届かないチョコレート

 繰り返し夢に出てくる人がいる。名をYという。
 Yは私がつらい時に限って夢に出てくる。つらさに無自覚でもYが夢に出てくると「あ、今の私ヤバいのかも」と振り返ることができた。
 夢に出てきたところでYが私を慰めてくれるわけではない。ただ出現し、他愛もない話をして微笑んでくれるだけだ。それでも私の心は沸き立ち、元気になり、目が覚めると少し寂しくなった。
 Yとは19年前に会ったきりできっともう二度と会えない。多分今も生きているのだろうけど、どこで何をしているのか分からない。ただずっと、幼い時のままのYを夢に見ていた。

 Yは小学3年生の時に転校してきた転校生だった。5・6年の時に再び同じクラスになり、クラスメイトとして過ごした。特別仲が良かったわけではない気もするが、下の名前で呼び合う仲だった。私もYも特設合唱部に入部していたので、長期休暇中も顔を合わせることが多かった。
 当時私はいじめのようなものにあっていた。クラスメイトのKと私が付き合っていると根拠のない話を広められ、事あるごとにからかわれ、私の家の前でKの名前を大声で何度も叫ばれたりしたのだ。やめてと何度も言ってもやめてもらえなかった。当人たちはからかって遊んでいるだけだったのだろうけど、私はひどく思い詰めて毎晩泣き、死ぬことさえ望んでいた。クラスメイトどころか学年全員が敵だと思っていた。敵全員を殺してやりたかったが現実的に難しいことは分かっていた。だったら私をみんなの前で殺せばいい。そして今日こそ教室のベランダから飛び降りてやろう、そう思っていた時に、Yがふと問いかけてきた。
「Kのこと、言われるの嫌?」
 突然の問いかけに、私は少し驚いたが即答した。
「嫌」
 するとYは思いもよらぬ返事をしてきた。
「じゃあ俺、もう言わない」
 それから彼は本当にKについて話さなくなった。それどころか、私をからかい続ける周囲に対してやめるように注意したりしだしたのだ。
 誰も助けてくれないと思ったのに。彼だけは、助けてくれた。
 私は死ぬのをやめた。一人でも味方がいるのなら、生きていける気がしたのだ。
 それから徐々にからかわれることが無くなっていった。私は毎晩泣かずに眠れるようになった。私は彼に感謝した。でも、直接ありがとうとは言えていなかった。
 しばらくしてYに「俺と付き合ってくれ」と告白された。まだクラスメイトが残る放課後の教室でいきなり。私はまた新手のからかいかと思って「は?」と返した。すると彼は冗談だと言っておどけた。あとになって色々な点が線でつながって彼の気持ちに気づくのだけど、だからといって私からアクションすることはなかった。そもそも私には付き合うとかなんだとかは早い気がしたし、彼は冗談だと言ったし、私は下手なことを言って傷つきたくなかった。だからそのままやんわりと友達でいて、中学に上がった。

 中学1年生のときは別のクラスだったが、2・3年生の時はまたYと同じクラスになった。小学校のノリの延長で下の名前で呼び合っていたら、クラスメイトの一人に「お前らそういう関係なの?」と聞かれて気まずくなり、それ以降私は彼を名字で、彼は独特なあだ名で私を呼ぶようになった。妙な距離感ができてしまったが、それでもクラスメイトとしてうまくやっていた。修学旅行でさりげなくYと同じ班になろうとしたが、彼は私のことを好きらしい男子とくっつけたがった。結局私が折れる形になり、あげく修学旅行中にYが他のクラスの女子と手を繋いでいるところを見てしまい、ひどく落ち込んだりもした。
 てっきり私のことが好きなのかと思っていたけれど、もう彼はそうじゃなかったのかもしれない。だったらせめて友達でいたい、と私は思った。それなのに彼は情報の授業の時間にわざわざ隣の席に移動してきて足をくっつけてきたり、休み時間にヒーターの前で温まっている私にくっついてきたりした。なんでそんなことするの?と私は混乱していた。でも、傷つきたくなかったので何もしなかったし言わなかった。

 私の両親が離婚したのもその頃だった。それで私は春から東京に行くことが決まった。東京の高校を受験することについてのやりとりを先生としていたので、その話を聞いたクラスメイトからYのもとにも伝わったようだった。
 私はメンタルが少し不安定になっていて、受験勉強に身が入らなかった。そしてぼんやりとYのことを考えていた。私はすっかりYのことが好きになっていた。だけど告白する勇気なんてなかった。傷つきたくなかったし。でもせめてバレンタインに、チョコレートを渡せたら……。
バレンタイン前日、私はYとYがいつもつるんでいるメンバーの分のチョコレートを作った。友達みんなに渡せば変に思われることもないだろう。そして当日、Y以外の全員には渡せたが、Yにはついに渡せなかった。どうしても他に人がいないときに渡したくて、でもそのタイミングは訪れなくて、渡しそびれてしまった。家に帰ってから泣きながらYの分のチョコレートを食べた。私の恋は終わってしまった。そう思った。
 翌日、周りはチョコレートを貰っているのに自分だけ貰っていないと気付いたYに「なんで俺にはくれないの!?」と言われた。私は咄嗟に「だっていなかったんだもん!」と答えた。そんなの嘘だ。Yは普通にみんなと教室に居たし、渡そうと思えば渡せたのに、私は二人きりになれるチャンスをうかがっていて渡しそびれたのだ。「いたじゃん!」そう言って彼は納得できない様子だった。私はそれ以上答えなかったし、彼もそれ以上言わなかった。結局私はその日も帰ってからちょっと泣いた。翌日でもいいからチョコレートを渡せばよかった。

