渡貫とたつき
たたさたったたぱたりたたたわたかたらたたん たきたょうたたたいたくた
縁側に座った渡貫は、湯呑みの茶とともにため息を飲み下した。隣に置いた茶請け――本日は草餅――には手をつけず、再び文面と向き合う。
今しがた郵便配達人から受け取った封書の中身は、「た」だらけの便箋だった。隅に小さく猫だか熊だか不明の落書き付きだ。
晴れ渡った空から暖かな陽光が膝に落ちてくる。雀が鳴いて羽音を立てた。穏やかな風が生垣をさわさわと撫でてゆく。
渡貫は眼鏡を外すと、着物の袖でレンズを拭ってかけなおした。ちらりと視界の端に封筒が映る。表書きは、たどたどしい筆づかいで「わたぬきさま」とだけ。――弟子の仕業だ。
渡貫は幾つかの副業を持つ。
独り身で、住まいは親族から「管理」の名目で無料同然に借り受けた一軒家。本職である大衆小説の原稿料で暮らせなくもないが、近隣農家の手伝いや知人からの頼まれごとなど、気づけば稼ぎ口が増えていた。
新聞社への寄稿もその一つ。小説……ではなく、なぞなぞや絵解き、暗号解読など他愛ない手なぐさみ程度の謎解きだが、なかなかの好評で掲載が続いている。
そして最近。この副業に弟子ができた。
さて、件の封書である。単純な暗号文だ。隅の落書きは猫でも熊でもなく、狸。つまり「た抜き」で読む。よって正しくは。
「……〝さっぱりわからん 今日行く〟だな」
「あひゃり」
もごもごと口いっぱいに頬張ったままの声が返る。いつの間にやら、湯呑みと茶請けを挟んで先程の郵便配達人が――辛うじて帽子だけを被った、制服ではなく膝丈の着物を着た子どもが腰かけていた。草餅を手に、地面に届かない足をぷらぷらと揺らしている。
「こら、たつき。食べながら喋るなと言っただろう」
途端に、ぽんっと帽子が消え、木の葉が一枚舞い落ちていく。柔らかそうな茶色の髪が現れ、くりくりと大きな目が渡貫を見上げた。
「このもち、うまいなぁ、せんせ」
そう言って子どもは、尻から生えるふかふかした狸の尾をひと振りする。
きっかけは、渡貫が寄稿用の謎解きを幾つか作っていた時のこと。気づけば尾の生えた子どもが縁側に寝そべり、一心不乱に絵解きの原稿を見ていた。しばらくしてようやく顔を上げた子どもは、渡貫を見て物怖じもせずに言ってのけた。
『おもしろかった』
それ以来、渡貫は、一向に尻尾を隠そうとしない子どもを「たつき」と呼んで文字を教え、訪ねてくるたびに新しい謎解きを与えている。
「それで、ちゃんと考えたのか?」
「うん」
たつきは指先についた餡を舐め、懐から折りたたんだ紙を取り出して広げる。そのまま、答えを訊くでもなく合わせるでもなく、真剣な面持ちで見つめはじめた。
いつもこうだ。たつきは三日とあけず「今から行く」という報せとともに現れ、渡貫のそばで謎を解き、新しいものをねだって持ち帰る。そしてまた同じようにやって来る。
渡貫は、からっぽになった茶請けの器の横でひたすら謎に挑む子どもを眺めた。
そうやって行き来する姿はまるで。
「――まったく。便りみたいなやつだな、お前は」
たつきがきょとんとして渡貫を振り仰ぐ。すぐに「わかった、せんせ。それって」と満面を輝かせた。
「それって、来るとうれしいってこと!?」
「……」
渡貫は無言で手を伸ばし、わしゃわしゃとたつきの髪を撫で乱す。楽しげな笑い声が澄んだ空に響いた。
サークル情報
サークル名:ひろあんこう
執筆者名:市瀬まち
URL(Twitter):@ichimachi_16_5
一言アピール
追伸:のしかっですか?(たつき より)