娘から父へ
風が吹いていた。
何もかもを吹き飛ばして、息も止まりそうなほど。
「明日まで連れてきちまいそうだな」
その力強い拳で祈りを捧げながら、男は呟く。
草むらに横たわった身体は変色していた。上半身は内出血で赤紫に腫れ、右足は破れたズボンから覗いている。顔の右半分は鼻からの血で染まっていた。
「祈れ。明日も生き残るべく、その拳で」
「ただヒタスラニ」
男の隣で、羽のない天使が転がった。
こちらも同様に内出血で腫れた上半身、歪んだ顔になっていた。
「あぁ、こんなに殴り合ったのは久しぶりだ。人間相手だと、どうしても手加減しちまう」
右手を握っては開き、握っては開き、男は言った。
止まり始めた鼻血をすすり、むせかえる。
男の額を、別の右手がはたいた。それを合図に男がケタケタと笑い始める。
「なぁケルビン、俺がおかしいのか? あの男が笑っている理由が分からない」
毛むくじゃらの手で草むらに寝転がる二人を指し、フードに尋ねた。
「えぇ、私にも分かりません。しかし、セルシウスは分かるようですね」
風に何度もフードを払われながらも、何度も被り直し目を細める。その視線の先には、髪を風の流れに任せ、飛び散る返り血すら拭わず恍惚と二人を見つめる女がいた。
高い位置で結ばれた髪、その下には爛々と光る眼があった。
口角を上げ、座っているのに今すぐにでも飛び出してしまいそうな疼きを見せている。
「楽しいんだ、本当に」
毛むくじゃらとフードは顔を見合わせて肩を揺らした。
殴打を繰り返した拳が天高く突き上げられた。
その腕も血管が浮き上がり、力強かった。
「我が女神にこの戦いを捧げる!」
男が吠えた。
そして突き上げた腕を横から払い落とされた。
「おい神官、手を抜くな」
自らの歪んだ鼻の位置を戻しながら、神官の鼻先も摘まんだ。神官は呻きながら鼻血をこぼした。
「いいや問題ない。エクサは今、魔王だから問題ない」
「肩書だけ魔王だな。というか、勇者一行を返り討ちにするしか仕事がない肩書というのも」
元・魔王だった毛むくじゃらは耳を立てた。
その様子を見て、フードは苦笑する。現・魔王には悪気がないのだ、ただ元・魔王が居ることをすっかりと忘れているだけ。それが面白い。
「たまに負けたっていいだぞ?」
男は跳ね起き、両手を腰に当てた。
そして親指を左手の親指を自分へ向ける。
エクサがヴァスティスを引きずり倒し背中から首を締め上げている所へ、羽付き帽子を被った者が現れた。
「すいませーん。テトラさんでしょうか?」
羽付き帽子は毛むくじゃらに声を掛けた。
テトラは一瞬、毛を逆立てたが何度も息を吸い、吐き出した。
風に揺れる羽付き帽子から視線を外し、小さく頷いた。
「あぁ俺がテトラだ」
「テルルお嬢さんの『お父さん』テトラさんで合ってます?」
帽子の端をちょいっと持ち上げ、小さな封筒を裏表に返しながら、羽付き帽子は再度尋ねた。
羽付き帽子の言葉に、セルシウスは長い髪を翻して立ち上がる。
ケルビンさえもフードを自ら払ってテトラに近寄った。
毛むくじゃらの身体は、毛が膨らみ、テトラの大きな体を更に大きく見せた。その毛は風にすら逆らうように揺れていた。
「そうだ、俺だ! 俺がテルルの父親だ!」
テトラは目から涙を零し、目を閉じては開き毛を濡らした。
飛び上がりそうな羽付き帽子を押さえ、小さな封筒を見せた。
「テルルさんから預かってきたお手紙です」
震える手で、テトラは羽付き帽子から小さな封筒を受け取った。あまりにも手が震えて、小さな封筒など簡単に千切れてしまいそうだった。
テトラは大事そうに手紙を顔へ近づけた。わずかに、娘の花の香りがした。
「良かったじゃないか、テトラ!」
セルシウスがテトラの背中を引っ叩いた。毛むくじゃらの体が大きく揺れる。
