怪奇探偵 死者からの手紙

「手紙の鑑定をお願いしたいんです」
 応接ソファーに座った青年は、膝の上で手を固く握りしめている。どこか青ざめたような顔色を見るに、緊張しているのかもしれない。こんなに緊張している人を見ることはあまりにないから、緊張が伝染してお茶を出す手が少し強張ってしまった。
 彼は、この『白澤しろさわ探偵事務所』を訪れた依頼人である。
 白澤探偵事務所は新宿三丁目駅から少し歩いた所にある小さな探偵事務所だ。壁を蔦に覆われたどこか雰囲気のあるビルの一階で、オーナーの白澤しろさわさんと、助手の俺とでこじんまりと活動している。
 探偵の仕事というのは色々ある。浮気調査や土地調査をするとかはよく知られているが、『白澤探偵事務所』は科学では説明のつかない不可思議な現象や心霊現象の解決なんて特別な依頼も請ける少し不思議な探偵事務所なのだ。
 テーブルの上には湯気を立てたお茶が三つ並んでいる。俺は青年と向かい合うようにソファーに腰を下ろし、隣に座ったオーナーへちらりと視線を投げた。
「詳しくお話いただけますか?」
 オーナーがソファーの向かいにいる青年に話しかける。色付きのレンズの奥にある目が微笑むと、青年はほっと息を吐いたようだった。
 探偵という職業柄か、オーナーは人の緊張を解すのが上手い。整った顔立ちや落ち着いた低い声、ゆったりとした所作がそうさせるのだろう。反対に、俺はといえば、図体が大きいからか初対面の人に怯えられがちだ。
 青年はパンパンに詰まったリュックの中から一枚の封筒を取り出し、二つ折りの便箋をテーブルの上に広げて置いた。
 薄いピンクの便箋に、薄く花が描かれている。春のようなあたたかさのある便箋だった。便箋には、紺色のインクで右上がりの丸い文字が綴られている。人に送られた手紙の内容を読むのは気が引けて、文字が書いてあると認識するだけに留めておいた。
「あの、信じていただけないかもしれないんですけど……亡くなった姉から手紙が届きまして。この丸い文字、姉の文字と全く同じで……」
 青年はおどおどとどこか落ち着かない様子で鞄から少し日に焼けたノートやチラシの裏紙を取り出して便箋の横に並べた。おやつは冷蔵庫というメモや数式の並ぶノートにある文字と、便箋にある文字は確かに似ていた。
「両親はタイムカプセル郵便だろうって言うんですけど、僕はどうもそう思えないんです」
 タイムカプセル郵便、と聞いて小さく首を傾げた。隣に座っていたオーナーが俺をちらと見てから、青年に微笑みかける。
「自分に向けて手紙を書いて、指定した年数を経て届くものですね。それではないと思う理由を教えていただけますか?」
 なるほど、俺は詳しく知らないがそういうものがあるらしい。そういう仕組みで届く手紙があるとしたら、お姉さんが亡くなる前に自分に向けて手紙を書いていたことになる。手紙が届くのは不自然なことではないが、受け取るはずの本人がこの世を去っているというのは少し悲しいことではある。
「タイムカプセルなら、手紙を書いた頃のことを書くと思うんですけど……この手紙には姉が亡くなってからのことが書いてあるんです」
 青年は手紙をそっと手に取り、文字を指先でなぞる。紙を傾けると、インクが鈍く光った。
「庭に僕たちがこっそり植えてたびわの種が芽吹いたのは一昨年のことだし、庭先に猫が迷い込んできて飼い始めたのは去年のことで……知らないはずなんです、姉は、もういないから……」
 青年は、手紙が届いてからしばらくこの手紙の出所を独自に調べていたと言う。消印のあった郵便局であったり、別の探偵事務所に依頼したこともあるらしい。
 テーブルの上に置かれた手紙の封にある消印の日付は、半年ほど前だ。春に手紙が届いてから随分悩んだのだろうことがわかって、少し心が痛む。
「最近、知人からこの事務所を教えていただいて……こんなの、おかしい依頼だと僕でもわかります。でも、ここなら受け入れてくださると聞いて……」
「なるほど、そういう経緯でしたか」
 死んだ人間から手紙が届くことを、オーナーは否定しない。青年の話に相槌を打ちながら普段と変わらない様子で青年の話を聞いている。青年は握りしめた手を解いて、ズボンで手汗を拭った。
「……お願いします。この手紙を書いたのが姉なのかどうか、知りたいんです」
 はい、と頷く青年の表情はどこか強張っている。膝の上に置かれた手は硬く握られていて、彼がどうにかこの手紙について知りたいという切実さの表れなのだと気付いた。 
「わかりました。依頼をお請けします」
 オーナーは小さく微笑み、青年は一瞬ぽかんと口を開けて俺とオーナーを交互に見た。断られるつもりで来たのに、と言ったところだろうか。
「では、この後の流れを説明しますね。野田のだくん、書類を揃えてもらってもいいかな?」
「わかりました」
 依頼を請けるための書類一式を用意するために、一度この場を離れる。
 依頼人から鑑定をするものを預かるときは、依頼に関するものと別の書類が必要だったはずだ。書類一式をしまってあるファイルを開けながら、手紙の鑑定のことを考える。
 もし、亡くなった人から手紙が届いたとしたら、俺はどうするだろう。三年前に亡くなった人物から、亡くなった後に起こったことが書いてある手紙が届いたとしたら、何となく不気味で背筋が冷えるような気がする。
 オーナーの説明を聞く青年の横顔は、安堵に満ちている。手紙のことを知りたいとずっと考えていた分、安心も大きいのかもしれない。何かわかれば良いのだが、オーナーには何か情報の宛てがあるのだろうか。手紙の鑑定を請けるとして、どうやって青年の姉が書いたものか調べるのか俺にはさっぱり見当がつかない。
 鑑定の前からあれこれ考えていても仕方がない。ようやく必要な書類が揃って、二人のところに戻る。とにかく、何かがわかればいいと思いながら、手続きを進める青年を見守っていた。

