電書鳩は国境を越える

 旧世界でも、この地域は広い砂漠だった。もともとの気候にくわえて、長く続いた内戦のせいで緑化施設がことごとく破壊されたので、ヒトはこの地域の都市を棄てたのだ。
 だから、世界を二分した百年戦争が起きるよりも前に、一帯の大きな都市はすでに砂漠へ沈んでいたといってよい。それなのにヒトときたら、戦いをやめることなくその生息数を減らし、今では自らの生み出したAIと、《リライ》と呼ばれるキメラ兵士とに、《希少種》として保護されるに至っている。まったく、ヒトというものは……とため息をついてみせても、そんな感傷は、この世界で生きるための何の役にも立たない。

 世界の姿ががらりと変わっても、今も変わらないもの。
 この地域の長い夏季の終わりの幕が、ストンと落ちること。

 広い砂漠地帯の端に位置する海辺の町、クロスデルタ。今夜は肌寒いほど気温が下がっている。繁華街のレストランでは軒先に大鍋を用意し、スープやシチューをふるまった。慌ててストーブを出す屋台もあった。この街の喧嘩っ早い住人達も、厚めの上着をひっかけて、いつもよりいくぶんおとなしく、飲み屋へと消えていく。
 クロスデルタの端に位置する《湯浴み処 黒竜館》にも、あたたかな湯を求めた客たちが——常連はもちろん、一見客や旅人も——一斉にやってきた。大浴場に、個室風呂に、そして食堂に、緩んだ顔が湯気を立てて並んでいる。
 主人のグランマはキッチンに入ったきり、次々と注文のメニューを作っては、イェヌスに運ばせる。15歳を大人とみるか子供とみるか、ふらふらと危なっかしい彼の給仕を見かねて、ワニに似た姿形の竜人トゥバンも手伝いを始めた。
「手練れの用心棒様も、皿運びはへっぴり腰だな!」
テーブルの常連客からどっと笑いがおこり、トゥバン自身も思わず笑ってしまう。
「すまんな、こんな大繁盛になるなんて予想外でな」

 黒竜館の仲間がそんな様子だったので、湯女のメラクが少々長引いた旅から帰ってきても、誰も気づかなかった。食堂のドアは開け放たれていたが、メラクは顔を見せることを避けて、足早に2階の自室へ向かう。

 メラクは暗い部屋でふっと安堵の吐息をついた。部屋は出かける前と何も変わっていない。窓から差し込む月光が、サイドテーブルを青く照らしている。メラクはその上に、上着のポケットから『それ』を出して置いた。『それ』は布できっちりとくるまれている。
不似合いな男物の軍用上着を脱いで、壁のハンガーへかける。そして、後ろに束ねた長い髪をほどいて軽く頭を振った。
 メラクの心中にはこの4日間の旅先の光景がつぎつぎと思い出される。
——下が忙しいのはわかるけど、もう少しだけ、旅の余韻に浸っていたい……。
 ベッドに腰掛け、サイドテーブルの上の『それ』へと手を伸ばす。布を解くと鈍色の本体が姿を現した。円錐形を倒したような形の本体は強化セラミックで出来ていて軽い。その頂点から突き出た『頭』には尖った『嘴』がある。下部のボタンを押す。その嘴が赤く光り、2秒ほどで光は消えた。『それ』はかすかに起動音を立てて、やがてその音も止んだ。
 メラクは『それ』をサイドテーブルへそっと戻した。そして鞄から、いつも持ち歩いているノートとペンを取り出した。

mt1508さま

初めて【手紙】というものを書いています。
あの朝、わたしが帰国する朝、あなたが説明してくれたのを思い出しながら、書いています。

『これは電書鳩、私が作った。
……No、正確には、私が作らせた。私には精密作業用のアームがないために、協力者であるヒトに作ってもらった。
このボタンを押した時点でGPSを記録する。ほら、今、嘴が赤く光ったでしょう、この場所、私の部屋を記録した。あなたが旅を終え自宅でこのボタンを押せば、あなたの家が記録される。
次に、この目のレンズに向かって話しかけてください。私に話しかけるようにね。なんでもかまいません、なんでも嬉しい。
最後に、翼の付け根、ここの留め金を外してください。おっと、今やっては駄目。羽ばたきを始めてしまう。そうすれば、あなたの家から私の部屋まで、この電書鳩は戻ってくる。
これを受け取った私は、いつでも、あなたの姿を視て、声を聴くことができる。
So、これが離れた相手に言葉を伝える【手紙】というシステム。私はあなたにプレゼントする』

