母からお母さんへの手紙

 それを見付けたのは、入院していた母の荷物をまとめていた時だった。
 眼鏡やイヤホンといった、病床で必要な細々とした物を入れていた引き出しに、それはあった。
 病院に併設されている売店で買ってきたのだろう。白いシンプルな便箋と封筒。
 何故こんな物が? と思ったが、その答えは日々の記録をつけていた手帳に挟まれていた。
 『お母さんへ』――ただそれだけ書かれた封筒は、封がされていなかった。いつ書いたのかは分からないが、筆跡は確かに母のものだから、これは自分のおばあちゃんに宛てたものという事になる。
 おばあちゃんは自分の産まれる前に亡くなっている。つまりこれは死者へあてた便り。
 封が開いているのは読んでも良いということだろう……そう勝手に肯定にし、手紙を広げてみた。

 ―――――

  お母さんへ

 お久し振りです。いまこの手紙を、病院のベッドの上で書いています。
 こうして入院生活をしていると、学校帰りに先生の許可を貰って、田んぼのあぜ道を歩いてお母さんのお見舞いに行った在りし日の光景が蘇ります。
 だからでしょうか。無性にお母さんに手紙が書きたくなったのは。
 記憶というのは本人に大変都合良く残っていて、お母さんとの良い思い出が沢山浮かぶ中、どうしてもこの二つは先に謝らないといけません。

①ずっと通っていたピアノを辞めてしまってごめんなさい!
 あれほど「続けてね」と言われていたピアノ。引っ越したマンションにピアノが入らず、結局そのまま辞めてしまいまって、本当にごめんなさい。
 でも習わせて貰ったお陰で、音楽の成績はいつも良かったし、合唱コンクールの指揮者とかもやりました。鼓笛隊で小太鼓をやってパレードに参加したのも良い思い出です。
 でも今思うと、お母さんに褒めて貰いたくてやっていたのかなって。
 いやこれは言い訳ですね。好きならもっと必至になって続けていた筈です。
 当時あの値段のピアノを買ってくれて、決して安くはない月謝を払ってくれていたのに、本当に勿体ないですよね。ごめんなさい。
 お母さんの願っていた形ではないかも知れませんが、音楽は私の人生を豊かにしてくれました。それだけは間違いありません。だから決して無駄ではなかったと付け加えさせてください。
 発表会用に必至に練習したトルコ行進曲は、辞めてから数年経っても暗譜で弾けた、私の自信曲です。

②中学の見学旅行に行く際に買ってくれたカメラを、その日に失くしてしまってごめんなさい!
 うちにはカメラがずーっと無くて、だからこそ「いい機会だから」と買ってくれたのに、数時間使って置き忘れてきてしまって、本当にごめんなさい。
 持ち慣れないから、手元になくてもすぐに気付かなくて……首から下げておけば良かったと今でも後悔しています。結局残ったのは撮り終わったフィルム一本だけ。
 予算より高いカメラだというのは、手にしてすぐに分かりました。ましてやお母さんは入院中だったから、きっと相当無理をして買ったんだろうなってことも。
 なのにそれをうっかり置き忘れるとか、本当に有り得ないですよね。
 あの時、激しく叱責はされなかったけど、言っても仕方ないという諦めと、それでも押さえ切れない怒りと腹立たしさと、でもそれを子供にぶつけるのも……という複雑な表情をしていたお母さんを思い出すと、今でも本当に申し訳なくて心が痛みます。
 もし私だったら同じ対応は出来ないです。きっと怒りまくって「もう何も買ってあげない!」とか言ってしまうと思います。だからこそ強烈に心に残っているのでしょう。あの時の、必要以上に何も言わないで、「これからは気を付けてね」と許してくれた姿が。
 私の記憶では、お母さんに土下座したのはこれが最初で最後だし、あれが人生最初の土下座でした。社会人になってからの土下座は処世術みたいな部分もあるけど、この土下座は本当に心から申し訳なくて頭を下げました。
 あの時カメラを失くさなかったら、お母さんの残り三ヶ月を写真に残せたかもと考えると、尚更に切なくて。
 家族の日常や思い出の記録が無いというのは寂しいものです。もっとお母さんの色んな表情や笑顔、隣で笑っている自分や弟の写真が欲しかったな。

