僕の守りたいもの

僕の名前はハル。フミという男に飼われていた猫だ。
毛並みは、オスだけど三毛猫で、結構珍しいみたい。
僕はマンションに住んでいる。十階に部屋があって、家からの眺めはいい。
そんな僕の環境を変える出来事があった。
勘のいい人なら気付くと思うけれど、飼われて『いた』──そう言うのには理由がある。
フミはなぜか僕のもとからいなくなっちゃったんだ。
ある朝、起きたらフミは具合悪そうにしていて、フミの奥さんであるミカが心配そうに見守っていた。
いつもフミは、マンションの下に停めてある赤い車でシゴトに行くんだけど、その日は別だった。
ウーウーうなる車が家の下に到着すると、そこから何人か、青い上下の服を着た男が来て家の中に上がり込んだ。
どうやら、うなる車はミカが呼んだようだ。
フミはミカと一緒に、男たちに連れられて車に乗ってどこかへ行ってしまった。
夜になっても誰も帰ってこなくて、僕はお腹がすいたのだけれど我慢するしかなかった。
こんなとき、勝手にご飯が出て来ればいいのにな、とも思ったけれど、それよりフミとミカが心配になってきていた。
翌日になって、疲れ切った顔のミカが帰ってきた。
フミは? 僕はそう訊きたくて鳴いたのだけど、人間に言葉は通じない。
どうして僕ら猫は人間ほど舌が発達していないのかと、僕はときおり悲しくなる。
僕の薄い舌じゃ、ミカの指先を舐めるぐらいしかできることがなくて歯がゆかった。
それから数日、ミカは一人で慌ただしそうにしていた。
家には知らない人がたくさん来て、人見知りの激しい僕は家の中を逃げ回ることになってしまった。
慌ただしい日々が落ち着いてからも、ミカは一向に元気になる様子がないし、フミに至っては帰ってくる気配がない。
まったく、ミカを放っておくなんてフミはひどいやつだ。
自分の大好きな人が辛そうな顔をしているのに、知らんぷりして帰ってこないなんて。
僕はそう考えたけれど、心のどこかで別のことも考えていた。
もうフミは帰ってこないんじゃないか。
どうして帰ってこないのかは、考えたくないから考えない。
でももしフミが帰ってこないなら、ミカはずっと悲しい顔をしたままなのかな?
もう笑わなくなってしまったミカを見ているのが辛くて、僕はある決意をした。
フミを見つけて、髪の毛引っ張って家に連れ帰ってやる!
心を決めた僕は、ミカに黙ってこっそり家を抜け出した。

とは言っても、僕にフミのいる場所のアテがあるわけじゃない。
ミカとケンカして、シゴト場に引きこもっちゃったのかもしれないし、気ままにフラっと旅に出たのかもしれない。
僕ら猫だったら、後者はだんぜんアリなんだけど。
とりあえずの捜索場所として、マンションから見える公園を選んだ。
少しうろついたところで、僕は早くも不安になってきた。
僕みたいな、人間から見たら小さい生き物がフミを探して、それで果たして見つかるのかな?
でも、きっとフミは僕を見かけたらすぐ気付いてくれると思う。
そう思い直して、公園の木陰に座り込んだ。
すると、後ろから誰かの話す声が聞こえて僕は振り返る。
「そこの若いの。お前マンションの猫だろう」
そこにいたのは、サバトラ柄の大きなオス猫だった。
僕はびっくりして、少し尻尾が太くなってしまう。
「まあ驚きなさんな。お前のことはよく知っているよ。マンションの上の方からよく外を覗いているな」
「おじさんはこの公園の猫ですか?」
「ああそうさ。この辺の外猫の総取締さ」
「どうして僕のことを知ってるんですか?」
僕は尻尾が少しずつ落ち着いてきて、サバトラのおじさんとまともに喋れるようになってきた。
「お前のその毛並み。見るからにオスなのに、三毛猫なんて珍しいさな。お前の姿を見てすぐにわかった」
おじさんは自分のヒゲを前足で触って、確かめるように僕に言う。
「お前のところ、数日前まで慌ただしかったな。何があった?」
「それが僕にもわからないんです。僕を拾ってくれた人が突然いなくなっちゃって、僕は今その人を探しているところなんです」
「ほう、探すとな」
「猫みたいに、どこかに旅に出たのかもしれないし。その人の奥さんが悲しい顔をしてるから、はやく見つけてあげなきゃって」
僕の言葉を聞いて、おじさんはヒゲを触る手つきをやめて目を細めた。
そして僕を値踏みするみたいにジロジロと見る。怖いからやめてよ。
「お前、その姿で人間を探せるとでも思っているのか? やめとけ。人の多いところに出かけていったら、疲れて車に轢かれるのがオチだ」
「……」
「でも、探すというなら方法がある。……どうせなら人の姿になってそやつを探してみるといい」
「え?」
おじさんの言っている意味がわからなくて、僕は思わず聞き返してしまう。
「お前のようなオスの三毛猫には、昔から不思議な力があると言われていてな。自分の意思次第で、人の姿に化けることができるんだそうな」
「人に?」
「そうさ。人の姿になりたいと念じてみろ」
僕はおじさんの言うことがにわかに信じられなかった。
だってあたりまえでしょ? 僕は猫として生きてきたんだから、そんなおとぎ話みたいなこと……。
なんて考えていたら、おじさんから猫パンチが飛んできた。早くやれってことらしい。
仕方なく、僕は意識を集中させて『人間になりたい』と願った。
するとどうだろう、僕の冬毛でもふもふした腕がにゅっと伸びて、白い肌になった。
足も長くなって、おっと。二本足で立つことなんて滅多にないから、バランスを崩しそうになってしまう。
おじさんは、僕が毛のないつるつるした肌をもつ人間になったのを確認すると、僕の方へ物を投げてよこした。
「それを着ろ。真冬ではないが、さすがに裸でいると寒いだろう」
渡されたのは黄色い上着とごわごわした藍色のズボンだった。
おじさんの用意の良さに僕は驚くと、その気持ちを見透かしたように彼は言葉を続ける。
「お前のここ数日の様子を観察していて、きっとその服が必要になる時が遠からず来ると思ったのだ」
僕は五本の指が伸びる自分の手をまじまじと見た。まだ人間になったなんて信じられない。
「猫に戻りたかったら、ただ『猫に戻りたい』と願えばいい。姿はお前の自由さ」
僕の理解が追いつかないのを無視して、おじさんは話を続けた。
まあ、猫にとって理解の追いつかないことって日常茶飯事だ。不思議なことを不思議がることにこだわり続ける必要はどこにもない。かえって、そんなの良いことないよ。
だから僕は自分の体を隅々まで見るあいだに、人間の姿をした自分をすっかり受け入れてしまった。
ズボンがお尻をちくちくと刺激するのだけは、いつまでも慣れなかったから、それを除けばだけど……。
僕はおじさんに猫語で礼を言うと、公園から出て行く方向へ足を向けた。
おじさんは去ろうとする僕に『驚いたりはしゃぎすぎたり悲しくなったりすると、耳と尻尾が猫に戻っちまうことがあるから気をつけるんだな』と言ってくれた。
気をつけなきゃ、と僕は頷く。
そうそう、どうやら人間の言葉も喋れるようになったみたい。
ちょっとだけミカに僕の今の姿を見せたいと思いつつ、家に帰ったら驚かせちゃうな、そしたら僕もびっくりして耳が猫になっちゃうな、と考えるとこのまま帰るわけにもいかなかった。