 それからあっという間に卒業式がやってきた。私はずっと悩んでいた。当時は携帯電話も普及していなかったし、連絡先なんて聞けない。きっともうYとは二度と会うこともないだろう。せめて最後に、あの時の「ありがとう」くらい言いたい。そう思っていたのだけど。
卒業式を終えてから、玄関先の広場で友達と話しながらYを探していた。いた。校門近くの塀に座っている。ちらちらと様子をうかがうけれど、ずっと友達と一緒にいるようだ。今言わなきゃ、今言わなきゃ。そう思ったのに勇気が出ない。足がすくむ。そして私が親友と別れを惜しんでいるうちに、彼の姿はなくなっていた。結局何も言えなかった。今度こそ本当に全てが終わってしまった。

 それからずっと、チョコレートを渡せなかったことと、最後にありがとうが言えなかったことを、ずっと悔やんでいた。Yが夢に出てくるたびに、そのことを思い出した。それはずっと何年も続いていて、いまだに後悔している。でも私は、せめて夢の中で、なんとかYに自分の気持ちを伝えようと奮闘した。私は時々だけど夢を操作することができるので、Yが夢に出てきて、それが夢だと気付いたときに、チョコレートを作って渡そうとしたこともあった。だけど夢の中でYを捕まえようとすると、指の間を砂が通り抜けるように、Yは夢から去っていってしまう。夢だと気付かなければ、ただ懐かしいあの頃のように楽しく話ができるのだけど。

 そして昨日、久しぶりにYの夢を見た。入院している私のところへみんながお見舞いに来てくれて、みんながサプライズでYを呼んでくれたという夢だった。夢の中のYは、少し老けた、年相応の姿だった。いままでずっと幼い頃のYしか夢に出てこなかったから、起きてからびっくりした。あれは私の想像が作り出した姿だ。思い出そうとすると記憶にもやがかかってしまって、Yの顔を鮮明に思い出せない。でもあれは、大人になったYだった。それがあまりにリアルだったので、私は夢だと気付けなかった。
 気がつけば私はいい大人で、もう19年もYのことを夢に見ては嬉しくなったり悲しくなったりしていた。年に一回くらい不意に訪れるYの夢の中で、何度もチョコレートを渡そうとしていた。だけど、いまだにチョコレートは渡せていない。ありがとうも言えていない。

 Yは今どこで、何をしているのか、さっぱり分からない。Facebookで検索してみたこともあったけれど見つからなかった。卒業式の日の夜、もう二度と会えないと思ってわんわん泣いたけど、そのとおり二度と会えていない。あれから私にも彼氏ができて、何人かと付き合ってきたし、いま愛している人もいるけれど、それとは別枠でYのことを思っている。叶わなかった恋と、助けてくれたことに対する尊敬の気持ちとが入り混じった、敬愛の気持ち。私はYが夢に出てくる限り、チョコレートを渡そうとするだろう。それが現実のYに対して一切何の影響も及ぼさないと分かっていても、自己満足だと分かっていても、そうしてしまう。未練がましいにもほどがあるが、私の夢だ。夢の中なら許されたい。
 いつか夢の中でYにチョコレートを渡せたら、その日を境にYは夢に出てきてくれなくなりそうな気がしている。そもそもつらいときにYの夢を見るので、Yの夢を見ないほうが健全で健康的で良いことなのだろうけど、それはそれで寂しい気もする。なんだかんだ夢の中のYは私を支えていてくれた。つらいときばかり夢に現れるのは、あの時助けてもらったことがよほど印象に残っていて、無意識に助けを求めてしまっているのだろう。夢の中で微笑んでくれる彼の姿に私は勇気を貰える。そして幾重にも重なった感謝の気持ちを、私はチョコレートに変えてYに届けたい。例えそれが、現実の彼に届かなくても。

サークル情報

サークル名:天鏡ラボラトリー
執筆者名:小鳥遊みちる
URL(Twitter):@mt_316

一言アピール
新刊として夢日記と夢にまつわるエッセイをまとめた本を出そうと思っています。今回はそちらに収録予定のエッセイを。エッセイの他にSF、ファンタジー、恋愛などについての短い小説も書いています。

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