死と手紙の情景

 協和音のあのとテァシンフラ

 言葉の練習をするのに、手紙を書くように言われました。まず自分の言葉で書いたものを、後で訳せと言うのです。
 手紙を書くなんて、これまで考えたこともなかったので、何を書いたものかわかりません。文字は習ったけれど、里にいた時は、紙もペンも大人のものでした。だって皆、走って行けば会える距離にいたんですもの。初めての手紙を、文章の練習のために書くなんて、もったいないようだわ。でも、私が誰かに宛ててものを書くとしたら、最初の宛先はあなたなのよ。それは秋にハシバミが実るように確かです。
 なんて長い間、あなたに会っていないことでしょう。以前のようにあなたは私の話しを聞いてくれるでしょうか。いつも優しく先を促してくれたあなたの声が、驚いたり笑ったり、ころころ表情の変わるあなたの目が懐かしい。二人で笑い転げていると、日の光も跳ねて踊るようでした。もうあんな風にただお喋りを楽しむことはできないのだと思うと……。
 悲しいことを考えるのはやめましょう。私はこの文章を訳さないといけないのですから。でも、全ての文を訳したかどうかは私以外の誰にもわからないのだから、少しくらいは構わないわね。
 私は今、アルキンという人のお世話になっています。灰色の石を積んで作ったとても広いお屋敷なの。里長の家よりもずっと大きいのに、そこに私を入れてたった八人で住んでいるのです。アルキンはフォイグ叔父さんくらいの年だと思いますが、家族と離れて暮らしていて、結婚もしていないので、お部屋は余り放題です。ふしぎなことは他にもたくさんあるけれど、私にはこれが一番ふしぎだわ。もしここにミンミさんがいたら、あっという間にお嫁さんと子供を見つけて来たでしょうね。
 アルキンは、ミンミさんなら「ちょっと活きが悪い」と言うでしょうが、健康そうだし、カンシャク持ちでも、ケチでも、酷いぶおとこというわけでもないのよ。彼はクルミのような顔をしています。色もぴったりだし、クルミという音は彼の名前とよく合うので、思いついたときは嬉しかったわ。
 彼の名前はきっとクルミという意味に違いないと思ったのだけれど、違うのだそうです。《限られた人》の考えた言葉は音と意味が合わないので、奇妙な感じがするし、覚えるのが大変なの。この前は、言葉同士を足したり引いたりしてはいけないと言われました。たとえば、「快晴シター」に「モル」が少しかかっているなら、「晴れシドール」になったりはしないのよ。つまり、それだけ沢山の単語が必要だということですから、良い覚え方があるならば教えて欲しいわ。こういう時に、あなたほど頼りになる人はいなかったのに。
 悲しくてこれ以上は書けません。どんなに書いても、あなたが返事をくれることはないのだもの。行くてを失った言葉を連ねてできるのはウロばかりです。アルキンには別の課題を考えてもらいましょう。
 あなたの火に、あなたの灰から生えただろうライラックの花に祈ります。私はあなたが何になったのか知らないけれど、あなたが一番好きだったあの花を、あなたの今の姿と思います。

 遠い場所にて 協和音のこのとコルシンフラより

 手紙は黒い燃えかすになってはらはらと土の上に落ちていった。火はひとすじの煙をあげながら粛々と育っていく。橙色のすきとおった光が、手紙をつまみあげている指先をなめる。脂の抜けた皺っぽい指は、熱さに震えながらしばし耐えたが、とうとうもだえるようにそれを手放した。涙が老人の頬を濡らしていた。
 その手紙は妻の故郷の文字で書かれていた。《賜福者》を自称し、常人には解らない音と光の中に住んだ一族の最後の一人となってしまった少女が、亡き同胞に宛てた手紙である。
 手紙の類は、肉体とともに焼き尽くして、灰を庭のバラの根元に撒いてくれという遺言だった。死者の尊厳を考えれば、あたら私信を覗くべきではない。それはわかっていたれど、封筒にも入れられていない書付の宛名を見たとたん、彼は自分を抑えることができなくなった。「協和音のあのと」とは、《賜福者》が使うごく親しい人への呼びかけだ。しばしば自分たちを音になぞらえる《賜福者》は、いつまでも共にいたいと思いあう心地よい相手をこのように言う。しかも読んでみれば、ほかならぬ彼のことも書かれていたので、どうしても手放しがたくなってしまったのだった。
 しかし三日前、十二歳の、この手紙を書いたころの姿の妻が、夢の中で彼に向って手を差し伸べた。彼は自分を迎えに来たのかと思って戦慄したが、手を取ろうとすると彼女は首を横に振り、紙に文字を書くような動作をして、消えた。
 どこまでいっても想像の外に住んでいる人だった。彼が死んだ時、裁きの時を待つ死者の列に彼女がいるのか、彼にはまったく自信がない。けれど、彼女が望むならば何でもしてあげようと誓った日を忘れたわけではなかった。
 手紙はやがて燃え尽きた。彼が生涯の趣味のひとつとして丹精したバラの根元に。妻の灰と同じように、彼はその上に土をかけ、涙をそそいだ。
 その晩の夢は、匂やかな白いバラだった。

サークル情報

サークル名:石亀文庫
執筆者名:青木白花
URL(Twitter):@merely_0

一言アピール
あいまいな異世界ファンタジーを書きます。好物は挫折する主人公、人外、昔話と魔法です。

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