真夜中のラブレター

おかえりなさい、お仕事お疲れさま。
冷蔵庫にミネストローネととりももの焼いたやつがあるからあっためて食べてください。
ご飯とパンが冷凍庫にあるよ。
遅くなりそうだから先に寝てていいからね。
俺もがんばるね。
いつもありがとう。

 机に残されたメモの端には、自画像らしき得意げな顔のイラストと猫のらくがき。
 ――これじゃ捨てられないな、また。
 浅くため息を吐き出しながら、ひとまずは、と鞄から取り出した手帳のポケットに丁寧に置き手紙を挟みこむ。ちゃんと後で忘れないようにしまっておかないと、何かの拍子に落としたりしてしまわないように。

 連絡手段なんて、これだけ文明の発達したいまならいくらだって在るはずなのに――行き違いになる時、言いそびれたことがあった時、ほんのちいさな諍いでどことなく心に歪な棘が芽生えた時――いつも忍は、こんなふうに置き手紙を残してくれる。
 達筆とは言えないけれど、どことなくやわらかな手触りを残した『らしい』としか言えない筆致に、お決まりのように添えられた得意げな顔をした猫のらくがき。
 そこにいない、そのはずなのに――確かなぬくもりと気配を帯びたそれは、いつでも目にするたびに心の端をくしゃくしゃに掴んで離さずにいてくれる。
 共同生活の礎となってくれるものはいつだって、弛まない忍耐と歩み寄り、その積み重ねだ。
 どれだけ賢明な努力を積み重ねて、こうして共にいられる日々を守り続けてくれているのだろうか。
 こんなふうに余すことなく注がれるあたたかな想いに、ほんとうに相応しいだけのものが自分には返せているのだろうか。不甲斐なさと共に、ふつふつと言葉では到底形作れない感情がいくつも立ち昇る。

 ちゃんと伝えなくちゃ、それでも。まだ間に合うはずだから。
「いただきます」
 ぱちん、と音を立てて手を合わせ、ひとりだけの食卓に着く。レンジで温めた『いつもの味』を口にすれば、たちまちに安堵としか呼べない思いが静かに溢れ落ちる。
 明日になればまた会える。だからあと、もう少しだけ。

(明日はいっしょに食べよう、な)
 
 呪文のように囁く言葉は、たちまちに心を静かに温めてくれる。

 カーテンの隙間から洩れる穏やかな光はやわらかに瞼の上をよぎり、朝の訪れを静かに告げてくれる。
 僅かに軋んだ身体を身じろぎさせながら、重く塞がった瞼をゆっくりと押し開けば、視界にはすっかり見慣れた自室の風景が広がる。
 何時だろう、いまは。枕もとのスマートフォンを手繰り寄せて確かめるよりも先に、いちばんすぐそばに寄り添いながらあたたかな温もりを預けてくれる相手の姿をじいっと見つめる。
 くしゃくしゃになった髪、かすかに色づいたうすい瞼、音も立てずに静かに震える睫毛、規則正しく零れ落ちる、すっかり耳に慣れた寝息の音。
 ――夢みたいだけれど、夢なんかじゃない。
 きのうの晩、眠りにつく頃にはまだ空っぽのままだった隣のベッドでは、いとおしい空白を埋めてくれるたったひとりのかけがえのない相手が穏やかに眠りについている。

 起こさないように、起こさないように。
 無防備に投げ出された掌に自らのそれをそっと重ね合わせれば、ほんのりとあたたかな指先は、応えるようにやわらかに、それを握り返してくれる。
「……しのぶ、」
 喉の奥だけでやわらかにささやくようにしながら、赤みがかったやわらかな髪を指先でそうっと掬うようになぞりあげる。
 そばにいてくれてありがとう。大切にしてくれてありがとう。この毎日の積み重ねがあたりまえなんかじゃないことくらい、ちゃんと知っているから。
 捕らえるようにじいっとまなざしを注いでいれば、花びらみたいに淡く色づいた瞼はうんとゆるやかに、音もたてずに震える。
「あま、ね……」
 くぐもった無防備な声に呼び掛けられれば、心ごと包まれたような心地よさがみるみるうちに広がる。
「あまね、おはよ。おかえり」
 ぬくもりを帯びた指先は、すっかり手慣れたやわらかな手つきでくしゃくしゃになった髪をやさしくなぞり上げてくれる。
「おはよう。ごめん、起こした? まだ眠かったよな」
「……いいよ、へいき。でももうちょっと寝る、いい?」
「いいに決まってんだろ」
 呆れたように答えれば、いつもそうするように、子どもみたいな無邪気さでぎゅうぎゅう抱きつかれるのにただ身を任せる。
「朝めし何にする?」
「目玉焼きご飯」
「ベーコンつける? かりかりに焼いたの」
「うん、ありがと」
 満足げに笑いかける顔をみれば、みるみるうちに、乾いたスポンジが水を吸い上げるかのようにあたたかな心が音も立てずに流れ込んでいくのを感じる。
「あまねさ、」
 顔いっぱいのくしゃくしゃな笑顔で笑いかけるようにしながら、無防備な言葉はこぼれ落ちる。
「きのう手紙くれたじゃん。ありがとう。うち帰ってきて、周におかえりって言えなくて寂しかったから……すごい嬉しかった。明日起きたらすぐ言おって、ありがとうって。ありがとう、周」
「……なんでもないだろ、あのくらい」
「ちがうよ、ぜんぜん。そんなことないから。ありがとう」
 まっすぐに届けられるなんのてらいもない言葉は、心の隅々までをおだやかに照らし出すかのようなとっておきの喜びを届けてくれる。
「……ありがと」
「うん、」
 やわらかに答えながら、宥めるようにとんとん、と背中をなぞりあげる。
「ごめんあまね、もうちょっと――」
「謝んなくていいから、な」
 おやすみ、忍。
 耳元に唇を寄せるようにしてそうっと囁けば、まるで呪文かなにかを耳にしたかのような静けさで震えた瞼はそうっと重ね合わせられる。

 あたらしい一日がはじまるまでは、あともうすこし――まるで猶予のように与えられたこんな時間だって、すこしも悪くはない。
 そばにいてくれてありがとう。こんなにもあたりまえみたいに心ごと預けてくれてありがとう。会えなかった昨日のぶんの「おかえり」を手渡してくれてありがとう。
 すこしも書ききれなかった思いのぜんぶをちゃんと伝えるから、だから――ゆっくりと深く息を吐きながら、まどろみに落ちていく安らかな姿をぼうっと眺める。

忍へ
おかえり、遅くまでお疲れさま。
悪いけど先に寝ておくので戸締りお願いします。
晩飯も用意しといてくれてありがとう、おいしかったです。
明日の朝飯は好きなもの作るからなんでも言ってください。
疲れてるだろうけど、無理しないように。
いつもありがとう。

サークル情報

サークル名:午前三時の音楽
執筆者名:高梨來
URL(Twitter):@raixxx_3am

一言アピール
新作の販促になるお話を書こうと思っていたはずなのにどうしてこうなった。「ほどけない体温」の恋人たちのお話でした。/様々な愛情と優しさの在り方についてのお話を書いています。新刊はお喋りをする黒い犬との告解室でのやり取りをつづるアンソロジーと、その「物語」が生まれるまでのお話です。

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