ると、にこにこしながら伝票を一枚取り出した。
『おめでとう! 真の勇者はきみだ!』
…………。
「ネットで、こういうふうにして目的地に呼び出すサプライズの記事見てね、めっちゃやりたくなった!」
「……?」
「アルくんのほんとのお誕生日にやってもよかったけど、待てなかった!」
「いや? 意味分かんね」
そこは待てよ。おとなしく夏まで待ってから俺に仕掛けてこいよ。
と思ったが、まあ、と納得してため息をつく。ナシ子は、待てができない猫だもんなあ……。
「ま、おとなしく誕生日祝われとけ」
「はあ……てか、マスターもハトくんも暇なんスか」
「暇という言い方は失礼だな。俺たちはわざわざなっちゃんさんのために時間を割いたんだ」
「俺は暇だった」
ハトくんの嫌味な感じの答えの直後にマスターがけろっと言う。
「暇じゃなきゃわざわざおまえの偽誕生日なんか祝わんだろ」
「……マスター、それだとハトくんが暇じゃなくても俺の偽誕生日祝う奴みたいになるっスよ」
「ねー! アルくん、ろうそく消しなよ!」
「あーはいはい耳元で叫ぶな!」
ろうそくにふうっと息を吹きかけて一気に消す。とは言え、数字のろうそくが二本立っているだけなので、全消しなど造作もないのだが。
「楽しかったなあ……またやりたいなあ……」
カットしたケーキをつつきながら、ナシ子がうっとりと目を細める。恍惚としているところ悪いが、俺は釘を刺しておく。
「言っとくけど、二度目は何のサプライズにもなんねーからな」
「今回、けっこうサプライズだった?」
「……まあ」
「やったー!」
してやったり顔のナシ子に、けっこう楽しかったな、などとは絶対に言ってやらない。
サークル情報
サークル名:notice me senpai
執筆者名:宮崎笑子
URL(Twitter):@eco_miyasaki
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