オオルリと少年
大きなブナの木の枝に止まってうつらうつらとしていたわたしは、聞き慣れない人間の声で目を覚ましました。
声の方を見下ろすと、真新しい白い制服を着た男の子が二人、森の小径を歩いて来ます。大人と呼ぶにはあまりにもあどけない彼らの服装に、わたしは見覚えがありました。南で過ごす季節に見た、大きくて灰色の船。その船に乗ったひとたちが着ていたものと同じだったのです。
きっと何かの祝い事があったのでしょう。ひとつの汚れもないぴかぴかの制服を身につけた二人は、それぞれの胸にきれいな赤い花の飾りを付けていました。
「この森で、よく遊んだね」
右を歩く少年の言葉に、もう一人が「うん」と答えました。二人の声がちっとも楽しそうじゃないのが、わたしは少し気にかかりました。
「また帰って来られるかな」
右の子の問いかけに、左の子が優しい声で「来られるさ」と答えます。それを聞いた彼はしばらく迷うような素振りで何かを考えていましたが、やがて思い切ったように口を開きました。
「……もしも帰ってこられなかったら、神さまになれるっていう話、本当なのかな」
人間が、神さまになれる? 鳥のわたしには、聞いたこともないような奇妙な話です。おそらく、彼らも疑っているのでしょう。重たい沈黙が二人を包みました。
「もし帰って来られなかったとしても、ぼくは悲しくないよ」
自らの問いに含まれた暗く沈んだ気分をかき消すように、右の子は努めて明るい調子で続けます。
「神さまになったら、みんながぼくたちを尊敬して永遠に愛してくれる。先生方はそうおっしゃっていたのだから」
もう一人の少年はそれを聞いてしばらく黙っていましたが、やがて「きっと帰って来られるさ」と、先ほどよりもゆっくりと、力をこめて答えました。そしてふと立ち止まると、わたしのいるブナの木を見上げました。
そのときです。少年の目がわたしの姿をとらえました。そのとたん、彼の瞳にあった澄んだ光は消え、その代わりに、温かく柔らかな色が浮かびました。
「ほら、見て。あそこにかわいいオオルリが止まって、ぼくらを見ているよ」
隣に立つ少年に告げると、彼は急いでポケットから小さなノートを取り出して、真っ白な紙の上にペンを走らせはじめました。
人間と目が合うなんて、生まれて初めての経験です。人間は大きくて恐ろしい生き物。いつもならすぐに逃げだすところですが、紙とわたしの間を行き来する少年の優しいまなざしに引き付けられてしまい、わたしは動くことも忘れて留まってしまいました。
二人は顔を寄せ合ってノートを見ています。
「すごくよく描けているよ」
右側に立つ少年は、うなるように言いました。
「この戦争が終わったら、きみはきっと画家になるべきだ」
絵を描いた少年はノートから紙を一枚切り取って丁寧に折りたたむと、それをブナの木に空いた小さな洞に突っ込みました。
「お願いがあるんだ。きみがここに戻ってくることがあったら、この絵をぼくの妹に渡してあげてくれないか。あの子が寂しがらないように」
頼まれたほうの少年は、顔を曇らせました。
「さっき、きっと戻ってくるって言ったばかりじゃないか」
「後生だから、頼むね」
私はそのとき、その少年たちに声を掛けられるものなら掛けたかった。どこへも行ってはいけないと。だって、知っていたのです。南の国では今、彼らと同じ服を着た大勢の人々が大変な目に遭っていることを。
人間のことはよくわかりません。あの人たちの乗った船が、なぜあんなにむごい最期を迎えなければならなかったのか、わかりません。私にはあのような悲しい出来事につける理由など、見つけることができません。
あの森で出会った少年たちがその後どうなったのか、わたしはとうとう知ることができませんでした。戦いは終わり、たくさんの船が沈むことはなくなりました。そして人々の表情に活気と明るさが戻ったころ、新しい春がやってきました。
私が南の国からふたたびこの森へ戻ってきてみると、あのブナの木の下に見慣れないものができていました。
それは石像でした。制服姿の男の子の像の周りは、円形の小さな花壇になっていました。空を見つめる少年像の手のひらは、天に向けて高く差し出されています。それはわたしが羽を休めるのにちょうどいい形をしていました。
像に見とれていると、人の気配がしました。人間の親子がこちらに向かって歩いて来ます。お母さんは大きな花束を、女の子は小さな野の花を持っています。二人はそれぞれの花を像の前に捧げると、静かに祈りはじめました。
わたしはふと、あの少年が描いた絵のことを思い出しました。たしかあの少年には妹がいたはずなのです。
親子はまだ目を閉じて祈りを捧げています。二人に見つからないようにそっと移動すると、わたしはあの小さな洞のふちに降り立って、中をのぞき込みました。
果たして、それはあの日の姿そのままに、そこに残っていました。それをくちばしで摘まむと、わたしは祈っている親子の傍に飛んで行って、ぽとりと落としました。
紙は狙った通り、二人の目の前に落ちました。お母さんよりも先に目を開けた女の子が、小さく折りたたまれた紙に気がつきました。彼女は不思議そうな顔で紙を拾いましたが、中を開いたとたん、大きく目を見開きました。
「お母さん、お母さん」
女の子は大きな声でお母さんを呼ぶと、その紙を差し出しました。
「見て、これ。お兄ちゃんの絵がここに」
「本当だ。これは確かにお兄ちゃんが描いたものだね。おまえが持ってきたのかい?」
「今、目を開けたら、目の前にあったんだよ」
女の子は目に涙をいっぱいためて、その絵をぎゅっと抱きしめました。
「お兄ちゃんに会いたい。もっとお兄ちゃんの描いた絵を見たかった。見たかったよ」
女の子は、とうとう泣き出してしまいました。お母さんも目に涙をためて、泣きじゃくる女の子の体を優しく抱きしめます。
「そんな風に言ってはだめだよ。きっとお兄ちゃんは神さまになって、この絵を私たちに届けてくださったんだ。そうに違いないよ」
泣いている女の子は、お母さんの言葉に大きく首を振ります。
「ううん。わたしのお兄ちゃんは、すてきな絵を描く人だった。神様なんかじゃない」
困り果てたお母さんは娘の背を撫でながら辺りを見回していましたが、ふと目を上げて、ブナの枝に止まっているわたしの姿を見つけました。
「ほら、あそこを見てごらん。お兄ちゃんの絵にそっくりなオオルリがこっちを見ているよ」
女の子は顔を上げて、その涙に濡れた目を私に向けました。それを見たわたしの心に、あの少年のまなざしがありありとよみがえりました。
二人に教えてあげたかった。あの日見た彼の瞳は、神さまをかたどったどんな立派な像よりも、ずっと美しくて清らかだっことを。
わたしは人間の言葉がしゃべれません。だから二人に声を掛けるかわりに、少年像の手のひらの上に舞い降りました。そして女の子が人をまったく怖がらないわたしにびっくりして泣き止んだことを確かめると、羽を広げて、ふたたび大空へと飛び立ちました。
サークル情報
サークル名:a piacere
執筆者名:西乃まりも
URL(Twitter):@marimobomb
一言アピール
鳥目線、童話テイストのお話ですが、ほのぼのはしていないです。