収まりかけていた毛の膨らみが、またブワリと増したようだ。
「そちらがセルシウスさん? こちらがケルビンさん?」
羽付き帽子はテトラの周りに群がったセルシウスとケルビンへ顔を振る。セルシウス、ケルビンそしてテトラは顔を見合わせた。
その三人へ突き出されたのが「テルルさんから預かった手紙です」だった。
テトラに渡された封筒と同じものがセルシウスとケルビンにも手渡された。テトラの手にあるものと見比べる。同じ筆跡に見える。
「あのー、そちらに伺ってもイイでしょうかー?」
羽付き帽子はヴァスティスとエクサにも声を掛けた。
「構わん、そっちへ行く」
エクサは立ち上がり、自分の頬を張った。
下ろした腕には痣もなく、血色の良い、しなやかな、男のそれだった。
顔は歪みもなく、少し日に焼けた肌色だ。
「エクサさんでしょうか?」
「そうだ」
エクサは上着に袖を通し、風に揺れる裾を結んだ。
「テルルさんから預かった手紙です」
羽付き帽子を押さえながら、小さな封筒を突き出す。受け取ると、わずかに夏草のような匂いがした。が、背後から乗せられた腕、血と汗の臭いで一瞬にして掻き消えた。
「俺には?」
ヴァスティスは、にこやかに歯を見せた。
「ありますよ。ヴァスティスさんでしょう?」
羽付き帽子は麻紐でまとめられた手紙の束を突き出した。
「マジか」
上ずった声で、ヴァスティスは後ずさった。その首へ腕を回し、エクサがただその横顔を見つめる。
沈黙の圧力の中、ヴァスティスは手紙の束を受け取った。
大きな毛むくじゃらが、小さく小さく丸くなっていた。
娘の手紙が他の者への届いたのが少なからず影響している。
「どうなったんだー」
ヴァスティスがおもむろに手紙の束から一つを抜き出し、テルルからと思われる封筒を開けようとした。セルシウスの手がそれを抑えた。
「ヴァス、それは、やっちゃダメだ」
静かにエクサも止めた。
口を開けたまま、目を左右へ泳がせ、ヴァスティスは止まった。そのまま乾いた笑い声を吐き出した。
風が吹いていた。
娘のテルルが、テトラの手をすり抜けていった日。風も分からぬ堅牢な所だった。降りかかった地位と名誉で固められた、酷く冷たい場所だった。
テルルだけが花だった。
それを突然、花を根から攫ってしまうように、連れて行ってしまった。
今思い出しても身を焼くような怒りがこみ上げてくる。ただ、この小さな封筒は自身の大きな体を包み込むようだった。
震えが止まらない。破らぬよう必死で封筒をこじ開けると、テルルの、花の香りが優しく顔を包んでくれた。
香りは目から零れる涙を拭い、あの細い腕が優しく抱き着いてくるようだ。
むせび泣くテトラの背中を、エクサは叩いた。
「諦めろ、お前の娘は今幸せの絶頂期なんだ。それに、孫の顔も見たいだろう」
鼻をすすり、頭を振った。
「当り前だ。娘の晴れ姿を見ずにいれるか」
続けて、荷物を担いだセルシウスが問いかける
「次の目的地は?」
「決まっていますよね?」
フードを被り直し、その奥から挑戦的な視線をテトラへ投げかける。
鼻息荒く、肩ひじを張ってのけ反る。
「結婚式へ殴り込みだ! まだ許しておらんからな」
テトラはエクサの背中を思いきり叩いた。
踏みしめる大地は広く、空はどこまでも高く陽光が風に輝いていた。
サークル情報
サークル名:まぜこねこ
執筆者名:唯 彰
URL(Twitter):@akira_yui
一言アピール
TRPG風ファンタジーなどを書き殴っている。
HPで公開している作品を加筆修正して冊子にするのがマイブーム。
いきなりの殴り合いから涙するお父さん……。
娘さんは幸せだよ〜、ってお手紙を出したんでしょうね。
殴り込みは頼むからやめてあげてください、お父さん汗
ワイルドな展開で楽しかったです!