なんでもない猫の日

 秘策――待盾まちだて警察署刑事課神秘対策係は、今日も暇である。
 
 係長の綿貫栄太郎わたぬき・えいたろうの姿もなければ、珍しく他の部署から押し付けられた事務仕事もない。本来の仕事であるオカルト事件の情報もない以上、最近配属されたばかりのヒラ係員・八束結やつづか・ゆいにできることは、対策室の棚で埃を被っている、過去の記録を読み漁ることくらいである。
 机の上に資料を積み、ぱらぱらと無造作にページを繰って文字列と画像を頭に叩き込む単純作業だが、中に書いてある内容はそれなりに興味深い。
 神秘対策係、通称「秘策」とは、C県警待盾署にのみ存在する係である。
 係の目的はただ一つ、「オカルトが関わる事件の真相解明」。
 ここ待盾市は、何故かはわからないが、古くから怪奇現象の類に事欠かないことで知られている。住人の間では常日頃からオカルティックな噂が囁かれ、「特異点都市」などという通称で呼ばれることもある。それだけ不思議が身近にある場所であり、自ずと不思議な事件も多くなる。
 しかし、人知を超えているように見える事件の中で、それが真に「超常現象」であることは、いくら不思議が身近なこの待盾でもあり得ないはずなのだ。そこには必ず「超常」という言葉の下に、事件の真相と己の罪を隠そうとする人間がいる。
 故に、不思議の国の住人、現実にあり得ざる存在が事件に関わっていないことを証明するため、神秘対策係――秘策が必要とされている。
 とはいえ、秘策の仕事はあくまでオカルトが関わる事件を証明することであり、事件が人の手によるものであるとわかれば、そこからは事件の種類に相当する部署が動く。結果として事件そのものを収拾するのは他の部署であり、元よりオカルト絡みの事件そのものも全体から見れば決して多くない以上、秘策の影はとても薄い。
 そんなわけで、署内でも「一体何やってるんだあいつら」という視線を浴びながら、常日頃から暇を持て余している八束だったが。
「……それ、面白い?」
 資料に没頭している最中、突然割って入ってきた声に意識を引き戻され、はっと顔を上げる。
 大きく見開いた目に飛び込んできた光景は、机の上に山になった、色とりどり、姿もとりどりのぬいぐるみ。そして、ぬいぐるみの群れに君臨する、髪一本残さず剃り上げた頭を晒し、今にも人を睨み殺しそうな血走った目を黒縁眼鏡越しにこちらに向けた、どう見ても堅気には見えない男であった。
 とはいえ、この男が凶悪な顔つきをしているのはいつものことなので、八束はちょうど読み終わった資料の束を示して問う。
「結構面白いですよ。南雲さんも読みますか?」
「いい。眠くなっちゃうもん」
 見た目の印象とは正反対の、ぼんやりと間の抜けた声を返した男は、視線を再び手元に落とす。そこにあるのはピンク色の箱に入った裁縫道具と布と綿、そして少しずつ形になりつつある新たな机上の住人であった。
 南雲彰なぐも・あきら。八束の先輩兼教育係に当たる、神秘対策係主任である。が、この男が先輩らしく振舞っているところは、八束が記憶している限りほぼ皆無。ほとんどの場合において「先輩」や「教育係」という肩書きは、八束に仕事を押し付けるために使われる。
 それで本人は何をしているのかといえば、見ての通りぬいぐるみ作りであったり、編み物であったり、果てには今まさに南雲がカーディガンの上に羽織っている、見るからに温かそうな褞袍どてらの作成だったりする。
 ――仕事をしましょう、南雲さん。
 八束は、心からそう思っているし、繰り返し声に出してすらいる。だが、南雲が聞き入れたためしはない。
 行動それ自体に害はないものの、可能な限り仕事に手をつけない。それが、南雲彰のモットーのようだった。はた迷惑なモットーである。
 とはいえ、今日は仕事を押し付けられているわけでもないため、南雲の奇行に文句を差し挟む理由はなく、代わりに気になったことを聞いてみることにした。
「……しばらく、猫ばかり作ってませんか?」
「気づいた? にゃんこかわいいよねー。にゃーん」
 猫の鳴き真似をするその瞬間も、南雲は眉間に深く刻んだ皺を全く崩さない。表情から言動が読めないのもいつものことなので、適当に流して続ける。
「猫に関係する記念日、近々ありましたっけ」
「猫の日は二月二十二日だからもうちょい先。世界猫の日は八月八日だから既に過ぎてる」
 猫の鳴き声から来た『猫の日』の存在は知っていたが『世界猫の日』は初めて聞いた。また一つ、役に立たない知識が増えてしまった気がする。
 南雲は、仕事に関係のないことばかりよく知っている。自分の興味あることしか記憶しようとしない、という方が正しいかもしれない。その辺りは「忘れる」という能力を持たない八束にはよくわからない感覚なのだが。
「なら、どうして猫なのですか?」
 南雲が作れるぬいぐるみのラインナップは多彩だ。机の上を見るだけでも、テディベアをはじめ、犬、兎、アザラシ、ペンギンなど、ありとあらゆる動物が南雲を取り囲んでいる。何を作るかは南雲曰く「その日の気分」だそうだが、一つの動物を種類こそ違えど大量に作っているのは珍しいことだ。
