猫の言い分

 先生は小さな花束を差し出して、俺におめでとうとつぶやいた。
 俺の肩にも届かない背を精一杯伸ばして、七歳年下のライバルは残念だったなと吐き捨てた。
 主任研究員うみのおやは舌打ちした上ため息ついた。隠す気もない不機嫌顔で下から俺を見上げてくる。そんなんだから彼氏の一人も。つい滑った少しかすれた俺の声は、鳩尾に決まった拳に遮られた。
 寒風が雪雲を連れてきた日。履いていたブーツを窮屈に感じた日。
 SGα―03。俺の製造番号は、耐用超過リストに入れられた。

 *

 琥珀色の抽出液は俺の知らない味だった。香ばしさの後から苦みが広がり、美味いとはとてもいえなかった。渋面は販売車の店主に笑われた。それが大人の味ってもんさ。店主は言って、しまったとばかりに口をつぐんだ。
 俺はそれを見なかったことにする。
 昼前の公園は人も少なく居心地が良い。聞こえてくるのは葉擦れの音と、池に流れ込む水の音。遠くさえずる小鳥の声。
 すり寄ってくる切り込み耳の野良猫はにゃあにゃあ猫らしい声で鳴き、膝上の醜く太った牡の三毛猫、三毛太は返すつもりかぶにゃあと醜い声を上げる。
 背後で響く紙音は、店主が新聞をめくる音。……やたらと気になる気がするのは、紙面の見出しのせいだろうか。
 天使引退。IGLの仕様ミス。ゲノムデザインは生命への冒涜か――。
 座ったままで振り払うようにのびをする。猫のように。猫と一緒に。見上げた先、木々の間に広がるのはうすら霞んだ、春の空。
 ……こんな空を表すのは。
 流れ出たのは低い音。地を這い浸し、どこまでも流れていくような。
 口を閉じる。歌をやめる。低い音も、また、止まる。
 風に舞い遊ぶヒバリのようなと言われていた。何よりも高く澄み、壊れゆくただひとときの宝石を永遠にしたとさえ噂された。つい、二ヶ月ほど前までは。
「やめてしまうの?」
 散歩途中といった風情の老婦人だった。店主からカップを受け取り、ゆったりのんびり歩き出す。
「とてもきれいなバスだわ。『卒業』と聞いて少し残念だったけれど」
 ここいいかしら。俺の返事を待つこともなく、婦人は向かいへ腰掛ける。
「おめでとう」
 そしてにこりと俺を見上げた。
 三毛太がのそりと寝返りを打つ。切れ耳の図体ばかりが大人の『仔猫』は、俺の足下で腹を見せる。婦人は息を吹きかけながら琥珀色の液体を。
 俺はわずかに、口ごもった。
「……おめでとう、なんですかね」
 知らない声。聞き慣れない声。二十数年慣れ親しんだ俺の声ではない俺の声。
「男の子はいずれソプラノを卒業するものよ」
 あなたは少しばかり遅かったようだけど。からからと楽しげに笑う。
「嬉しいでしょう? 大人になるのだから」

 男性は十代半ばでソプラノを卒業し、女性と恋して子供を残すものである。だからやっぱりおめでとう。婦人は言葉を続けて優しく笑んだ。
 メディアはただただ辛辣だった。ボーイソプラノを約束されたIGL――International Genetic Laboratory――のSGα型デザインチャイルド、俗に言う『製品』の声変わりだ。設計ミスだの生命倫理への冒涜だだのスキャンダラスに書き連ね、『不良品』の悲劇を謳った。
 神父でもある合唱団の先生は、神の名の下『成長』した俺を祝福し。次席に位置するライバルは、悔しいだろうと言外に俺へ言ってのけた。

 遊歩道を歩いて行く。ぶらりぶらりと歩いて行く。『面倒見るなら避妊まで』切り込み耳の猫の絵入りの看板が道行く人々を見張っている。
 俺が歩けば、まとわりつくように三毛太も歩く。不細工にでかい甘えん坊、永遠の『仔猫』は時折蹴られてぶにゃあと鳴く。
 SGα型の俺の仕事は少年合唱団で歌うこと。永遠のボーイソプラノを持つ身として、神様よりも不遜で確かなIGLの名の下で。のどの異変を感じ始めた雪のちらつくあの日まで。
 歌うことは嫌いじゃなかった。歌うことは仕事だった。主席をこなし、誰より難しい曲を歌った。生まれる前に刻み込まれた、遺伝子の仕様のままに。
 祝福され、悲劇と言われ、悔しかろうと推し量られ。
 そして『仕事』をなくした今。俺は時間を余らせている。
 ぶなぁ。
 不意に三毛太が声を上げた。俺の足に体当たりをかました後で、茂みの方へと駆けて行く。不細工な身体を揺すりながら、無様に足音を立てながら。
「三毛太?」
 ぶなぁごなぁと声がする。ガサリゴソリと音がする。にゃおんぐるぁと声が返る。猫らしからぬ騒々しさで、そこに居るのがすぐにわかる。茂みの深さを目で測り、近場のベンチに腰掛けた。……そのうち戻ってくるだろう。