 お母さんのことを思い出すと、貧乏ながらに楽しく生活していた日々が鮮明に蘇ります。
 少ない家計をやりくりしておやつに作ってくれた、牛乳寒天や揚げドーナツ。塩辛い味噌汁や味付けの濃い煮物、焦げた目玉焼きや焼きそば。餃子の皮包みや鰹節削りを手伝ったこと、小爆発したガス炊飯釜など。
 時々あの味が恋しくなって、もっと料理を教わっておけば良かったなと思うけれど、元々目分量で作っていて味にばらつきがあったから再現は難しいかな。今なら餃子やホットケーキは私の方が上手く焼ける自信があります。
 手芸が得意で、かなり本格的なクラフトフラワーや紙粘土の人形、籐で編んだ篭や三段棚など、家の中はお母さんの作品だらけでしたね。
 引っ越しを重ねて、気付いたら何一つ残っていないのが、本当に惜しいです。
 あまり家族でレジャーに行った記憶はないけれど、トランプやバトミントンなどでいつも遊んでくれたし、どこもそんなものだろうと思っていたので、旅行や遊園地に行った友達を羨んだりしたこともなかったな。
 そう思えるのは、お母さんが色々工夫して、沢山愛情をかけてくれたからなんだよね。正直私にはそこまで出来ませんでした。どうしても子供より自分を優先させてしまう事が多くて……。
 だからこそ、もっと一緒にいたかったし、色々したかったです。仲良く買い物に行ったり、初ボーナスで何か買ってあげたり、温泉旅行に連れていって上げ膳据え膳でのんびりさせてあげたり……。
 そういう話を聞く度に羨ましかったし、そういう経験だけは絶対に出来ないんだと寂しかった。こればっかりは自分一人ではどうにもならないから。
 でも、もっと一緒に居たいと、子供の成長を見守りたいと、一番に願ってたのもお母さんだったんですよね。
 十三年間の感謝を伝えるには、当時の私はまだまだ子供で、何も出来なかった。元気に学校行って、時々甘えるぐらいしか出来なかった。
 それで良かった、それが一番なんだよ、って思えるようになったのは、子供を産んで育てるようになってからで……子供の希望を叶えてあげたいけど出来ないもどかしや、親の心子知らずみたいなままならなさも、同じ立場になってやっと分かりました。
 お母さんが入院した時、小六と小四の子供だけで生活させることに、不安を感じなかった訳がない。父や叔母さんが時々様子を見に来てくれたけど、きっと心配で心配でたまらなかったですよね。(一方子供は、親の監視がなくて、伸び伸び自由にお菓子食べ放題のゲーム三昧してたのですが)
 お母さんが私達に出来なかった分、私は自分の子供をいっぱい抱きしめて「大好きだよ」と伝えてきました。流石に大きくなってからは鬱陶しがられるのでやりませんでしたが、僅かでもそれが伝わっていれば、それはお母さんが私や弟に遺してくれたものです。
 大丈夫、お母さんの愛情は確かに受け取っています。そしてそれはお母さんの孫にも伝わっている筈です。いや、親馬鹿丸出しで、そうであると信じています。

 自分の子供がお母さんの旅立った時の私の年齢になった時、「ああ、この子を残して死にたくないな」と思いました。きっとお母さんもそうだったのでしょう。とても辛かったし、もっと生きたいと願ったでしょう。
 生きたくても生きられない人が居る。だからこそ、何があっても自ら命を手放してはいけない――それを教えてくれたのもお母さんでした。
 なので虐められて辛かった時も、仕事もお金もなくて投げやりになった時も、人間関係で悩んだ時も、その選択肢だけは打ち消してきました。でないと生きたがっていたお母さんに申し訳が立たないですから。
 そうやってがむしゃらに、最良の人生とまではいかなくても、自分なりに必死に生きてきました。善人ではないし、むしろみっともなくて駄目な部分も多かったけれど、警察のご厄介になることなくここまできました。褒めては貰えないかも知れないけど、「お疲れさま」と言って頭を撫でて欲しいです。
 そして私も、「丈夫に産んでくれて、お母さんの子にしてくれて、ありがとう」と抱きつきたいです。お母さんの姿は若いままなのに、私は白髪頭のお婆さんになっちゃってて、少しおかしな画かもしれないけど、叶うならもう一度童心に戻って甘えたいです。

 気付けばお母さんと過ごしてきた時間の何倍も、この世で生きてきました。
 お陰様で入院をするような大病もせず、定期的に病院に通うような基礎疾患も無かったのですが、これだけの年数を酷使したら流石に身体がくたびれてしまったようです。
 私も同じあの世に行けるとは思いませんが、運良く途中ですれ違えたら嬉しいです。

 取り留めなく書いてきましたが、きりがないのでこの辺りで終わりにします。
 明るくて社交的で手先が器用で、でも料理はちょっと苦手な、私の大好きなお母さん。
 私はあなたの子供で、とても幸せでした。

―――――

 読み終えて、小さく息を吐く。
 病院でもパソコンやタブレットは使えたのだから、メールやテキストデータの方が格段に楽である。でもわざわざこうやって紙に文字をしたためたのは、自分の肉筆で届けたかったのだろう。
 直接伝えられない、有り余る想いを。
 いつか自分も、こういう風に母を回顧する時がくるのだろうか。
 今はまだ、ありきたりの感情しか浮かばないけれど……。
 拭った手に残る水滴がつかぬよう、丁寧に畳んで便箋を封筒に戻すと、母の枕元にその手紙を置いた。
 途中ですれ違った時に、ちゃんと渡せるようにと願いながら。

サークル情報

サークル名:BRADDY VOICE
執筆者名:白河 紫苑
URL(Twitter):@kasumi_deguchi

一言アピール
一次創作(ミステリーや特殊装丁等)の他、刀剣乱舞の二次創作(つるいち・いちさに等)をのんびり書いてます。
今回のアンソロ作品は白河の経験を元にしたエッセイテイストのもので、書き下ろしと共に新刊に収録予定です。

かんたん感想ボタン

この作品の感想で一番多いのは泣けるです!
この作品を読んでどう感じたか押してね♡ 「よいお手紙だった」と思ったら「受取完了!」でお願いします!
  • 泣ける 
  • しんみり… 
  • 受取完了! 
  • しみじみ 
  • この本が欲しい! 
  • ゾクゾク 
  • 怖い… 
  • 胸熱! 
  • そう来たか 
  • ロマンチック 
  • エモい~~ 
  • 尊い… 
  • かわゆい! 
  • 切ない 
  • うきうき♡ 
  • ドキドキ 
  • ほのぼの 
  • 感動! 
  • 笑った 
  • 楽しい☆ 
  • キュン♡ 
  • ほっこり 
  • ごちそうさまでした 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください