文加のまちには
「今日ね、あたしくもの巣に引っかかっちゃったの」
娘が告げたこの言葉を発端に、幽霊が、鬼が、座敷童子が繋がっていく。それらは時にざらりと肌を撫で、人の胸に苦さを残す。北の山の谷間にある地、文加に住む人たちと『不思議』が交錯する短編集。
不意に蜘蛛の糸が顔に絡んだ、あの感覚だ。
いるな? と身を強張らせながら、暗い台所をそろりと進むような程よい緊迫感が、最後までとても心地良かった。
小さな片田舎を思わせる町、文加の姿を、時を移ろいながら、住人の視点を移ろいながら映し出す物語。
五編の短編は「今」に始まり、「今」につながる過去へ渡り、また「今」へと帰って来る。
冒頭で顔にかけられたのは、細い細い緊張の糸だ。表す通り、家に張られた何気ない蜘蛛の巣の描写が、ぴたりとイメージに貼り付いてしまう。それがどうしても拭えない、取れないままで、読み進まされる。
大きく何かが起きるわけでは無い。顔にかかった糸が、無くなったかな? と思った時には、既にもう次の糸がふわりとかけられている。害は無い。そうそうどきりともびくりともさせられはしなかったが、それでも(警戒に近い)集中を解く事が出来ない。
最後の最後でそれは(潜んでいた蜘蛛を見つけて)ああお前か、とばかりに、絡んでいた糸のおおよそはぱっと拭える。この町で育った大人は、この町のあやかしを確かに「見てきた」。そして子供たちはこの町のあやかしに確かに「出会った」。済んだ事の経験と、今目の当たりにしている体験の描写の差が、時系列の異なる短編を巧く繋いでいる。
そして尚、きっとこの町にいるあやかしは、この物語に姿を見せた者達だけではないのだろうと、そう思える。手のひらで顔をぺったんぺったんやっても、まだ糸がほっぺたに残っているような、あの感覚だ。
良いものを覗き見た、と思える不思議な読後感だった。
いい年して夜中一人でトイレに行くのを、何も起きない事は頭ではわかってるのに若干躊躇しちゃうタイプの人にオススメ。違います私の事ではないです。
活き活きした元気な小学生男子たちと座敷童子のショタじじい様も、良い癒やし。