秘密が機密になる秘密

 今から国家秘密を送る。あたしは受話器を耳から離して、暗い廊下の向こうにある玄関ドアをじっと見た。床のひんやりとした感じがふくらはぎのすべてを濡らしたとき、ふたたび耳をくっつけて「なにも来ないケド」としびれを切らした。やつは「しょりゃしょうだ」とクリアな声でノイズ交じりに言った。
「国の陰謀によって普通郵便は土日に配達されないことになっている。月曜日を待たれよ」
「なにが今からなのさ。今の今ってのはものすごく速くて短くてその場にあるものなの」
「なんもかんも速達に値するとは限らんよ」
 電話はそれで終わった。掴んでいた受話器の穴を数える。まちがいなく手紙が届く日数より多い。ただし、一日は二十四時間で、二十四時間は一四四〇分で、一四四〇分は八六四〇〇秒だ。そして、人間の意識は一秒より短い時間にも存在している。

 月曜日、きっとスティックのりで封をしたに違いなかった。腰をかけていたベッドに滑らかに上半身だけ横たえて、あたしは伸ばした腕の先にあるその手紙を見た。簡潔な一単語、しかもタイプされた無機質な羅列を読み上げる。

「国家機密」
「これが陰謀」
 火曜日、あたしとアズマは空き教室にぽつんとひとつだけある机を挟んで座っていた。彼女は黒板のほうを向き、あたしはグラウンド側の窓を見ていた。本日も曇天で、窓から取り入れたわずかに採光だけが、床と壁のさかいめを教えてくれた。が、そのさかいめに紙飛行機が落ちた。ぼんやりと光る指をたどって文句のつけようのない鼻筋をおりて、その唇が開くさまを知った。
「こっちは、国家秘密を送った。だというのに、届くころには国家機密になっとった」
「おーん」
「秘密が機密になる秘密!」
 机のひきだしにはだれかの辞書が入っていた。いつもいつも入っていた。あたしは辞書を机の上に広げて、薄い紙をぺらぺらと人差し指だけでめくった。最初に機密を見つけて、次に秘密を見つけた。読み上げた意味に「こっちたちのあいだに機密はない」と彼女が相槌をうった。
「検閲されてるってコト?」
「校閲されとる」
 人差し指でさらにめくって検閲と校閲の違いを見た。アズマはようやく紙飛行機を飛ばした余韻、つまるところ投げ終わったあとの動作をやめて、辞書を奪い取った。
「意味なんてどうだっていいわい。正しい誤ったことが誤った正しいことに置き換えられているんだぞ。相互理解の危機的状況!」
「なにがなんだか」
 彼女はだれかの辞書を紙飛行機のように飛ばせなかった。床からドスンと鈍い音がした。
「意味がカッチリと伝わるなら、意味以外はもんにゃりも伝わらない。まるで、こっちたちは命令どおりに理解して処理する機械だ。人間の尊厳が懸かっているんよ」
「誤用に尊厳もクソもないっしょ」
 身を乗り出したアズマの両目が、猫の目、豆電球、フォークの先端のように鋭利にピカった。
「こっちは国家秘密を送りたかった。国家機密を送りたかったわけじゃない」
 事の重大さに気づいていない。アズマは鞄から取りだしたぺら一枚をあたしに突きつけた。そこには手で書いた味わい深い文字が並んでいて、内容は宇宙としっぽとヒューマニズムの三段構成で、拝啓と敬具の位置が逆だった。
「サッチマ先輩にコイツを送る」
「敷き詰めた小石の上に正座させられるし」
「んなこたない。なぜなら伝わらんから」
 
 木曜日、あたしたちは友人と歩いているサッチマ先輩の前に立ちはだかった。彼女は友人を先に帰して、二対一で優位であったはずのふたりぽっちを廊下の突きあたりまで追い詰めていた。
 先輩はブレザーとシャツのあいだから封筒をそっくりそのまま引き抜いて、送ったときと同じ折り目で便箋を開いた。
「吾妻が書いたとは信じられないエクセレントなレターだね。特に三行目のトリプルピースのくだりがワンダフルだ……届木が代筆したんじゃないかって、今、ちょうど考えていたところさ」
「友人との会話に集中したほうがいいっスよ」
「フミイにこんなもんは書けません。これはこっちの偉大なる思想の一部であり、実権の成果であり、人間の腐敗よ」
「あっはっはっ、かしこいかしこい」
 先輩からなんとか手紙を強奪したあたしたちは、あの暗い教室に戻って熟読するまでもなく拝啓の位置ですべてを察した。