 青年が深く頭を下げて事務所を去った後で、応接テーブルの上に広げた便箋を見る。鑑定のために預かるものとして内容を読むことに同意を得ておいたから、これで安心して手紙の内容を読むことが出来る。
 ざっと内容を見るに、確かに一昨年、昨年の出来事が書かれている。今年の夏は随分暑かっただとか、まるでつい最近まで傍にいた人の書いた手紙のようだ。三年前に亡くなった人から届いた手紙ということを考えると、違和感が残る。
 白澤探偵事務所にくる前であれば、こういう不思議なものを目にすることもなかっただろう。ささいな出来事がきっかけでこの探偵事務所に飛び込み、助手にならないかと声をかけられてこの探偵事務所に勤めるようになってしばらく経つ。
野田のだくん、早速だけどこの手紙を視てくれるかな」
「はい」
 白澤探偵事務所に勤め始める前と後で明確に違うことは、目で見えないものが視えるようになったことだ。どうやら今までも視えてはいたのだが、それがこの世界にないものだと認識ができていなかったらしい。オーナーに言われて初めて気付き、視えるからこそこの事務所で助手をしているとも言える。
 目を閉じる。瞼越しに、便箋に書かれた文字の一つ一つが薄っすらと光って視えた。なんの変哲もないインクであれば、こうは見えない。この世界にはない少し変わった代物だけが、俺の瞼の裏で光って視える。
「光ってますね。便箋は既製品みたいなんですけど、インクが眩しいです」
 そうか、とオーナーは一度頷く。どうやら、宛てはあったらしい。オーナーは、人間のいるこの世界の以外のこともよく知っている。俺は探偵助手であるものの、まだ一般人の域を出ない。
「この手紙、本当にお姉さんが書いたものなんですか?」
「野田くんにそう視えるということは、そういうことだろうね」
「……死んだ人から手紙が届くって、結構あることなんです?」
 助手として勤めた期間は短く、視えるものすべてが初めて見るものばかりだ。死者から手紙が来るなんて聞いたことがないし、そういう経験がある人を見たこともない。いや、目の前にその手紙は存在しているけれど。
「あまりないことだね。それに、そんなにいいものでもないんだ……本来あるべきではないことだから、この手段は多分、代償が発生してるんじゃないかな」
 代償と聞いてどきっとした。死んだ人と関わることはできない、と当たり前のことを改めて考えてしまう。何しろ肉体がないのだから、関わりようもない。それをどうやってか手紙を届けてきたのだから、お姉さんは相応の代償を払ったのだろう。
「内容は世間話が主だから、そこまで大きな代償ではないだろうけど……よっぽど弟さんが心配だったんだろうね。ちゃんと見ているからがんばれって伝えたかったんだと思うよ」
 オーナーが二枚目の便箋を取り出して、最後の行を指で撫でる。覗き込めば、そろそろ前を向け、と力強く書かれている。そこに居ないだけでずっと傍に居る、という頼もしいメッセージもある。豪快なお姉さんだ。
 三年という月日は、意識すれば長く、ともすればあっという間に過ぎる年月である。
「……この手紙のこと、どう伝えればいいんでしょうね」
 緊張した面持ちの青年を思い出す。膝の上で握りしめられていた拳と、どこか切迫した表情と、半年前の悪戯かもしれない手紙を持って方々に手をつくしただろう青年の去って行く背中がまだ頭に残っていた。
「依頼はお姉さんが書いたものかどうか調べることだから、その結果は伝えよう。信じるかどうかは彼次第だけれど……」
 オーナーは手元にある手紙をじっと見て、それから俺に柔らかく微笑んだ。
「たぶん、伝わると思う。お姉さんのいうことだからね」

 彼に報告をするのは来週ということにして、オーナーは手紙に纏わる諸々を確認するために事務所を出て行った。
 一人残された事務所で、クリアファイル越しに手紙をじっと見る。
 ――両親は元気でいるか。びわの実は今年は豊作になる気がする。秘密基地がなくなってマンションが建つらしい。私がいない間に、どんどん変わっていく。それは悪いことではないから、悲しいままでもいいし、けれど、ずっと後ろを向いてなくていい。
 癖のある字は時折インクが掠れ、けれど、温かな言葉で満ちている。
 春に届いた手紙の便箋は薄い桃色で、花が描かれている。桜か梅か、俺には判別がつかない。ただ、弟のことが心配で、そろそろ元気になってほしいというお姉さんの気持ちがこもっているような気がして、青年のもとに早く返してやりたいと思いながらつるりとしたファイルを撫でた。

サークル情報

サークル名:すずめのおやど
執筆者名:穂村すずめ
URL:https://note.com/suzume_ho

一言アピール
メンズなかよしを書いています。
現在はすこしふしぎ系の1話完結シリーズ、「怪奇探偵 白澤探偵事務所」を中心に活動中です。

怪奇探偵 死者からの手紙” に対して1件のコメントがあります。

  1. ping より:

    届いた手紙から、残された者たちの想いやそれを受け止めて、
    解放したく思う亡くなった姉の気持ちが伝わってきます。
    手紙の主がお姉さんとわかった後、何かしらの代償が発生しても届けようとした
    姉の想いが弟さんへも伝わりますように。
    Web アンソロジーのテーマ「手紙」にまつわる白澤探偵事務所シリーズの新作、
    楽しく拝見しました。素敵な作品をありがとうございました。

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