 すると、南雲は、ぴたりと手を止め、この一週間で揃った猫のぬいぐるみに視線を向ける。アメリカンショートヘア、スコティッシュフォールド、アビシニアン、ペルシャ、ベンガル、マンチカン……。それぞれの特徴をきちんと再現した精緻なぬいぐるみは、きらきらと輝く釦の瞳を南雲に向けている。
 そんな、ぬいぐるみたちの視線を隈の浮いた目で受け止めた南雲は、ぽつりと呟くように言った。
「最近、うちの庭に、よくにゃんこが来るんだ」
「野良猫さんですか?」
「んー、どうかな。いつも来るわけじゃないし、ふっくらしてて毛並みもいいから、どっかで世話はされてんのかも」
 黒地に口元とお腹が白、それに加えて白い靴下がポイントの超美にゃんこなんだよ、と南雲は器用にも不機嫌そうな面に夢見るような口調で畳み掛けてくる。南雲の視線を追えば、黒地に白い口元を持つ猫のぬいぐるみが、白い靴下を履いた前脚を舐めていた。きっと、件の猫を真似たものなのだろう。
「しかも、そのにゃんこ人懐こいらしくてさ、お袋とかまこととか、毎朝真っ白なお腹もふもふしてるらしいんだよめっちゃうらやましい」
「南雲さんも、心置きなくもふもふすればいいじゃないですか……、って、そっか、猫触れないんでしたっけ」
「そうなんだよおおお何で俺だけダメなんだよおおおおかしいだろおおお」
 つるりとした頭を抱え、大げさな動きで机に突っ伏す南雲を、八束はただ呆然と見つめていることしかできない。
 ――南雲は、典型的な猫好きかつ重度の猫アレルギー持ちである。
 その事実を八束が知ったのは最近のことだが、その時も、猫の背中を見送りながら、仏頂面はそのままに切なげな空気を纏っていたことを思い出す。八束の気のせいだったかもしれないが。
 そして、一通り「おおおおお」と言い終わった南雲が、ぴょこんと頭を上げ、うって変わって軽い口調で言い放つ。
「というわけで、猫のぬいぐるみを愛でるという代償行動中」
「はあ」
 わかったような、わからないような。
 とりあえず「家に来た猫に触れない」ということと「猫のぬいぐるみを量産する」という行動が、南雲の中で繋がっているらしい、ということだけを理解した。それだけ理解すれば、十分だったから。
 そういえば、と言いながら、八束は一回閉じた資料の束をぱらぱらとめくり、猫という言葉を含んだページで手を止める。
「過去に猫又が目撃されたという届けがあったみたいですね。特に害はなかったようですが」
「ああ、それは俺も覚えてるよ。八束がここに来る前だな。結局、見間違いってことで片付いたはず」
 確かに、資料の上では「依頼者の見間違いでありその後猫又の目撃情報はない」と締めくくられている。些細な出来事ではあるが、一体どんなオカルト的現象がどう事件に繋がるかわからない。「害がない」と判断することも、秘策の仕事だ。
 他にも似たような出来事はあったのだろうか、と次の資料に手を伸ばしかけたところで、ぽん、と南雲が手を叩く音が対策室に響き渡る。
「あっ、猫がダメでも、猫又なら触れたりしないかな」
「は?」
「尻尾が二股に分かれるんだし、アレルギーの原因になるものも変化してるかも。俺、ちょっと猫又探しに」
 がたっ、と椅子から立ち上がる南雲を一瞥し、はっきりと言っておくことにする。
「南雲さん、変な期待をかけると、期待を裏切られた時のショックが大きくなりますよ」
「あー……。そだね」
 結局、すとんと椅子に座り直した南雲に、八束は資料を繰りながら苦笑する。
「そもそも、猫又なんてこの世に存在しませんよ。以前も見間違いで決着しているわけですし」
「いや、案外、探したら出てくるかもしれないじゃない。いいじゃない猫又、愛でるパーツが一個増えるんだよ? もふもふ尻尾が二つもあるんだよ?」
「南雲さんって、妙な方向にポジティブですよね」
「いやーそんなに褒めないでよ照れちゃうじゃない」
「褒めたわけじゃないんですけど……」
 言いながらも、八束はちらりと南雲を見やる。猫のように気ままでわがままな先輩は、「照れる」という言葉とは裏腹に、今にも死にそうな顔色に険しい表情を貼り付けている。
 それが「いつものこと」とはいえ、人並みの表情を見せないこの男の真意はいつだってわからないまま。それを、どうにももどかしく感じるのは、果たして八束だけだろうか。
 思っていると、黒縁眼鏡越しの朽葉色の瞳と、視線がぶつかって。
「どしたの、八束。人の顔じっと見て」
「な、何でもありませんっ」
 
 秘策――待盾警察署刑事課神秘対策係は、今日も暇である。


Webanthcircle
シアワセモノマニア(サイト)直参 A-17(Webカタログ
執筆者名:青波零也

一言アピール
 「幸せな人による、幸せな人のための、幸せな物語」をモットーに、ライトでゆるい物語を綴る空想娯楽屋。謎めく魔法世界の御伽話、不思議に満ちた架空都市の現代もの、終末世界の群像劇など、SF風ファンタジーを中心に取り扱っています。今回はなんちゃってミステリ『時計うさぎの不在証明』の番外編をお送りいたします。

Webanthimp

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

前の記事

猫の言い分