 アズマはあたしに機密を送る前から検証を重ねていたらしい。ひとつの机のまわりをぐるぐると歩きながら、小さく折りたたんでポケットに入れていた便箋の一枚一枚を開いては床に落としてゆく。ときどき、あたしの座る椅子の足にひっかかりながら。机の周囲にはへなへなになった手紙が散乱しており、ちょうどすべて裏が表を向いていた。
「ちょっとずつ、あまりにも微細な誤りを綴って送ったんよ。手紙はきちんと宛先に届いた。しかし、誤りは正されとった」
「どうして実験しようと思ったワケ?」
 ぴたりと彼女の動きが止まった。ちょうどあたしの死角で、だから真後ろにいた。証拠のひとつとして人間のあたたかな気配を背中に感じ、もうひとつとしてあたしの頭にほどよい重さが乗って、極めつけに「よしよし」と前や横や下以外から聞こえた。
「伝わらんことがあって、どうして伝わらんかを考えたら陰謀に行き着いたんよ」
「気のせい気のせい」
 髪が根元から引っ張られて、放された。首を後ろに倒すとアズマの胴にぶつかった。
「真剣に考えてみぃ!」
「でも、めちゃくちゃな文章だったら、きっと読む気が失せるっしょ。いい面だってあると思うケド」
「文法的に誤っとるとか歴史的に正しくないとかで間違えとったとしても、ふたりのあいだで伝わるのならそれでいいんよ。だというのに、手紙を盗み読む輩のために完璧な文章にされてしまう。こっちたちの秘密がおびやかされとる! 真剣に考えてみぃ」
 上を向きながら話そうとすると、声があまり出ないことに気付いた。が、そのまま聞いた。
「手書きの手紙はどうやって複製しているの」
「もちろん職員が一晩のうちにやってくれたんよ。しかし、ずっと夜に起きて作業するんは辛いから、普通郵便の土日の配達が廃止されて安らかな休日が与えられた」
 あたしを見下ろしていたアズマは、まばたきをせずにそう言った。

 手紙を送るのに必要な切手が増えた理由は、職員の人件費を確保するため。
 速達の送料が高い理由は、熟練の職員ならぬ職人を引き留めるため。
 不着事故が起きる理由は、正すべきことが多すぎて職員が諦めてしまったため。
 
 木曜日の夜、あたしは部屋のあちこちにある箱を床に並べた。ドアから見て左かつ手前であるほど大きさが小さくなるように。
 もしも、アズマのへんてこ仮説が正しいとして、いつからそうなったのだろう。
 あたしは左手前から順に箱を開けていった。そのなかに手紙があれば誤りがないかを探して、あれば箱たちのわきに寄せておいた。もしマグネットやブローチしか入っていなかったら、一度つまんでからぐるりと天井のあかりに透かして、箱に戻した。最後のフタを閉じたとき、むきだしに放り出されていた手紙はたった一通だけだった。
 
 金曜日、やつは机に置かれた手紙をなにも言わずに眺めていた。
「校閲される前の手紙の化石」
「いったいなにが間違えてたん」
「永遠に話していられる。これは延々の誤りでしょ」
 アズマは首をカチコチと左右に動かした。
「ほら、伝わらんかった」
 伸びた手がぺらぺらを掠め取った。すでについていた折り目を利用して曲げたよわよわ三角を頭にかぶる。だけど、窓から風が吹きこんで、アズマからあたしに宛てられた手紙は床まで飛んで墜落した。
 立ち上がったアズマは、いたずらっぽくあたしを見下ろした。
「やはりこっちの思ったとおりだった。陰謀のせいだ。だから、おまえは返事をくれんかった」
「あたしはきちんと返信したケド。永遠にいっしょにはいられないって」
 彼女の秘密は、分ちあうにはあまりにも重く、あたしの人生に必要のないものだった。
「女の子に興味なんてない。友だちだと思っていたのに、今までが汚されたみたいで傷ついた。いっしょにお風呂に入ったときも、そういう風にあたしを見ていたの。気持ち悪い。もう二度とこんな話はしないで。次したら絶交するから。そう書いたケド、読まなかった?」
 彼女はこちらに近づいてきた。両腕がやわらかい抱擁のかたちをとる。接近するアズマの両目がピカったのち、真横から声がした。
「こっちも好き好き大好き!」
 秘密が機密になるからどうしたの。どうせ、自分の好きなように補完して読むんでしょ。正しくても、正しくなくても、正しても、読むようにしか読まれないのであれば、これ以上書いてどうなる?
 棒のようになったあたしの両腕はアズマを突き飛ばしはしなかったので、これは手紙とコミュニケーションと誤解の話になり、あたしはじつは彼女を愛していたことになり、ふたりの仲を引き裂いていた陰謀は確かに存在していたことになり、されどふたりのあいだで伝わったから、すばらしきハッピーエンドとして読まれた。

サークル情報

サークル名:やわらかよだつ
執筆者名:空見タイガ
URL:https://yawarakayodatu.net/

一言アピール
この小説は百合です! 新刊は夢オチBL小説(18禁)と寝取り小説(18禁)と詩集です!!

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