 【手紙】とは、わたしたちが使うデータメッセンジャーのようなものなのですね。あなたの持つ旧世界のデータベースに、【手紙】の情報はたくさんあるのでしょうか。
わたしが知る【手紙】は、ヒトによる映画で見たものだけです。
そこでは白い紙に文字を書いていました。道端の箱へ入れると、次の瞬間には相手が読んでいるのよ? 不思議です。きっと旧世界では、あの紙が空を飛んでいくのね……。

 実はわたしは、ほかのキメラたちのようにしゃべることができません、もう四十年も前から、声が出ないのです。
あの日あなたと会話ができたのは、わたしの脳へ埋めた電極型ヘッドギアから、あなたの言語システムへ音声データを模して直接アプローチできたから。
いまの住処である《クロスデルタ》以外のAIのかたとヘッドギアでお話したのは、初めてのことでした。(わたしのヘッドギアが旧ロットの廉価版だから、お話できないかたが多いのでしょうか。いえ、あなたの言語システムが旧式だと言いたいわけではないのです、きっとあなたが高性能なコンピュータを保持したAIだということが原因ではないかと思っています)

だからわたしは、【手紙】を、白い紙に書いています。
これを電書鳩のレンズに向かって撮影させれば、この子があなたの元へ【手紙】を運んでくれるはず。
あなたが作ったというこの電書鳩は、ほんとうにあなたの元へ帰ってくれるのかしら。
一眼のキョトンとした顔で、わたしが手紙を書き終えるのを、じっと待っていますよ。

ああ、これだけで、もうこんなに紙を使ってしまった。
声が出ないことは、余計な話をせずに済むという意味で時に気楽ではあるけれど、こういう時にはとても不便ね。しゃべれたら、姿と声をこの子に記録させればそれで済むのに。
もしもわたしがしゃべれたら、あなたの部屋を出たあとの旅の話をするわ。
それから、わたしが寝起きし、働いている《湯浴み処 黒竜館》のこと、一緒に暮らしている仲間たちのことをご紹介しましょう。
あとは、そうね、AI軍の主要演算コンピュータであったあなたと、遺伝子組換兵士《リライ》であったわたしが出会い、こうして交流をもったこと、その喜びを、お話しましょう。
50年前なら敵同士であったあなたとわたしが、たった一夜で、唯一無二の友人になってしまうなんて。家に帰ってきた今も、夢だったのかしらと思ってしまいます。
でもわたしはしゃべれないから、声が出ないから。
そんな長いお話はまたの機会にしましょう。

また会えるでしょうか。
わたしが会いに行くか、あなたが会いに来るか。
どちらかでしか、それは叶わないでしょう。
(あなたが旅をすることは非常に難しいことだとわかっていますが、それでも可能性はゼロではありません)
ひとまずは、この子があなたの元へ帰れますように。

 階段をどたどたと上がってくる音がした。メラクは手紙の撮影を終えた鳩を持ったまま、ドアを開けて顔を覗かせる。廊下の先に、ごつごつとした大きな鱗と分厚い皮の、深い緑色をした背中が見えた。コンコン、と壁を叩くと、彼は振り向いた。
「おお、メラク! いつ帰ってきてたんだ?! 下はこの寒さで大繁盛だよ」
メラクは眉毛を下げ、胸に手を当てて唇をかみしめる仕草をした。ごめんなさい、というジェスチャーだ。
「いいさ、やっと少し落ち着いたんでね、一息つきに来たところさ。……うん? その手に持ったものは何かね」
彼女は手の中の電書鳩を彼の目の高さまで上げて見せた。
「ふむ、鳥のドロイドか? 初めて見る形態だ。なぜ君が持っているんだい」
トゥバンの視線をみちびくように、その手をかかげたままメラクは廊下の窓を開ける。そして翼の付け根の留め金を外した。
折りたたまれていた翼が左右に開かれると、その下に付けられた各二つのプロペラが、ゆっくりと回転した。
「ほう、格納式主翼! ドローンだな? 面白い」
トゥバンが珍しそうに言うので、メラクは得意げにそれを窓の外へ放った。
ブォン、と低い音がして勢いよく飛び立つと、ふたりはそれを見送る。
鳩は、街のネオンに照らされて、さまざまに色を変えながら夜空へ向かって飛んでいく。

「良いのかい? 飛んでいってしまったよ。あんなつくりでは、それほど遠くまで保ちそうにないが……」
戸惑うようなトゥバンの言葉に、メラクは説明をするべきか迷った。
あれは新しい友人と自分をつなぐ、【電書鳩】なのだと。

—— どうか、どうか届いて。

メラクは祈るように、その姿が見えなくなるまで見つめ続けた。

サークル情報

サークル名:燐灯書庫
執筆者名:燐果
URL(Twitter):@hazy_palemoon

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