僕はお店の並ぶ中を一人歩いていた。
人の姿になって歩く街は、猫の時とは全然違った景色に見えた。
まあ、家猫だから外にでることなんて滅多になかったけれど、病院へ連れて行かれる時なんかに見る風景とは違ったんだ。
猫には人間の街は大きすぎる。看板なんかとーっても高いところにあって、あれじゃ首が疲れちゃうよと思ってた。
でも人間の男の子になってみたら、案外ちょうどいいんだなこれが。
僕の姿は子供ではなく、かといって大人でもない微妙な見た目をしていた。
猫としては結構歳を重ねているつもりだったんだけど、もしかして僕の心が子供っぽすぎるのかな。
聞くところによると、猫はキョセーシュジュツをしたところで心の成長が止まっちゃうらしい。
シュジュツを受けたのは大人になる前だったから、そのせいで僕の心は子供のままで、人間になってもこんな格好なのかも。
そんなことを思っていたら、フミとミカと三人で暮らした日々が写真みたいに頭に浮かんだ。
はっきり言って、フミは僕のことを可愛がりすぎていた。
フミとミカは一緒に暮らして結構長いようだったけれど、二人のあいだに子供はいない。
その代わりといってはなんだけれど、僕を子供のように思ってくれていた。
僕が暖房のきいた部屋でごろごろしていると、フミはよく僕にちょっかいを出した。
特に僕のお腹がお気に入りなようで、白い毛のお腹に顔をうずめてくる。
他にも僕の両脇の下を持ち上げてゆらゆら揺らしたり。
僕がすごく嫌がった顔をすると、それを見たミカがフミに注意する。
「ほら、ハルが迷惑そうな顔してるよ」
ってミカが言うと、フミは手や顔を離して『ごめんなぁ』と言いながら僕の額を撫でるのがお決まり。
それが懐かしくて、まるでその記憶ははるか遠くに過ぎ去ってしまったようで、僕は悲しくなった。
僕は二足歩行の足を止めて、うつむく。
お願いだ、フミ。帰ってきてよ。
もしフミが猫だったとしたら、ふらっと家からいなくなることの意味がなんなのか、わかるよ。
でもわかるからこそ、理解したくないんだ。
フミとミカと僕の三人で暮らすのが楽しくて、その生活を守りたい。
僕は止めた足を叩いて、もう一度歩き出した。
また会えると信じたい、僕を動かすのはその気持ちだけだった。


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執筆者名:Kyo-asu

一言アピール
 テキレボ新刊のファンタジー短編集『ハッチポッチ』に収録している短編小説『孝行息子』のスピンオフ、前日譚的作品です。私はどんな小説を書いても集○社のコバ○ト文庫みたいな作品になってしまいます…。コ○ルトっぽい可愛い少女小説が大好物です。私の青春の本は『マリア様がみてる』でした。

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