 木漏れ日がずいぶん眩しくなっていた。
 人が増えた気がしてみれば、遠くで鐘が鳴り響く。昼だ。
「昼飯は食わんのか」
 聞き慣れたアルトが降ってきた。煙を吐き出す人影が、猫を見るように俺を見下ろす。
 公園は研究所に隣接するから。……研究所内は禁煙だから。
「あんたは」
「なに、まずは物より煙だよ」
 昼飯らしい包みをベンチへ投げ置き、風下を選んで立つ。長い髪が煙とともにそよりとなびいた。
「BGMをリクエストしても?」
 キンとわずかな音がして鈍色硬貨が降って来る。反射的に手を出せば、額面はコーヒー一杯飲めるかどうか。
「きれいな歌なんか、歌えない」
 SG型開発主任はからりときれいなアルトで笑う。プロに払う額じゃないだろ。
 ならばと旋律をなぞってみる。オクターブ低い成人合唱団の音階を。こわごわ歌詞を乗せてみる。低く地を這うように広がるように。
 時々音が引っかかる。のどが詰まって、声が掠れる。口が回らず、歌詞が滑る。
 しばらく歌わなかったから。歌う場が、なかったから。
 歌詞が切れる。歌が終わる。
 風が巻き、葉擦れが降る。人々の休み時間を謳歌する声が、合間を浸して響いている。
「歌唱特化のSGだな」
 あのとき舌打ちした口が、笑みと溜息を溢してくる。
「あんたが作ったんだろ」
 まぁな。タバコをもみ消しベンチに座る。しとやかさとは無縁な仕草で、サンドイッチにかぶりつく。
 遺伝子活性、ホルモンバランス、環境因子、約十年の遅延の意味。永遠の『子供』の条件のその繊細さ。漏れる呟きは研究者としての彼女の日常。
 そして物を中に入れたまま。
「αとしては耐用超過扱いだが……」
 思いつきのように口を開き。
「続ければ良いんじゃないか」
 のんきに平和にのたまった。

 午後の始業の鐘が鳴る。あーあと彼女は腰を上げる。俺はひらひら手を振って、猫のようにのびをする。
「そういや、三毛太は」
 茂みを示す。そういえば静かになっていた。
 見やる彼女を目で追えば、顔色が見る間に変わっていく。
「……まさか」
 タイトスカートをものともせず、彼女は茂みに足を踏み入れる。かき分け進み、二歩、三歩。
 ふぎゃあ!
 目の前を、細身の猫が横切った。
「どら猫捕獲! あんたはあっち。絶対捕まえて!」
「……え?」
 訳もわからず走り出した。
 細身の猫は少し離れて毛繕い。近づく気配に再ダッシュ。もちろん俺まで全力疾走。追い詰め逃げられ爪を立てられ。撒かれて探して追い続けて。
 日が暮れる頃ようやく捕獲に成功した。

 *

 ――殺すなんて残酷でしょう?
 多くの人の意見を思う。
 ――子を産む幸せを知らないなんてかわいそうだわ。
 どこかの愛護団体は言う。動物はみな『自然』であるべき。
 ――ずっと子供でいればいいの。
 何十匹もペットを飼う、大富豪の一言だったか。
 ――本能を曲げるの?
 純真無垢なシスターは先生の陰から呟いた。

 *

 ぐたりと三毛太は眠っている。ほんの一時の眠りの中で、永遠の『仔猫』は強制の『仔猫』に成り代わった。
「知らんがな」
 器具を片付け施術台を殺菌し、彼女はあっけらかんと言い放つ。
「デザインするのも人の都合。避妊、去勢もヒトのエゴ」
 かわいそうとか生き方だとか、思いやるような理由じゃない、と。
「うちの遺伝子署名サインが残ったら困るんだ」
 それこそ新聞が食いつくネタで。
「腕出せ」
 容赦もなく俺の腕に消毒液を塗りたくる。……悲鳴はどうにか飲み込んだ。
「迂闊だったわー。あんたが声変わりするんだもの。予測すべきだった」
 雌猫は檻の中で暴れている。耳欠けのない、おそらく野良猫。俺と目が合い、背中を逆立て威嚇した。
「この猫、どうするんだ?」
「中絶だね。避妊もさせてもらおう」
 野良猫が増えても困る。全部の面倒も見切れない。
 生まれた命を殺すのも面倒。産ませないのが『一番早い』

 かわいそうとか。嬉しいとか。幸せなはずとか。残酷だとか。
 ――猫にはまるで関係ない。

「産ませたい。だめか?」
 雌猫は威嚇し続ける。檻の中に閉じ込められた、現状にただ憤る。
「三毛太もコイツも感謝も何もしないと思うぞ」
 雌猫は野良で雑種。三毛太は見た目通りのどら猫だ。血統も何もそもそも研究所製おれのきょうだいで。
 猫が特別好きでもない。どうせしばらくは手を焼かせられることになる。……三毛太のように。
 それでも。
「俺が産ませたいと思ったから」

 かわいそうとか。嬉しいとか。幸せなはずとか。残酷だとか。
 ――それは俺の気持ちじゃない。

「着床してるかどうかもわからん。生まれても、子どもは去勢も避妊もする。捨てることは許さん。覚悟ってのはそういうもんだ。それと」
 彼女おやむすこへ人差し指を突き出した。
「仕事しろ。猫のようにふらふらするな。合唱団の代わりの仕事、見つけて就職してみせろ」
『大人』になる気があるのなら。


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執筆者名:森村直也

一言アピール
SFで近未来と言いつつほぼ現代。
即興掌編から長編まで。無配多数。
機械仕掛けのシニカル・ノベルをお楽しみください!

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